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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
80/131

4-8

 リゼルヴィンの言葉には力がある。そして、リゼルヴィンはそう大きな声を出しているわけではないが、よく通る声だ。魅力的な声でもある。低すぎず、高すぎず、落ち着いている。聞き上手であり話し上手。それでなくとも言葉に力があるのに、そんな声を持っているため、人を思うままに動かす力は並ではない。

 そんなリゼルヴィンが口にする言葉は、男にとっては笑えてくるほど面白いものだ。思ってもないことを言う。認めたくないはずのことを言う。気にしていないように振る舞う様が、滑稽でたまらない。


 男は楽しげに笑った。リゼルヴィンも、同じように笑う。


「さあ、早く他を助けるわよ。運が良かったわね、みんな私たちに構っている余裕はないらしいわ」

「当然ですよ、死にかけばっかりなんですから」


 辺りを見回せば、怪我をしている者はもちろんのこと、怪我をしていない者もぐったりして動けずにいる。鍛え抜かれた兵士たちがこれほどまで疲弊するとは、どれほど激しい戦いだったのか、想像もつかない。


「魔導師がいたんですよ。でかい魔法を使われて、俺たちは手も足も出せなかった」

「そう、でもこちらにも魔導師はいたはずよ。エンジットで強い部類に入る人たちが」

「はじめは応戦できました。でも、相手の方が上だったんですよ。うちのはみんな、すぐ魔力が尽きました」

「ハント=ルーセンにそれほどの魔導師がいたとは思わなかったわ。やっぱり、この国は私がいなきゃ駄目ね」

「そうですよ、神のごときリゼルヴィンさまがいなきゃあ、この国はもってあと一年です」

「私がいてもいなくても、エンジットは永遠だわ。安心なさい」

「それはそれは」


 たった一夜でこれほどの被害が出た。この光景を見れば、エンジットが負けるのは誰の目にも明らかだ。


 だが、まだこちらにはリゼルヴィンがいる。最強の魔女である、あのリゼルヴィンが。


 一部の兵士たちは、リゼルヴィンに希望を見出した。恐れるべき存在であるとわかっていても、一人一人を治療してまわるリゼルヴィンは、極限の状態にあった兵士たちには聖女にすら見えてしまったのだ。

 確かにそのときのリゼルヴィンは兵士たちを労い、傷の具合を見ては顔を顰め、優しく魔法を使った。左手の手袋を外し、白い手が汚れるのも構わず彼らに触れた。それまでのリゼルヴィンとは思えない行動だった。


 それが、リゼルヴィンの狙いであったことに、彼らは気付かない。彼らにかけられた魔法は、治癒の魔法だけではなかったのだ。


「大丈夫よ、この仇は私が必ず討って見せるわ。今だけ、私を信じて」

「……偽物の信頼の、何が嬉しいんだか」


 男の言葉にも、リゼルヴィンは動じない。

 ただ、何を考えているか読めない微笑みを湛えているだけ。


「そういえば、あなたを何と呼べばいいのかしら。アルヴァー=モーリス=トナーとは呼べないわよね」

「何とでも呼んでくださいよ。俺はもう、アルヴァー=モーリス=トナーじゃない」

「名付けるわけにもいかないわ。……そうね、アル、アルと呼ばせてもらいましょう」

「お好きなように」


 たった今アルと呼ばれることになった男は、呆れ顔でリゼルヴィンを見た。この状況で呑気に笑っていられるとは。そもそも、本気で一国と一人で戦うつもりなのか。

 まったく愚かな女だと思う。だが、だからこそこの女は面白い。


 全員を治療し終えると、今度は魔導師たちに魔力を分け与え始めた。生き残った魔導師は十二人。その一人一人に少なくない量の魔力を分け与えるなど、リゼルヴィンでなければ死んでしまうところだ。今のリゼルヴィンも魔力が枯渇している状態ではあるが、立って平気な顔をしているだけでも恐るべきことである。魔法使いと呼ばれるのも納得だ。


 魔力の戻った魔導師たちは簡易テントを創り、兵士たちを休ませる。魔法を扱い魔導師は精神面が鍛えられている。この程度、と言っては何だが、学生の頃から訓練と称して地獄を見せられてきた彼らにとって、これくらいは耐えられないこともないのだろう。

