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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
89/131

6-1 賢王

 ここ数日、シェルナンドは屋敷に戻っていない。


 そのせいかリゼルヴィンはいつにも増して元気がなく、部屋に籠りきりでなかなか出てこない。ハント=ルーセンとの交渉もそろそろ終わりに近付き、明日にはリゼルヴィンも王城へ上がることになっているが、このままだとそれすらも体調不良などを理由に断りそうな雰囲気だ。


 だが、ジュリアーナはあえて、この時を選んだ。


「あの男がいる間には、聞けませんでした」


 椅子に座り、興味なさげに本を眺めていた目の前のリゼルヴィンは、いつもの曖昧とも言える柔らかな笑みを浮かべている。

 この時を逃せば、もうしばらくは機会を得られないだろう。最悪、リゼルヴィンに嫌われてしまうかもしれない質問だ。知らずにいても何も変わらない。けれどジュリアーナは、どうしても知りたかった。


「三年前、主さまに、何があったんですか」


 ぴくり、とリゼルヴィンの眉が小さく動いた。

 この街で、そのことを気にする者は少ない。この街の住人は皆、それぞれ闇を抱えている。リゼルヴィンも同じだ。


「それを聞いて、何かあなたが得るものはあるのかしら」


 表情こそ変わらないものの、静かな怒りを湛えているのを感じる。

 明らかな拒絶。しかしジュリアーナは、退けなかった。


「私は」


 声の出し方を忘れてしまったかのように、ジュリアーナの舌は、上手く言葉を音に変えられなかった。まるで、リゼルヴィンに救われる以前のように。


「私は、知りたいと、思っています。何も得ずとも、主さまのことならば、どんなことでも知りたいと思っています」

「それを私が望んでいなくて、話すから二度と顔を見せるなと言われたとしたら?」

「それでも知りたいです。主さまに嫌われても、傍にいられなくなっても、主さまのすべてを知りたいと思ったんです」

「……そう」


 救われたから、救いたい。ずっとそう思ってきた。


 ようやくそれが叶わないと気付いたのは、つい昨日のことだった。

 リゼルヴィンがまた拾ってきた、あの赤毛の男。敵であるはずの『アルヴァー=モーリス=トナー』であった男が、ジュリアーナに囁いたのだ。


 ジュリアーナが思っているほど、リゼルヴィンの闇は浅くないのだと。


 誰にも救えないほど、リゼルヴィンは沈んでいる。そんなことを言われても、ジュリアーナは誓いを曲げるつもりはなかった。

 だがリゼルヴィンを見てみれば、どうだ。リゼルヴィンはジュリアーナの手など必要としていない。途端にむなしくなったが、ならばせめて、すべてを知りたいと思った。

 救えないのならば、リゼルヴィンの抱えるすべてを知り、少しでも分けて楽になってもらいたい。


 そう、素直に話せば、リゼルヴィンは苦く笑った。


「人はね、痛みを分け合うことなんて出来ないのよ」


 返された言葉は、やはり拒絶だった。ジュリアーナが俯きかけたとき、徐にリゼルヴィンが立ちあがる。

 何かあったのかと見つめるジュリアーナの視線に気付いたリゼルヴィンは、悪戯っぽく笑って見せた。


「私のすべてを知りたいだなんて情熱的なこと、初めて言われちゃったわ。ここは期待に応えて、お望み通り私のすべてを話してあげるしかないわね」


 どうせいつかは話さなきゃならかったもの、とジュリアーナを抱き寄せたリゼルヴィンは、少しだけ震えていた。

 しばらくそうして、放されて見たリゼルヴィンの顔は、先程と何も変わらない。


「お茶でも淹れましょう。長くなるわよ、覚悟は出来てるかしら?」






 リゼルヴィンの過去は、特別不幸なものではなかった。


 だからこそ真に悲劇的なのだと、シェルナンドは言う。特別不幸ではないが、幸福でもない。そうは言うものの、人としてあらゆるものが欠落したリゼルヴィンが気付かないだけで、不幸はいたるところにあったのだと。

