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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
83/131

5-3

 それからのリゼルヴィンは恐ろしいものだった。


 様々な方面の知り合いに連絡をし、協力を要請し、リゼルヴィン自身が集めた情報をすべて見直した。膨大な量の情報を処理し、決定的な一つを見つけ出すまでに、たっぷりと一日かけた。


 その結果、リゼルヴィンが手にしたものは、驚くべき事実であった。

 この戦争のきっかけとなった事件。それはリゼルヴィンが起こしたものだった。しかし、元はといえばフロランスが命じたもの。

 おかしいとは思っていた。他でもないフロランスがあのような命令を下すとは、リゼルヴィンも信じられなかった。


「フロランスは脅されていたのよ。ハント=ルーセンから送り込まれた、ある男に」

「こちらでもその証拠は押さえました。もう言い逃れは出来ません」

「そう、ご苦労様。もう帰っていいわよ、ゆっくり休んで」


 報告書を持ってきたアリスティドが頭を下げる。それを見るリゼルヴィンの顔は、いつもの余裕ある表情ではなく、淡々とした冷たさを感じさせる表情だった。


「それでもまだ誤魔化すようであれば、俺のことを」

「ええ、そのときは充分に使わせてもらうわ」


 元々アリスティドは、ハント=ルーセンから送り込まれた暗殺者だった。一年ほど前、ニコラスを殺すためにエンジットを訪れ、不覚にもリゼルヴィンに気付かれてしまった。先回りされ捕まったのだが、どういうわけか今も、アリスティドは生きている。

 念のための交渉材料として、リゼルヴィンはアリスティドを生かしておいたのだ。それが役に立つときが、来るかもしれない。

 覚悟はしていた。何のために生かされてきたかを、アリスティドは間違いなく理解している。


「しばらく、私の目の届く範囲にいてもらうわ。いいわね」

「当然です。主さま」

「……初めからこうするつもりだったのに、おかしいわね、少し寂しいわ」


 リゼルヴィンのやはり淡々とした言葉に、アリスティドは戸惑う。


 ウェルヴィンキンズで暮らすようになり、リゼルヴィンを主と呼び、時にその手足となり動いてきた。その間、リゼルヴィンはアリスティドに親しげなまなざしを向け、元よりウェルヴィンキンズにいたセブリアンや、アリスティドより前にやって来たというルーツと同じように接してくれていた。二人の間で密かに交わされていた約束を誰にも悟られぬよう親しくしていた。だが、確かに引かれていた線を越えようとすることは、一度もなかった。


 それなのに、今、その線をリゼルヴィンは越えてしまった。


 微笑みはない。声に柔らかさもない。

 リゼルヴィンは、アリスティドが見たことのない顔をしている。


「一日、終わったわ。あと、二日」


 空が白んでいく。光が徐々に満ち、空気が温められていく。


「……今日は雨が降るわよ」


 そう言い残し、リゼルヴィンはアリスティドに背を向けた。

 リゼルヴィンの見つめる方向には、ハント=ルーセンの本陣がある。一度撤退したものの、またすぐ近くまで戻ってきていた。

 空を見上げる。雲は一つもなかった。とても雨が降るようには見えない。

 けれどリゼルヴィンは、はっきりと言い放った。雨が降る。リゼルヴィンがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。


「……泣いてるんですか」


 アリスティドのその問いに、しばらく返事はなかった。

 ゆっくりと息を吐き、リゼルヴィンが振り返る。


「泣いてなんかないわ。今、私はとても、嬉しいの」


 どこまでも硬い表情だった。嬉しいと言いながら、喜びの欠片も、そこにはない。


 リゼルヴィンの背に、翼が生える。真っ黒なその翼は逞しく、片方だけでもリゼルヴィンの背丈ほどはあるように見えた。

 その姿はまさに『黒い鳥』。アリスティドには、目の前の『黒い鳥』が悪なのかどうか、わからない。


「ちょっと行ってくるわね。すぐに戻ってくるわ」


 力強く羽ばたき、ぎこちなく微笑んだかと思えば、一際強く風を巻き起こす。アリスティドが目を覆った隙に、目にもとまらぬ速さで飛び去った。


 リゼルヴィンが目指す先はもちろんハント=ルーセン本陣だ。地上から見えないほど高いところを飛ぶ。

 転移魔法を使わなかったのは、出来るだけ魔力の消費を抑えるためだ。空間を捻じ曲げる転移魔法は難易度が高く、消費量も多い。翼を創り出し、鳥のように飛んだ方が、少しだけましになる。


