死神の夜
根岸史郎が意識を取り戻したのは、硬いベッドの上であった。
もしかしてうつろな状態のまま何度か目を覚ましたことはあったのかもしれないが、自らのおかれた状況を理解しようとしたのは、あの時以来はじめてのことであった。
薄目をあけると、暗い部屋の中で見知らぬ天井がそこにあった。
続いていつもの朝のように頭を起こそうとしたのだが、それはできなかった。
体中の筋肉が弛緩しているようで、頭や肩に全く力が入らなかったし、なにかによって頭や体が縛り付けられている感覚がしたからだ。
実際に顔や頭にはなにかが取りつけられているようで、視界の部分部分に、違和感のあるものが混ざっていた。
(これは……チューブに……包帯……)
史郎は48時間起きつづけた時なみに意識が朦朧としていたが、睡魔に負けることなく、なんとか現実世界に意識を留めようと努力をした。
(ああ……ここはもしかして……病院……)
その通りであった。史郎の体からはさまざまなチューブやケーブルがのびており、それぞれが薬品やベッドの後ろ側にある医療用コンソールに接続されていた。深夜ということもあってか、フロアに人影もなく、医療用コンソールが立てるピッピッという脈拍音だけが、あたりに響いていた。
(俺は……入院している……んだっけ?)
史郎は少し考えたが、入院をした記憶など全くなかった。
そしてこの時になって、右頬に違和感があるのに気づいた。視線を右に動かし、意識を集中させると、右鼻にもチューブが突っ込まれているのが見える。
(間違い……ない。ひどい状態……なのか……)
(でも……なぜ……病院に……俺は……どうなって……どうして……)
史郎は朦朧とした意識の中で必死に記憶を手繰り寄せたが、答えは出てこなかった。
自分が病気になったという覚えも、事故にあったような記憶もまったくなかった。
そしてだんだん、考えること自体がどうでもよい気がしてきた。睡魔に負けた方が楽になるよな、と思った。
瞼を閉じて、まどろみの世界に行こう。もしかして、もう二度と目覚めないかもしれないけど、それでもいい。そんな気がした。
「……んだろ」
どこから声が聞こえたような気がした。
史郎は閉まっていく瞼になんとかブレーキをかけ、目の動きだけで視界に誰かがるのか捜した。
すると、視界の一番上ぎりぎりのところに、人の顔が逆さまに映っていることに気がついた。
史郎が寝ているベッドの後ろ側に誰かがいて、上から覗き込むようにして史郎の顔を見ているのだ。
史郎はそれが何者かを確認しようとしたが、視界の上端ぎりぎりでよく見えなかった。
「なんだ。まだ子供か……」
その人物はそう呟いた。若い女性の声のようであった。
(だ……誰だ……?)
なんとかして史郎はそう口に出そうとしたが、口や鼻に入ったチューブが入っているせいもあり、フガフガとしか音を出すのがやっとであった。
しかし、その史郎出した音に声の主は反応した。
「あれ、もしかして……」
声の主はそこまで言って、驚くべき行動に出た。
宙に浮いたのだ。そして、宙に浮いたまま、史郎の足元のあたりまで滑るように移動をし、宙に浮いたままこちらに振り返った。
それは史郎と同じぐらいの年齢少女のようだった。彼女は史郎にとって見覚えのある高校の制服を着ていた。
「……あなた、私が見えるの? 私の声が聞こえるの?」
少女は史郎を見下ろしながらそう言った。
(……幽霊……?)
史郎はそう口に出そうとしたが、やはり言葉にはできなかった。
「ああ、私の姿が見えるのね!」少女は、そう驚いたように言ったが、すぐに頭を横に振った。「残念ね……。私を見ることができるということは、あなたはもうすぐ死ぬということよ……」
(え……?)
少女は史郎に悲しい表情を見せながら言った。
「安らかに眠りなさい……ね」