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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
85/131

5-5

 白く滑らかな肌に手を添える。それだけで、細い首が少し跳ねた。

 シェルナンドはそのままぐっと力を入れて、首を絞める。涙を流しながらシェルナンドを見つめるリゼルヴィンは、苦しみながらもその青い目に救いを見出していた。


 もっと強く、もっと苦しめてくれ。そう望んでいるように、シェルナンドの手を取り、リゼルヴィンは自らの首にそれを押し付ける。

 その願いを叶えてやるため、シェルナンドもまた、確実に殺せるよう体重を掛けながら絞め続ける。

 死ね、呟いた言葉に憎しみも殺意も込められておらず、シェルナンドはただ事務的にリゼルヴィンを絞める。


 手の中で、死の音がした。


 それが終わりではないことを、シェルナンドは知っていた。きちんと殺せているか確認した後、ベッド近くの椅子に座り、サイドテーブルに置いていた酒を飲む。以前は王であったとは思えぬほど、その動作に優雅さはない。

 一気に煽った酒は高価なものではあったが、旨くはなかった。顔を顰めて、未だベッドの上で死んでいるリゼルヴィンを見る。


 しばらく、静寂が部屋に満ちる。


 ぴくりと指が動いた。リゼルヴィンの薄い胸が、ゆっくりと上下する。


「……遅かったな」


 リゼルヴィンの目がシェルナンドを見つけるまでに、時間はかからない。琥珀の目がシェルナンドを見つけ、あからさまに安堵する。


「もう、いくつも……消費しましたから」


 掠れた声が答える。まだ動けはしないらしく、二、三度起き上がろうとしたが叶わず、諦めて寝転がったままだ。


「どれだけ殺した」

「ええと、それは……」


 上手く答えられずにいたリゼルヴィンに、シェルナンドが大きく溜め息を吐いた。

 リゼルヴィンの目に怯えが滲んだ。二度目の溜め息は飲み込み、言葉を変える。


「どこまで覚えている」

「五百を超えてすぐのところまでは覚えています」

「なるほど。その程度とは、まだまだ時間が必要か」

「申し訳ありません」

「良い。許す。以前に比べれば、ましになった方だろう」


 ようやく起き上れたリゼルヴィンは、随分とやつれて見えた。細いというよりは薄いその体は、力を入れればすぐ壊れてしまいそうだ。表情には生命力そのものが抜け落ちてしまったかのように弱々しい笑みしかなく、乱れた髪もあってこの世に生きるものとは思えなかった。

 確実に、リゼルヴィンは弱り続けている。その死は近いのだろう。

 けれど、そのときが訪れるまで、リゼルヴィンは生き続ける。きっとそれは、見る者が思う程に早くは訪れない。


「湯を浴びて来い。不愉快な臭いがする」

「申し訳ありません。では、すぐに」


 一礼し、部屋を出ようとするリゼルヴィンが、ドアノブに手を掛けたところで動きを止める。

 くるりと振り向いて、無理に笑顔を作った後、上品に頭を下げた。


「殺してくださって、ありがとうございました」


 その言葉には謝罪も含まれていた。シェルナンドの生前を、今もまだ気にしているのだろう。


「余は良い娘を持ったようだな」


 シェルナンドも立ち上がり、リゼルヴィンに近付く。不思議そうな顔をするリゼルヴィンは、そう言われる歳をすでに超えているというのに、随分と幼く見えた。

 そっと抱き寄せれば、やはりリゼルヴィンからは血と死の匂いがした。


「父だからこそ、おまえを殺せる。……娘がそれで楽になれるのならば、いくらでも殺してやれる」


 こうして抱きしめれば、やはりこの娘は薄いと、危ういところに立っていると、思い知らされる。

 だからといってシェルナンドがどうこうすることはないのだが、一度娘と認めれば、欲求がシェルナンドを襲う。衝動的にこの娘を絞め、殴り、踏みつけ、殺したくなる。リゼルヴィンは、そうするには都合が良すぎる娘だった。


 シェルナンドは、娘を殺したい。

 リゼルヴィンは、誰かに殺されたい。

 利害の一致に多少の情が移っただけ。この二人は、ただそれだけの関係だった。父娘の関係を結んでしまったがために、リゼルヴィンはシェルナンドに殺されるようになったのだが、それでリゼルヴィンは精神の安定を保っている。


 何より、リゼルヴィンを認めたのは、シェルナンドだけだった。


「ありがとうございます、お父さま」


 シェルナンドの腕の中からするりと抜けだし、また頭を下げたリゼルヴィンは、先程よりいくらか明るい顔をしている。少し頬も赤い。

 笑顔が似合わない女だと思う。反対に、笑顔が良く似合う女だとも。

 扉が閉まる音を聞きながら、元の椅子に座り直し、また酒を呷る。

 なんとなく、雨の気配を感じた。





 ジュリアーナを呼び出そうとしたとき、すでに彼女はリゼルヴィンの部屋の前で待機していた。シェルナンドと分離して以降、以前にもまして熱心に世話してくれるジュリアーナを頼もしく思いながらも、体を壊してしまわないか心配になる。文字通り、昼夜問わず働いてくれるのだ。


「お湯の用意は出来ています」


 いつもの無表情で言ったジュリアーナを抱きしめようとして、やめる。つい先程シェルナンドに臭いがすると言われたばかりだ。自分ではもう慣れてしまって平気だが、きっとジュリアーナも気持ち悪く思うだろう。


