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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
93/131

6-5

 リゼルヴィンのことが知りたいのだと、ジュリアーナは言った。


 ジュリアーナとは四年近くの付き合いだが、そんな話はしたこともなく、今更というのは少しばかり照れくさかった。記憶を呼び起こしながら、あれは話すべきか、これは話さないでおくべきかと考える度、ほとんど気にしていないのだと思い知る。当時はあれほど辛く感じたのに、今ではもう何も感じない。


 唯一、三年前のことだけは、あやうく泣きかけたが。


「そういうわけで、今の私が出来上がったのよ。積み重ねてきたものが、爆発しちゃったのね」


 きっとジュリアーナは悲しむだろう。気にするなと言う代わりに笑って見せた者の、ジュリアーナは俯いてしまった。

 下手に優しく育てすぎたからか、ジュリアーナはやたらとリゼルヴィンを大切にする。嬉しいことだが、何故そこまでしようと思うのか、リゼルヴィンにはわからない。


「……主さまは、幸せですか」


 声がいつもより小さい。顔を上げてくれと頼めば素直にこちらを見てくれるが、今にも泣きそうな顔をしていて、ああこれなら安心だとずっと抱えていた心配が解消された。


「私は幸せよ、ジュリアーナ」


 傍に寄り、柔らかな声でそう答える。

 リゼルヴィンの、本心からの言葉だ。少なくともリゼルヴィン自身はそう思っている。


「……どうして」


 ついに泣き始めてジュリアーナは、リゼルヴィンにしがみつくように抱きついた。

 そんなに悲しい人生だっただろうか。リゼルヴィンにしてみれば、泣くほどのものではない。明るい記憶だってたくさんある。そもそも、虐げられるようなこともなかったのだ。陰でこそこそ馬鹿にされることは多かったし、暗殺騒ぎも確かにあったが、人前であからさまな態度を取るほど頭の足りない者には出会ったことがない。


「あなたが泣く必要はないわ。ねえ、泣くくらいなら、笑ってちょうだい。私、あなたの笑顔が見てみたいのよ」

「申し訳ありません、主さま、本当に、申し訳ありません」

「どうしたのよ、ジュリアーナ。どうしてあなたが謝るの」

「主さま、すぐにお逃げください。今すぐここを離れてください。『彼』が来ます、『彼』が」

「『彼』って……」


 取り乱すジュリアーナを抱き返してやろうとした、そのときだった。


 高い音を立てリゼルヴィンの背後の窓が割れた。咄嗟にジュリアーナがリゼルヴィンを庇い、体でガラスの破片を受け止める。

 ぶわりと周囲に漂う魔力が膨張した。滅多にないその動きに、リゼルヴィンも何が来るのか理解する。


「ジュリアーナ! 下がりなさい!」


 叫んだとほぼ同時だった。リゼルヴィンが魔法を発動させるよりも、ジュリアーナの身体を押し倒すよりも早く、それはジュリアーナの腹を貫いた。

 先端に杭の付いた、太い鎖。ジュリアーナが盾となったおかげでリゼルヴィンは無傷だったが、足に力を入れ立ち続けるジュリアーナから溢れた血が、手袋をしていない左手を赤く染めた。


「ジュリアーナ!」


 気力だけで意識を保っているのだろう。気を失い、すぐに死んでもおかしくない傷だ。

 じゃらじゃらと勢いよく引き抜かれた鎖は、窓の向こうの闇に消える。


「逃げて、ください、はやく」

「黙りなさい! どうして、どうして私を庇うの!」


 貫かれたのがリゼルヴィンなら、すぐに回復出来た。他の使用人だとしても、まだましだった。

 しかしジュリアーナは、これで三回目なのだ。死んでしまってはもう戻らない。


「死ぬなんて、許さないわ」


 息のあるうちに腹の穴を塞がなければ。幸い、戦争のためにと封印が解かれたままになっている。

 とりあえず表面だけ再生させ、これ以上の出血を防ぐ。出来るだけ揺らさないよう気を付けながら抱き上げ、部屋を飛び出した。このままあの部屋にいては、いつまた攻撃が来るかわからない。


 不自然に静かだった。人の気配がない。ラーナやパルミラを呼んでみるが返事はなく、早々に諦めてリゼルヴィンの部屋から一番遠いところに駆け込んだ。部屋に結界を張り、下ろしたジュリアーナの腹に手を添える。


 ジュリアーナの中に、ほんの少しだがシェルナンドの魔力がある。それに混ぜていく形でリゼルヴィンの魔力を注ぎ込み、内臓を再生させる。その間にも強大な魔力を持つ者が近付いてきて、必死に焦りを抑え集中する。


 なんとかジュリアーナは一命を取り留めた。死の淵まで来ていたが、三回目を迎えずに済んだのだ。だが、しばらくは目を覚まさないだろう。余分に魔力を注いで、ジュリアーナの周りに強固な結界を張る。気配は迷わずこちらへ向かっている。