 ハント=ルーセンの兵士たちは、すでにほとんどが起きて活動していた。

 この日、ハント=ルーセンが早い時間にエンジットを攻撃してくることは事前に知っている。

 その攻撃をさせないためにも、リゼルヴィンはここにいる。


 ほとんどの兵士が武装を完了していた。それを確認して、リゼルヴィンはゆっくりと、ハント=ルーセン本陣のちょうど中央の広場に降り立つ。

 あちらにしてみれば不意打ちにも程がある。急に殺されるのも可哀相かと思い、どよめき武器を向けるハント=ルーセンの兵士たちに向けて、微笑んだ。


「お初にお目にかかります。リゼルヴィンと申します。どうぞ、よしなに」


 丁寧にお辞儀をして、頭を上げる。


「本日は皆様に、死んでもらおうかと思いまして、こちらを訪れた次第にございます」


 誰かが銃を撃った。何の防御もしていないリゼルヴィンの心臓を、見事に打ち抜いた。

 しかし、それが始まりの合図となってしまった。


「――ええ、こうでなくちゃ、面白くないわよね」


 確かにリゼルヴィンは心臓を撃ち抜かれた。致命傷に間違いはない。


 リゼルヴィンは、一度死んだ。


 それでも、完全に殺すには至らない。リゼルヴィンを本当の意味で殺すには、こんな鉄くずでは物足りない。

 もっと強く、凶悪とも言える武器でなければ、リゼルヴィンは殺せない。


「お返しするわね、これ」


 胸に空いた穴に指を入れ、ぐちぐちと広げながら、リゼルヴィンは体内に打ち込まれた弾丸を取り出した。

 その様子に、周囲の彼らは手を出せないほどの衝撃を受ける。自分の傷口を広げ、しかもそれが、誰がどう見ても致命傷であるとなれば、そうならないはずがない。


 異様な光景だった。異常であった。

 その場で楽しげな表情を浮かべているリゼルヴィンを、誰かが、悪魔だと言った。


 よく聞く言葉に、リゼルヴィンは更に笑みを深める。

 どこへ行ってもリゼルヴィンへの印象は変わらない。それがある意味、喜ばしいことのように感じられた。異常であると理解しつつ、それでもなお、笑う。


 まず指を鳴らした。音が周囲に広がった瞬間、兵士の三分の一が肉片となった。仲間の血を浴びながらも、残った者たちはいっせいにリゼルヴィンを攻撃した。鉄がリゼルヴィンを襲う。左手で虫を払うような仕草をすれば、リゼルヴィンに届くことなく、それらは放った者の元へ飛んで帰った。数人が運悪くそれに急所を突かれて死んだ。


 次に、リゼルヴィンは左手の親指と人差し指で輪を作り、その輪の中へ息をふうっと吹きかけた。すると、輪を潜り抜けたリゼルヴィンの息は真っ赤な激しい炎となって兵士たちを襲った。あまりの炎の勢いに、先程の生き残りの四分の一が焼け死んだ。


 懸命にリゼルヴィンを攻撃していた者たちも、それを見て圧倒的な力の差と、それのもたらす言いようもない恐怖と絶望に、一人、また一人と逃げ出していく。


 だが、正気とはとても言えない様子のリゼルヴィンは、逃げ出すことすら許さない。


 リゼルヴィンの周りに無数の剣が現れた。剣先は逃げる彼らの背に向けられている。徐に左腕を上げ、それを振り下ろす。リゼルヴィンのその動きに合わせて剣は彼らの身体を貫いた。彼らの中で、生き残る者はなかった。


 あまりの恐怖に腰を抜かし、動けない者たちだけが残った。リゼルヴィンは彼らの中から一人を選び、腕を掴んで立たせる。命乞いしつつ、泣きわめくその男に魔法をかける。いらぬ感情をすべて消し去る魔法だ。


 そして、仕上げにもう一度指を鳴らして、その男以外を殺す。


「いい? あなたはこれから、あなたの国に帰るのよ」


 近くで弾けた仲間の血肉を浴びながら、男は虚ろな目でリゼルヴィンの言葉に頷いた。


「あなたはここであったことをすべて国王に伝える。犯人は『リゼルヴィン』と、ちゃんと伝えるのよ。その後、国王の前で自害なさい」


 もう一度、男は頷く。

 満足げに笑ってから、リゼルヴィンは男を転移魔法でハント=ルーセンの国王の元へ飛ばした。血にまみれた男を見て、国王は何を思うだろう。


 リゼルヴィンは周囲を見回した。息をしている者はリゼルヴィンの他にいない。

 地には、まるで赤い雨が降ったかのように血が飛び散っている。


「……雨が、降るわ」


 その祈るような声を聞いた者は、いなかった。


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