 確かにそうなのかもしれない。しかしリゼルヴィンは、本当に悲劇なのかわからないままだ。


 リゼルヴィンが生まれた日は、激しい雨が降っていたという。

 赤子の泣き声をかき消すほど、激しい雨だった。国全域における大雨で、各地で川が氾濫し、死者も出た。


 それでも、リゼルヴィン家に二人目の子が生まれる、喜ばしい日のはずだった。――赤子の髪が、黒でなければ。


 母は生まれてきた赤子を見て、悲鳴を上げ、あまりの衝撃で失神し、しばらく寝込んでしまった。難産の後に生まれてきた我が子を抱くこともなく、生死の境すら彷徨った。

 黒は生まれるはずのない、生まれてはならない色だ。伝説の『黒い鳥』、それを産み落としてしまった母の心は、そこで壊れてしまったのだろう。


 なんとか命を繋いだ母は、けれどその我が子を愛することはなかった。代わりにその姉を溺愛し、次女の存在を忘れようとしているようだった。


 不思議なことに、次女は一度も名前で呼ばれなかった。


 人前では「次女」、家では「娘」。両親は決して名前で呼ぼうとせず、姉もまたその両親の方針に倣っていた。当然だと思い込んでいたのは、ただの一度も名前で呼ばれた記憶がないからだろう。


 姉のレベッカは活発で優しい人だった。母からはないものとして扱われ、父からも腫物を扱うようにされていた次女と、唯一仲良くしてくれていた。

 しかし、根本的な部分で、姉と次女とは相性が悪かった。外交的な姉と内向的な次女とでは、趣味も何もかも、幼い時分の拙い人生の方針すら違ったのだ。姉は良かれと思ってやっていることが、次女にとっては苦痛でしかなかった。次女はそのことに気付いてはいなかったけれど。


 当時の国王、シェルナンド=ヴェラール=エンジットとリゼルヴィンの次女との出会いは、次女が七つになったその日のことだった。


 誕生を祝うことなどなかった父が、初めて次女と手を繋いで王城へ上った。リゼルヴィン家から王城へ一直線で行ける、当主となる者しか教えられないという道を行く。二人きりの道中、父は一言も喋らず、次女も何も言わなかった。


 次女は、王城は人の多い場所だと思っていたが、王に会うまで誰一人も見かけなかった。

 家を出る前に、父にこれから辿る道順を必ず覚えていろときつく言われていたため、次女は目だけを動かして見える風景をすべて記憶した。道中、言葉を発しなかったのは、それだけで必死だったこともある。


 ふと父が立ち止まった部屋は、見るからに重々しい雰囲気だった。扉には王家の紋章が大きく彫られている。一目で、王の部屋とわかった。

 次女はその雰囲気に圧倒されていたが、父は慣れているらしく、平気でその扉を叩く。すると独りでに扉が開き、やはりそれが当然のことのように、父が部屋へ足を踏み入れる。


「ほう、それが貴様の次女か」


 どこか人を見下した色のある声に、次女は慌てて頭を下げた。その様子に、何が面白いのか苦笑される。

 父がぱっと繋いでいた手を解き、急に不安になる。解放されてしまった手は行き場を失い、無意識にスカートを握る。


「顔を上げよ」


 王にそう言われてしまってはどうしようもない。びくびくしながら顔を上げれば、見事な金がまず目に入った。この世のものとは思えない、見事な金髪。そして、どんな絵画でも見たことのない、深く輝く青い目。

 一目で次女は王に魅了された。射抜くようにこちらの目を見る王に、すべてを捧げてもいいと思えてしまった。それは、四大貴族に流れる血に刻まれた、本能のようなものだったのかもしれない。


