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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
94/131

6-6

 シェルナンドは肖像画を一枚も残さなかった。後に絵がないことをニコラスが利用し、偽のジルヴェンヴォードを作り上げたのだが、シェルナンドはそれを知っていてそうした。そのためだけでなく、単にシェルナンド自身が自らの存在の消滅を願ったからというのもある。シェルナンドの死の間際、国中の肖像画を燃やして周ったのは、リゼルヴィンだった。


 『彼』は随分とそのことを怒っていた。リゼルヴィンと違って『彼』は滅多に外出を許されず、リゼルヴィンほどシェルナンドに会っていなかったため、シェルナンドへの思いは最早信仰となっている、『彼』には神と同等、もしくはそれ以上の存在であるシェルナンドを、枝とはいえ燃やすなど『彼』にとっては許しがたい行為だったのだ。ましてシェルナンドという存在を他の人間とすり替えるなど。


 いくらシェルナンドの命とはいえ、リゼルヴィンも同じように思っていたし、燃やす度に苦しんだ。そんなリゼルヴィンを見かねたシェルナンドが、唯一残すことを許した物が、屋敷の地下にある肖像画だ。


「……お父さま」


 布を外した途端、『彼』が息を飲んだ。神々しく、シェルナンドが本当にそこにいるかのように思える絵に、涙を流しながら近付く。

 シェルナンドが死んでから、『彼』は一度も会っていない。死んだはずのシェルナンドが今なお存在していることを、知らないままだ。


「お母さまも、死んだのよ。知ってる?」


 絵に向かって話しかけ続ける『彼』に、痛みをこらえながら言う。


「……嘘だ」

「本当よ。お母さま――フロランスも、死んだのよ」


 静かに涙を流しながら、『彼』はリゼルヴィンにすがるような目を向ける。母は救えなかった、許されなかったから、と言うと、彼の涙の量が増えた。


 リゼルヴィンも『彼』も、シェルナンドを父と呼び、フロランスを母と呼ぶ。もちろんどちらも血の繋がりはない。けれど、両親のない『彼』にとっては紛れもなく親であった。リゼルヴィンにとっても、本当の親より親らしい存在であり、家族愛なんてものを抱くにふさわしい存在だ。


 だが、今の彼とリゼルヴィンには、決定的な違いがあった。彼はまだ、シェルナンドは死んだと思っている。その上で母たるフロランスの死を知らされたのだ。シェルナンドが未だ存在すると知っているリゼルヴィンが、同じようにフロランスの死を知ったときより、悲しみと絶望は深いだろう。


 事実を隠すのは苦しいが、リゼルヴィンは自身の奥底で何かどろどろした喜びがあるのを感じていた。父を独占出来たことが、この上なく嬉しい。自分がどれだけ醜い心の持ち主か見せつけられる。それでもその喜びを否定することは、リゼルヴィンには出来なかった。


 リゼルヴィンは、人生のうちで何かを独占したことがない。リゼルヴィンが手にしたものは、必ずと言っていいほど、姉が掠め取って行ってしまった。そのせいか、何を手に入れても、最終的には自らあけ渡してしまう癖があった。奪われることが恐ろしく、ならば自分からと思ってしまうのだ。


「……泣いたって、何も変わらないわよ。お父さまもお母さまも、喜ばないわ」


 白々しくそう吐き出す自分が嫌になる。今すぐ謝って、実はまだ父に会えるのだと告白したい。それを出来ない理由が、暗い喜びの中にリゼルヴィンを沈めていた。

 『彼』の涙は止まる気配すらない。リゼルヴィンも、苦しさに耐えられなくなった。


「ここに、泊まっていきなさいな。つい最近、掃除をしたから、生活出来ないことはないはずよ」


 そう言い残して、地下を出る。『彼』はこちらを見ることもなく、やはり絵に何か話しかけながら、泣いていた。






 地上は静かなままだった。しかし、先程までは感じられなかった人の気配が今はある。安堵しながら、ジュリアーナを寝かせた部屋へ向かう。


 ウェルヴィンキンズの住人は皆、三回迎えることが出来る。何をと問われるまでもなく、三回死ねるという意味だ。リゼルヴィンとの契約によるものである。何度も死ねるリゼルヴィンが、契約を結ぶ際にその命を分け与えてやったのだ。契約した者は三回死ねるようになり、三回目でようやく本当の死を迎える。怪我をしても自動的に回復し、致命的な病にはかからない。ただし、回数を重ねるごとに回復力は下がっていく。


 幸いというべきか、今まで三回目を迎える者はいなかった。一回死んだ者がほとんどで、ジュリアーナだけが二回死んだ。殺し殺されるのが当たり前のような街だが、一回死んだとなれば住人同士で自然とその人物を殺すのは避けるようになる。ジュリアーナが二回も死んだのは、運がなかったからだった。


 故に、ジュリアーナの扱いは他の住人より気を使うものだ。なかなか回復しない体になったジュリアーナは、リゼルヴィンが直々に殺さぬよう注意をして回り、極力戦闘には参加させないことになっている。パルミラやラーナは時にリゼルヴィンの命で地方へ出向くこともあるのだが、ジュリアーナにはそれがない。そのことで無力だと感じているのは、リゼルヴィンも知っていた。


「主さまっ! ご無事でしたか!」


 目的地である部屋の前に到着したとき、背後から駆け寄る足音と共に声がかけられた。まだ一度も死んだことのなかった者は、『彼』に殺されてもすぐに回復出来るようだ。ほっと胸を撫で下ろしつつ、声の主に微笑みかける。