 質の良いリゼルヴィンの魔力を与えられたからか、テントを創るための魔法を使っても、まだまだ元気そうにしている。


 あてがわれたテントの中、リゼルヴィンはうずくまっていた。咳き込み、頭痛と吐き気に耐えながら、疲れを隠しきれず一人でいる。

 エグランティーヌに少しは契約の力を弱めてもらったものの、やはり万全とは言い切れない量の魔力しか戻っていない。魔力を結晶化させたものを呑んでも、補える限界はある。

 それで転移魔法を使いファウストを迎えに行き、ついでにあの森で特別部隊を壊滅させ、これだけの兵士たちを癒し、これだけの魔導師に魔力を分け与えたのだ。珍しく無に近くなった魔力は、義手を保つだけで精一杯になってきている。


「もう少し、頑張りましょう。大丈夫よ、これくらい、何ともないわ」


 自分に言い聞かせながら、リゼルヴィンはエグランティーヌに思考を飛ばした。

 エグランティーヌに、通信用の黒い石のついたピアスを渡してある。いつでもどこにいても話が出来るよう、肌身離さず持ち歩くよう言っておいた。きっとエグランティーヌなら、その言葉を律儀に守って、こんな夜中でも応答してくれるだろう。


 ばちり、激しい音を立てて、右腕が落ちた。義手が外れてしまったのだ。本物の人間の腕を使ったこの義手は、リゼルヴィンの魔法で神経を繋げていた。それが、リゼルヴィンの腕と義手との境目を焼くように落ちた。少しだけ血が滴る。ああ、これはまたリズに新しい義手をつけてもらわなければ、とぼんやり考えながら、みるみるうちに腐っていく義手を視界から外した。もう、義手も保っていられないほど、魔力がない。魔力の結晶もすべて呑んでしまった。


 何度も何度も心の中でエグランティーヌを呼ぶ。早くしなければ、重たくなってきた瞼と迫る睡魔に立ち向かいながら、リゼルヴィンは友人の名を呼んだ。


『……リィゼル? どうかした?』

「ああ、エーラ……」


 すぐとは言えなかったが、エグランティーヌが応答する。安堵の息を吐きながら、リゼルヴィンは口元を緩めた。


「こっちはもう、大変よ。詳しい状況は、そっちに送った魔導師から聞いて。あと一時間もすれば、着くはずだわ」

『リィゼル? 一体何が……いや、そんなことより、リィゼルは大丈夫?』

「ぜーんぜん、大丈夫じゃないわ。ねえ、お願い、契約の力をもっと緩めて。このままじゃ、私、死んじゃうかもしれないの。ねえ、お願いよ、苦しいのは嫌だわ……」

『……』


 黙り込んだエグランティーヌ。声の聞こえる先で、エグランティーヌはどんな顔をしているだろう。嫌そうな顔をしているのだろうか。当てが外れてがっかりしないよう、期待はしないようにして、リゼルヴィンは返事を待った。

 しばらくして、エグランティーヌが咳払いをした。


『わかった、リィゼル。そっちの状況はわからないけど、リィゼルが危ない状況なのはわかった。リィゼルを信じて、魔力の制限を緩めます。自身の回復以外の用途で魔法を使うときは、絶対に報告するように』

「……いいの?」

『いいに決まってる。もう四年もリィゼルの友人をやってるんだ。……弱り切ったリィゼルの声を聞いてもなお、魔力を制限するなんて、私には出来ないよ』


 エグランティーヌが「魔力の制限を緩める」と口にした途端、リゼルヴィンの身体に魔力が満ち始めた。基本的に魔力の制限をするということは、魔力の生成を制限するということだ。エグランティーヌの言葉によって、制限されている間より格段と生成速度が速くなったのだ。

 満ちていく魔力の心地良さに身をゆだねながら、簡易ベッドに転がり、エグランティーヌに礼を言う。


『……ごめん。私がもっと、状況判断能力が高ければ、リィゼルをこんなに危険にさらすこともなかったのに』

「いいのよ、こうして、許可してくれたんだから」


 固いはずのベッドが、とても柔らかく感じる。

 おやすみ、とエグランティーヌが通信を切ろうとしたとき、リゼルヴィンは無意識のうちに引き留めていた。


「ねえ、エーラ。私、あなたにお礼がしたいわ」


 もはやリゼルヴィン自身も、自分が何を口走っているのかわからなかった。

 それはリゼルヴィンが、この戦争が始まって以来、ずっと考えていたことだった。隠していたわけではないが、結果的には隠していたことになる事柄。

 すう、と寝息交じり、寝言に近い声で、言う。


「あなた……、もっと国土を広くしたいとは、思わないかしら」


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