「ありがとう、ジュリアーナ。籠か何かはあるかしら」

「こちらに」

「流石ね。よくわかってくれているわ」


 脱いだ服をジュリアーナが手にした籠に放り投げる。冷静になってみればどうしてこれで違和感なく着続けられていたのか疑問に思う程、その服は穴だらけだった。これで人前に出ていたのだ、そう考えると恥ずかしくて、もう一度シェルナンドに殺してもらいたくなってしまった。


「それは捨てておいて。もう繕えないでしょうし、新調しちゃいましょう。リズにそう伝えておいて」

「承知しました」

「あと、シーツにも血がついてしまっているかもしれないから、それも後で新しいものに代えておいて。今は陛下がいらっしゃるから、朝になってからで構わないわ」


 一通り指示を出した後、リゼルヴィンは一人で浴室に入っていった。リゼルヴィンに手伝いはいらない。身の回りのほとんどのことは、一人でこなせる。

 万が一のために待機していたジュリアーナを呼んだのは、ただの気まぐれだった。とても気分が良かったからだろう。


 話し相手になって、と言われたジュリアーナは戸惑い、初めは断られたものの、続けて頼めば渋々頷いてくれた。


「今日はね、たくさん殺したのよ」


 湯船に浸かりながらそう話すと、ジュリアーナが少しだけ眉を顰めたように見えた。

 ジュリアーナはあまりこういう話を好まない。それも、リゼルヴィンが話すときだけだ。


「あんまり殺しちゃったものだから、我を忘れてしまったわ。本当、私って駄目ね。でもよかったこともあったのよ。前よりましになったって、陛下に褒められちゃったの」

「それで、そんなに嬉しそうなんですね」

「そう。今はとってもいい気分だわ」


 好まずとも話には付き合ってくれるジュリアーナが、リゼルヴィンは好きだ。真剣な目でリゼルヴィンの言葉に耳を傾けてくれる。これ以上嬉しく思うことはそうそうない。

 ジュリアーナの右目は、未だ包帯で隠されている。そこにシェルナンドの眼球が入っていると聞かされたとき、少しだけジュリアーナが羨ましくなった。


「……いいわね、ジュリアーナは」


 そのときのことを思い出し、そう溢してしまった。

 無表情のまま小首を傾げたジュリアーナは年相応に見えて、この少女を救ってよかったのだと思える。


「可愛らしくて、賢くて。私にはないものを持ってる。私なんか欠点ばっかりよ」

「……そうでしょうか。私は、不可能のない主さまに、欠点があるようには思えません」

「ふふ、嬉しいことを言ってくれるわね。確かに私に出来ないことはないけれど、それは欠点がないとは言えないわ。たくさんあるのよ、欠点なんて」

「主さまは、完璧です。私は主さま以上に素晴らしい方を見たことがありません」

「ありがとう。そう見えているのなら、嬉しいわ」


 ジュリアーナの目はやはり真剣で、そこに偽りは一つもない。

 彼女の目にはそう見えているのだ。望んだ姿に見られていることは嬉しいはずなのに、何故だかリゼルヴィンは虚しくなる。


「今、どのくらいかしら」

「月が真上にあります」

「そう、それは丁度いいわね。二日目が終わったわ」


 事情を知らないジュリアーナは不思議そうにしたが、あえて踏み込むような真似はしない。

 そこがまた、リゼルヴィンがジュリアーナを気に入った理由の一つだ。


「もうすぐ、終わっちゃうわねえ……」

「主さま?」

「何でもないわ、気にしないで。時が来たらわかるわよ」


 ジュリアーナには、まだ何も伝えられない。リゼルヴィンを慕い、よく仕えてくれるジュリアーナに伝えてしまえば、全力で邪魔をされてしまうだろう。

 邪魔をされて止めるリゼルヴィンではない。だが、何かの拍子にジュリアーナを殺してしまえば、シェルナンドに合わせる顔がない。


「陛下と、もっとお話しして、ジュリアーナ」


 シェルナンドはジュリアーナが嫌いなわけではないと、リゼルヴィンは思っている。むしろ、その逆だとすら。

 そうでなければ、ジュリアーナが今こうして生きていることに説明がつかない。シェルナンドは余計なものを抱えない主義だ。嫌いなものを、その目の届く場所に置くわけがない。依り代として生かしているわけでも、ないだろう。


「将来的には、ウェルヴィンキンズをあなたに任せることになるかもしれないわ」

「私、ですか」

「ええ、あなたに。リズはきっと駄目、キャロルも駄目ね。ラーナやパルミラには断られるでしょうし、何より向かないわ。あの子たちはもっと違う才能があるもの。セブリアンにはもう随分と前に断られているし、ルーツは人形を作っている方が向いている。だから、あなた。あなたなら、私も安心して任せられるわ」

「ですが、主さま。主さまがいらっしゃいます。主さま以外が、この街を治めるなど……。それも、私などが務まるはずがありません」

「そうかしら。まだ先のことではあるけれど、少し考えていて」


 ジュリアーナが眉を寄せた。こういう話をすると、必ずと言っていいほどする表情だ。

 この街に連れてきたときとは大違いだ。まだまだぎこちなくはあるが、もう少し時間があれば、きっとジュリアーナが他の表情をする日もくるだろう。

 その場に自分もいられるなら、どれだけいいだろう。そう思いながら、リゼルヴィンは溜め息を吐いた。


 決心が揺らぐ。けれど、もう後には引けない。


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