「ラーナ、あなたこそ大丈夫だったの?」

「私はなんともありません。でも、ちょっとびっくりしちゃいました。いきなり殺されるものだから……」

「ごめんなさいね、私の知り合いなのよ」

「いっ、いえ! それならいいんです。主さまを狙っていたとしたら、どうしようかと思いました」

「残念ながら、他でもない私を狙ってたのよね……」


 リゼルヴィンの返しにラーナはもう何も言えなくなって、苦笑するしかなかった。リゼルヴィンもまた、同じような表情をしながら、扉に手をかける。


 そして、その扉を開いてはじめて、リゼルヴィンは異変に気付いた。


「……どうして」


 あるはずのジュリアーナの気配がない。慌てて入り部屋中を探してみても、どこにもジュリアーナの姿はない。


「どうして、何も気配はなかったのに……!」


 その場に崩れ落ちるようにして座り込む。文字通り頭を抱え、それを見てラーナも何か大変なことが起きたのだと悟った。


「……やられたわ。どうやら敵は、こちらの弱点をよく知っているようね」


 悔しさの滲む声で吐き捨てる。ここのところ、魔力の制限もなくやりたい放題にやれていたせいか、慢心していたようだ。何せ誰にも否定が出来ないほどの魔力の持ち主である。リゼルヴィン自身も、その力を過信することはある。


「ジュリアーナが攫われたわ。すでにウェルヴィンキンズからは出ているでしょう。逃げ足の速い敵さんだこと」


 そう呟いたリゼルヴィンは、不敵に笑う。


 リゼルヴィンを深く知っているとは言い難いラーナでも、ジュリアーナがいかにリゼルヴィンにとって重要な存在かはわかる。立ち上がったリゼルヴィンの言葉を待つまでもなく、ラーナは自分が何をすべきか理解した。


「パルミラの『アルヴァー=モーリス=トナー』捜索の任務を、一時中断させてもよろしいでしょうか」

「もちろんよ。ジュリアーナを最優先に探させて。あなたも」

「はい。では私は王都を捜します。数日間、主さまの警護が手薄になりますが、構いませんか」

「私も王都へ行くわ。街屋敷には頼もしい管理人がいるもの。だから私の方は気にしなくて構わないし、屋敷の管理も一人残して後はジュリアーナ捜索にまわしなさい。それぞれへの指示は、ラーナ、あなたにすべて任せるわよ」

「承知しました。では、さっそく」


 普段の快活な笑みは真剣な表情へ、少女らしい声は少し低く、ラーナらしからぬ冷静な言葉に、リゼルヴィンは感心した。日常を年頃の平凡な少女としてそれらしく生活しているラーナは、実のところ人を見る目が鋭い。彼女に任せれば、たとえ見つけられなかったとしても手がかりは確実につかめるだろう。


 ラーナの背を見送り、ゆっくりと部屋の中を見回す。いるはずのジュリアーナは、その存在の欠片も残さず消えてしまっている。


 確実に魔法を使って攫って行ったはずだ。そうでなければ結界に引っかかるか、リゼルヴィンが気配に気付くはずである。しかし、魔法を使っていたとしても、よほど上手く操ったのでなければ、リゼルヴィンが気付かないはずがない。


 出来ることなら探査の魔法を使って今すぐ国中を捜したいところだ。しかし、先程の『彼』との戦いで、しばらく大きな魔法を使えないほどのダメージを受けている。リゼルヴィンと『彼』の相性は最悪で、お互いの攻撃はもろに食らい、受けた傷から魔法式へ直接の攻撃が出来る。修復不可能なものではないが、最低でもあと二日、リゼルヴィンは得意の無茶が出来ない。


「最っ悪だわ」


 再度吐き捨てて、部屋を出る。一度に捜すことは出来ずとも、魔力を分散して捜すことはなんとか出来るだろう。自室へ向かいながら、無理に笑みを張り付けて余裕を生み出す。


 自室に入ってすぐ指を鳴らす。街屋敷と同じく、普段は魔法で隠しているたくさんの魔法道具が現れた。所狭しと散らばるそれらに目もくれず、椅子を運び足で雑に置ける場所を開け、本棚の上で無造作に積まれた魔法道具の中から一つ、掌に乗る大きさの立方体の箱を掴む。随分と奥にあったため、重なっていたものが埃と共に落ちてしまったが、気にせず箱のみに目を向ける。リゼルヴィンの黒い髪が埃で白くなっていた。


 箱を開けると、中には球体の薄桃色の石が入っていた。半透明で、中に花弁のようなものが五つ浮いている。それを取り出し、箱は放り投げる。


「私の大切なジュリアーナを捜して。縁は繋がっているはずよ」


 呟いて、冷たい石に口づけを落とす。すると、石がぼんやりと光を放ち始めた。段々とその光は強さを増し、目が潰れそうなほど眩いものとなる。

 収まったかと思うと、石の中にあったはずの五つの花弁のようなものがなくなっていた。


 これは、二百年ほど前の魔女が創ったとされる魔力の結晶の石だ。その魔女は生涯ある人物を捜し求めていたとされ、この石も、その際に使われたものとされている。

 リゼルヴィンがこれを手に入れたのは、ほんの半年前のことだ。まだ使ったことはなかったが、どうやら上手く発動してくれたらしい。


 割れた窓から外を見れば、もう朝の訪れを空が告げていた。捜索に加われないもどかしさを感じながら、リゼルヴィンは服を着替える。


 この日は、ハント・ルーセンとの最後にして最大の交渉が控えている。

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