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戦争というものは、多くを消し去ってしまう。此度の戦争で、どれだけの人間が死んだことか。表向きには公表されていないものの、フロランスの死もこれに関わっている。最終的に勝ったからまだいいものの、エンジットが失ってしまったものも多い。
「エーラは戦争が嫌いなのよ。そのうち、対策に何か法を作るかもしれないわね」
そう言いつつ、リゼルヴィンは顔を歪めた。
エグランティーヌの戦争嫌いはずっと前から変わらない。そんなものをしても、結果的に得るものより失うものの方が多いと考えているのだ。それは間違いではなく、むしろ正しいことなのだが、それがなくてはならないものであり、それに支えられて生きている者もいるということも考えなくてはならない。エグランティーヌも、ずっと悩んでいる。どちらも理解しているからこそだ。
ジュリアーナは表情を変えずにリゼルヴィンの少し後ろを歩く。街はまだ静かだが、あと一時間もすれば賑わうだろう。
街の端の、誰も住んでいない建物に入る。その地下室へ下りた。
そこには、赤毛の男女と茶髪の女がいた。
どちらの女も死んだように眠っている。石が剥き出しの床と壁は冷たく、灯りもない。
「連絡に来る予定だった女ですよ。捕まってるだろうとは思ってたものの、まさか生かされていたなんて予想外です」
「『アルヴァー=モーリス=トナー』だもの、簡単に殺すより、生かしてすべて吐かせた方がいいわ」
「ええ、本当に。リゼルヴィンさまは賢い人ですね」
「思ってもいないことを言わないでちょうだい、アル」
呆れた表情を向けたリゼルヴィンに、アルと呼ばれた男はへらりと笑った。
「しっかし、死ねばいいものを、敵に捕まるだなんて『アルヴァー=モーリス=トナー』も地に堕ちたもんだ」
赤毛の女を乱暴に蹴飛ばし、アルはそう吐き捨てた。嫌悪を露にし、何も反応しない女を見下ろす。
「こっちまで弱く見られる。迷惑なもんですよ」
「かつての仲間を、心配したりはしないのかしら」
「仲間ってもんじゃないっすよ、俺らに仲間意識なんてこれっぽっちもありません」
「そう。それにしては、結構な連携に見えたけれど」
「俺らは仲間じゃありません。仲間ってもんは、別々の人間が別々のままに繋がるようなもんだ。でも、俺らは違う。俺らはそんな生ぬるいもんじゃありません」
アルは冷たい目をしていた。それを見て、リゼルヴィンはアリスティドを思い出す。彼もかつては同じような目をしていた。
それは、自我を殺し、ただ目的のために、ただ命じられるままに動く人間の目だ。
「俺らは『アルヴァー=モーリス=トナー』という、たった一人の人間なんですよ。俺らって言うのもおかしいくらいに、複数でありながら一つなんです。だから、個体名はない」
不思議な話だったが、なるほどと納得する。
彼らはきっと道具だったのだ。リゼルヴィンを殺すための、替えの利く道具。名を与えられなかったのは、極限まで個々の自我を消し去るためだろう。
名前はその在り方を表す。それ自体が存在の証明となり得るのだ。魔法を扱う者にとって、基本中の基本である。
「一人の人間の、細胞みたいなもんですよ。俺らにもいろんなやつがいる。魔法が得意なやつや、頭がいいやつ、戦うのが得意なやつ。そんなやつらが集まって『アルヴァー=モーリス=トナー』を形作ってんです。替えだって利くもんだから仲間意識が生まれるようなこともない」
「……そう」
魔導師や魔法使いにまともな人間はいない。自らの好奇心の探究を優先する人間も多いのだ。そのためには、一般的に悪とされることも躊躇いなく行ってしまう。
とはいえ、大多数がそんな人間だというわけではない。
良心ある者は、人を作り変えるような真似はしない。
リゼルヴィンは決して良心ある者とは言えないが、自らが操る魔法に絶対の自信と誇りを持っている。くだらないことに魔法を使っているように見えるが、その実高度なものばかりを使っているのだと、見る者が見れば一目でわかる。わざわざ作り変える真似をしなくても、操るくらい造作もないことだ
「あなたたちを作った魔法使いは、感心出来ないわね」
「へえ、リゼルヴィンさまは、こういうの好きそうだと思ってましたけど」
「嫌いよ。無駄よ、こんなものに魔法を使うなんて。回りくどい方法を取るより、直接殺した方が早いじゃない」
「それはリゼルヴィンさまが強すぎるからですよ」
そうかしら、とリゼルヴィンは目を細めた。そう言いつつも、リゼルヴィンの強さはリゼルヴィン自身が一番理解している。
「まあいいわ。ねえ、その女、起こしてあげましょうか」
指差し、明るく言ったリゼルヴィンの目は、それまでとは一変して何も映していないようだった。笑っているのに、声も明るいのに、目だけは無だ。
なるほど、これだからあの人は、この女についているのか。納得し、アルも声を上げて笑いたい気分になった。確かに、何を敵に回してもこの女を間近で見ていたいと思える。自覚のないあの人も、自分と同じで確かに『アルヴァー=モーリス=トナー』なのだ。
「お願いします。こいつに言いたいことはたくさんあるんでね」
アルが頷いたと同時に、リゼルヴィンが指を鳴らす。
すると、赤毛の女の目がすっと開いた。目の前の味方と、何故かすぐ近くにいる敵とを見、きょろきょろと辺りを見渡す。
「目覚めはどうです?」
「……ちょっと、これはどういうことよ」
女はすぐに立ち上がり、二人ともから距離を取る。ジュリアーナが女を押さえようとしたが、リゼルヴィンはそれを手で制した。
「随分ぐっすり眠っていたようだけれど、敵に生かされた気分はどうかしら」
「最っ低よ!」
そう言いながら、起きたばかりだというのに元気そうで、この女がそれなりの実力者であることをよく表していた。
けれど、この態度はよくない。
「状況を理解出来ていないようね」
ふ、と笑う。今度は指先すら動かさずに、魔法を発動させる。
細い針のようなものが女の首に飛んできた。少しでも身動ぎすれば刺さりそうな距離で止まったそれに、リゼルヴィンは、毒が塗ってあると言った。
「ちょっとでも刺さったら、あなたは死ぬわ。その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしながらね」
「……これくらいで、怯むとでも思ってるのかしら」
「あら、あなたのそういう強がりなところ、嫌いじゃないわよ。吐き気がするくらい気持ちが悪いわ」
同じものを、女の急所のいくつかに飛ばす。これで、女は完全に動けなくなった。
アルはそんな女を、心底軽蔑した目で見ていた。笑みも段々と消えていく。
「リゼルヴィンさま、やっぱり、俺にやらせてくださいよ」
溜め息を吐いた後、アルがそんなことを言った。女と同じ赤い髪が揺れ、リゼルヴィンに近付く。
その様子を見て、女はアルが今はもう味方などではないと悟る。アルはそんな女を、頭の弱い女だと吐き捨てた。
「俺らが何を教えられて来たかも、わかんねぇんだな」
口調が荒くなる。不機嫌に細められた目を横から見て、リゼルヴィンは女に向けていた針を消した。
「好きになさい。どうせあなたに吐いてもらうつもりで、この女はそろそろ処分するつもりだったから」
「助かります。でも、申し訳ないことに、俺もこいつも下っ端なんですよね。そういい話は出来ませんよ」
そんなことは、わかりきっている。
リゼルヴィンは笑う。
「もとより期待はしてないわ」