 心を落ち着かせ、部屋を出る。廊下に出た途端に飛び掛かってくる数本の鎖を素早く避け、飛んできた方へ走った。襲いかかる鎖は、すべて避けるか創り出した剣でいなして、その操り手に向かって剣を振り下ろす。


 加減すら考えることなく斬り込んだそれは、いつだったかシェルナンドに褒められたくらいの威力を持ち、少なからず自信も持っていたくらいのものだ。けれど簡単に避けられて、ああやはりこれはあの人に違いない、と確信する。


「一体何のご用かしらね、相変わらず物騒だわ!」

「妹の顔を見に、ね」


 低く答えられ、リゼルヴィンはぎこちなく笑う。


 シェルナンドが死んで以来、どこに行ったのかもわからなかった。生きているのか、死んでいるのかすらも。死ぬはずはないとよく理解していても、まさか死んだのではと思ってしまうほど、不安定だったあの人。


「本当に、久し振りね。お変わりないようで安心したわ」

「お前は随分と、変わったようだ」

「そうね、あなたがいない間に、私はすっかり変わったわ。妹はすぐに成長するのよ、知らなかったかしら」

「それは初耳だ、覚えておこう」


 闇に話しかけている気分だった。皮肉にも、闇を背負ったのはリゼルヴィンの方で、『彼』は光を背負わされたはずなのに。

 鎖はもう飛んでこない。剣をいつでも振れるようにはしつつ、ゆっくりと声の方へ向かった。

 段々と、その人の輪郭が浮かんでくる。見覚えのある顔に、見覚えのある体つき。確か、シェルナンドは「中性的」と表現していた。


「――痩せたみたいだな、リゼルヴィン」

「やつれたのよ、馬鹿。お姉さまと呼べばいいのかしら、それともお兄さまがいい? 特別に選ばせてあげるわよ。あの日まで、何と呼んでいたか、もう覚えていないの」

「好きに呼べばいい」

「あらそう。じゃあ、『お兄さま』と呼ぶわ」


 ぴりぴりと張りつめた空気の中、会話だけは和やかとも言えた。

 溜め息を一つこぼし、リゼルヴィンはキッと『彼』――または『彼女』――の目を睨みつける。


「何の用でここに来たのかしら、お兄さま。私の大切な人たちを殺しに来たのなら、ぶっ潰してあげるけれど?」


 ふ、と『彼』が笑う。裏のない笑みに見えるのに、目だけは虚ろだった。


 リゼルヴィンが狂うより前に、とっくに『彼』は狂っていた。けれどシェルナンドとリゼルヴィンといたときは、まだましだった記憶がある。変わらないとは言ったものの、少しずつ、確かに変わっているのだろう。


「大切なものを得て、幸せか」

「ええ、幸せよ。当然じゃない」

「あの頃よりも?」

「比べられるわけ、ないでしょう」

「……ああ、そうか、そうか、なら、いい。もう、いい」


 軽口は急に終わる。昔を思い出し、少なからず油断していたリゼルヴィンの額に、杭が撃ち込まれた。

 まったく見えていなかった。相変わらず物騒で、相変わらず強い。


「信じてた。信じてたのに、信じて」

「……何言ってるのよ、人の話、聞いてたの」

「今の方が幸せなんだろ、お父さまと、私といたときより、幸せなんだろ」

「人の上で泣かないでちょうだい。まったく、どっちが先輩だかわからないわ」


 手首程の太さの杭は、リゼルヴィンの頭蓋骨など簡単に砕き、深く深く突き刺さる。倒れたリゼルヴィンに馬乗りになり、泣きわめく『彼』がどうしようもなく哀れに見えた。

 この程度のことでリゼルヴィンがくたばるわけもなく、自ら杭を引き抜きながら、呆れて溜め息を吐いた。


「あの頃と今とを比べてしまったら、私もあなたみたいになる。本物の『黒い鳥』になってしまう。私がいいたいこと、わかる?」

「……わからない」

「あなたたちといたあの頃が、それだけ幸せだったっていうことよ、馬鹿」


 こんな再会ではあるが、リゼルヴィンは『彼』と会えたことを密かに喜んでいる。ないとは思うが、シェルナンドのように『彼』を手なずけて、悪い方に利用されているのではと心配したこともあった。リゼルヴィンも不安定なところにいるが、『彼』だって、不安定すぎる。その力を知っているからこそ、リゼルヴィンは『彼』の絶望を恐れていた。そしてきっと『彼』も同じ理由で、多少はリゼルヴィンの絶望を恐れているだろう。暴走を止められるのは、お互いだけだから。