「名は」


 短く問われ、困惑する。次女は今まで名前で呼ばれたことがない。自分の名前が呼ばれないことは当然だと思っていたが、それが間違いであると、このとき初めて自覚した。


「その様子だと、命じた通りにしているようだな」


 答えられない次女を見て、王が笑う。

 カッと頭に血が上った。次女は込み上げる言いようのない感情に戸惑い、初めての経験に、衝動に身を任せるしかなかった。


「私はリゼルヴィンです。リゼルヴィンの次女、その揺るぎない事実の前に、名などあってもなくても構いません。どうぞ短くするなりお好きにお呼びください」


 およそ初対面の相手、しかも国の頂点に立つ人間に言うような言葉ではなかった。次女も、目の前の相手がどんな人物かなど、よく理解している。しかし、言わずにはいられなかった。次女自身にも、理由はわからない。


 父は何も言わなかったが、内心焦りはしたのだろう、ちらりと見上げると目が少し泳いでいた。次女はようやく、恐ろしくなる。

 王は、しばらく次女を見下ろした後、にやりと笑った。


「それが初めてか」


 何を問われているのか理解出来ず、次女はぽかんと間抜け面を晒す。それを見て、また王が笑った。

 王は父を退出させ、次女と二人きりになる。渋っていた父だったが、必ずや無事に送り届けるとまで王に言われてしまえば出ざるを得なかった。


「リゼルヴィンの次女は『黒い鳥』だと、この七年、国中が静かに騒いでいる」

「存じております」


 生まれてずっと言われてきたことだ。リゼルヴィンの次女は『黒い鳥』、自分でもそう思う。

 リゼルヴィンの血筋に生まれるはずのない、黒髪に黒い瞳の子。幸い次女の瞳は琥珀色だったが、この王が民に説明をしなければ、きっと次女は今、ここに存在しない。


 けれど、それでも民は恐れるのだ。国を壊滅へと導く可能性のある存在が育ち続けるのは、いくら王の言葉で否定されているとはいえ、心配でたまらない。神話を深く信じるこの国の民はそういうものだ。


「余がどれほど説明しようと、貴様が存在し続ければ、いずれ必ず災厄を引き起こす。貴様、何度殺されそうになった」


 どうして王がそのことを知っているのか。次女は驚いたが、素直に答えた。


「三度、わざわざ屋敷に暗殺者が送り込まれました。外出した際のものを入れると、もう少し多くなります」

「どのような状況だった」

「一度目は私が生まれたばかりのことで、首をひねられそうになっているところを父が発見しました。二度目は自室で読書をしている際に、乳母に突然、刃物を向けられました。三度目は、新人の侍女に毒を盛られました。後に調べたところ、どれもよく教育された暗殺者だったそうです」

「ほう」


 すべてリゼルヴィン家の総力を挙げて隠し通した事柄だった。リゼルヴィン家であるからこその裏世界の繋がりも、使えるものは何もかもを使って。しかし、今も様々な方面から、次女は狙われている。


 王は淡々と話す次女を、頭からつま先までを値踏みするように眺める。そして、とんでもないことを言いだした。


「これより貴様は余の所有物となる。異存はないな」


 次女は答えられなかった。『黒い鳥』であると疑いをかけられている以上、いつかは『王家の奴隷』として従えられるのだと理解はしていた。しかし、こんなにも簡単に言われてしまえば、なんとなく反抗したくなる。

 先程のように、ふつふつとした怒りが湧き上がってくる。家族に対して抱くことは一度もなかった感情に、やはり戸惑う。呑みこまなければならないとは思っていても、口は開いてしまう。


 そんな次女の様子を笑いながら、こちらに歩み寄ってきた王は、ぽん、と次女の頭に手を置いた。


「心配することはない。貴様を使いはするが、必ず満足のいく生を歩ませてやる」


 ――忌まわしい子、生を呪ってさっさと死ねばいいのよ。


 ふとした拍子に正気を取り戻した、母の声を思い出す。すぐにまた壊れた目をして、次女が見えていないかのように去ってしまった母は、確実に次女の不幸を願っていた。母のようにはっきりとした態度は取らないものの、父もきっと、不幸までは願わなくとも、幸福を願うこともないのだろう。


「約束してやる。貴様が余の望み通りに動くならば、貴様の望みもすべて叶えるとな」

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