 頭の再生にそう時間はかからない。呆けた顔をした『彼』を押しのけて立ち上がる。


「いつまでも、あなたに負ける私だとは思わないで」


 その言葉を合図に、リゼルヴィンが反撃に出る。不可視の刃を『彼』へ向け、一斉に放つ。『彼』も反射的にそれらを打ち落とし、鎖を投げつけてくる。


 『彼』はリゼルヴィンを圧倒する魔力の持ち主とされている。シェルナンドがそうであれとしただけで、生まれ持った魔力量はリゼルヴィンの方がはるかに上を行くが、しかし『彼』に施された細工は、凄まじい量の魔力を生み出すことを可能にした。その代償として、『彼』は魔法を使用する度に体が崩れていく。大きすぎる魔力、本来持つべきではない魔力を無理に使うからだ。


 ただし、『彼』は決して死なない。どこまでも、何をしても『死ぬ』ことはあり得ない。


 そんな『彼』を殺すことは不可能だ。シェルナンドの研究の集大成とされているリゼルヴィンでも、失敗作とされている『彼』を殺せはしない。それは『彼』も同じで、『彼』もリゼルヴィンを殺せない。


 無数の鎖がリゼルヴィンを捕えようと襲いかかる。剣を創り出し鎖を叩き斬れば、剣も鎖も壊れる。何度も同じことを繰り返し、合間に『彼』へ刃を飛ばす。もちろん撥ね返されたものの、『彼』がかつてと変わりない魔法の使い方をしていると確信した。


 死なない代わりに、『彼』は一瞬だけ動作を止める癖がある。体の再生に魔力を分配するためだ。タイミングを見計らい、普通の人間であれば見逃してしまうほどのそれを、リゼルヴィンは見事に突いてみせた。


「これでおしまいよ、お兄さま」


 縄を創り出して『彼』の足に引っ掛ける。体勢を立て直すため隙を見せた『彼』に飛び掛かり、押し倒した。

 やはり、間近で見る『彼』は、三年ほど前に見た『彼』と少しも変わらない。少女のような姿で、とても美しいのに、表情だけは酷く暗い。


「弱くなったな、リゼルヴィン」

「……何よ」

「弱くなった、本当に」


 『彼』の首元に剣を向け、こちらの勝ちと言ってもおかしくはないというのに、『彼』はがっかりした顔でリゼルヴィンを見る。


「昔なら、ためらわずに殺したはずだ」

「あなた以外ならそうしたわ」

「そんなことはない。きっと殺せなかった。……大切なものが、出来てしまったんだね」


 『彼』がリゼルヴィンの頬を撫でる。ひどく優しい手つきで、慈しむように。

 その手つきに嫌な汗が背中を伝った。リゼルヴィンは、自分がどれだけ弱くなったかを知っている。だが、認めたくなくて、目を逸らしていた。


「――お父さまが言っていただろう。大切なものは、持つべきではないと。その存在は、強さの妨げになると」

「わかってるわよ。でも、仕方ないじゃない」

「お前は昔からそうだった。単純すぎる。そこが、いいところでもあるけれど」


 ゆっくりとリゼルヴィンをどかして、彼が立ち上がる。今度は敵意を向けてこなかった。


「情が湧くのが早い。一度助けたら何度でも助け、一度内側に入れたら何をされても味方として扱う。それで、どれだけ裏切られてきたか」

「……あなたも同じでしょう」

「そうだね、お前も俺も、自覚している。お父さまが『そうであれ』としたから」


 すべて自覚していながら、リゼルヴィンも『彼』も、決して正そうとはしない。自分たちがどれだけずれているか、よく知っているというのに。


 それは父との――シェルナンドとの約束だから。「そうであれ」と言われたから。シェルナンドに教育された二人にとって、ただそれだけを純粋に守り続けることが出来る。そこに、シェルナンドへの疑いはない。例え、どれだけ不幸な目に遭ったとしても。


「忠告に来たんだ」


 壁や天井に突き刺さり、通路を狭めていた鎖を消しながら、『彼』は感情を滲ませずに言う。


「弱いままだと、お前は死ぬ。そのとき俺は助けてやれない。目覚めるのは近く、眠りもまた近い。望んだものは手に入らず、絶望だけがリゼルヴィンを救う。けれどそれも束の間の希望。殺す剣はすでに偽善者の手にある」


 物語を読んで聞かせるかのようなそれに、リゼルヴィンは眉を顰めた。『彼』の予言のような言葉はよく当たる。わかりにくいが、きっと今のは「近いうちにリゼルヴィンは死ぬ」と言いたいのだろう。


「心外だわ。私は死なない。死ぬはずがないのよ」

「馬鹿だな、リース。死ぬはずがないのは誰だってわかっている」

「なら――」

「でも死ぬんだよ。お前も本当はわかっている。わかっていて、受け入れたくなくなっただけだ。今が幸せすぎるから。その時になれば、きっとお前は喜ぶよ」


 にやりと笑う『彼』を恐ろしく思う。本当はあなたが死にたいくせに。言いかけた言葉を呑み込んで、同じように笑って『彼』に提案した。


「地下に、お父さまの肖像画があるの。見て行かない?」

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