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「エーラ、あなたにも聞いてほしいの」
「聞きたくない、そんなの、聞きたくない!」
「お願い、エーラ。わたくしの話を聞いてちょうだい。わたくしと、お兄さまがいなくなったら、あなたが国を背負うのよ、エーラ。そのためには、お願い、ちゃんと聞いて」
アンジェリカが実行犯だと認めたから、聞きたくないのではなかった。
気付けなかったのは事実だ。だが、ああ、やはりか、と思ってしまっていた。
「聞かなくても、わかるから!」
その声に、普段の落ち着いた、芯の鋭い印象はなかった。弱々しい子供のような声だった。
エグランティーヌは世で言われるほどの人間ではない。しかしそう言われるくらいだ、それに見合う働きと人間性を持っている。
だから、鈍くはない。他者の動きには敏感な方だ。
「ええ、きっと、あなたはわかっていると思うわ、エーラ。でもね、聞いてちょうだい」
「聞きたくない! どうして、どうして半分とはいえ血の繋がった妹を殺そうとなんて出来るの!」
「わたくしだって、そんなことしたくなかったわ!」
ついに涙が零れたアンジェリカに、エグランティーヌははっとする。
次々とアンジェリカの青い目から零れ、白い頬を伝うそれに、急激にエグランティーヌの熱が冷えていく。
「姉妹喧嘩は余所でやってくれるかしら。エーラも、落ち着きなさい。今考えるべきは、アンジェリカがどうしてそんなことをしたかじゃないわ。そんなことは後々必ずわかるわよ。今本当に考えるべきなのは、これからどうするかってこと。王族のゴタゴタのせいで国を揺らすわけにはいかないでしょう?」
呆れたように諌めるリゼルヴィンの声で、エグランティーヌは我に返った。こうなってしまって、今更事実を変えることは不可能だ。ならば、先を見なければならない。エグランティーヌは王族なのだから、同じ王族が起こした問題はエグランティーヌにも責任がある。いかに国に衝撃を与えずに済むか、それを考えるのに頭を使わなければ。
泣いてはいるものの、アンジェリカは冷静にリゼルヴィンを見つめている。大きく息を吸って、吐いて、どくどくと嫌に跳ねる心臓を落ち着ける。握りしめられているかのように痛む胸はどうにもならないが、頭はすっきりと冴えわたってきた。幼い頃から王族として、王の手助けとなるように育てられてきた。今でもシェルナンドの「常に国のためにあれ」という声が聞こえてくる。シェルナンドの正妃であった母、フロランスも、口にはせずともシェルナンドと同じことをエグランティーヌに求めていた。そうやって育てられてきたエグランティーヌという人間の脳は、様々な感情が混ざり合って混乱している心を置いて、国のためにと働き出していた。
「――アンジェリカ姉上。お話、お聞かせ願えますか」
「……ええ」
聞きたくないと、まだ心が叫んでいる。だが、口は勝手に動いていた。
そして、そっとアンジェリカが語りだす。
隣国ヴェレフに嫁いでからというもの、アンジェリカは一度たりとも母国エンジットの大地を踏むことがなかった。四年ぶりに吸う母国の空気は、懐かしい匂いがした。
異母妹であるジルヴェンヴォードがセリリカ公国に嫁ぐということで、再び母国の土を踏むことになった。ジルヴェンヴォードとはあまり親しく出来ていなかったが、妹が嫁ぐとは嬉しくないわけがない。国同士の交流になるなら尚更だ。
アンジェリカ自身、隣国とはいえ文化も違うヴェレフに嫁いで大変なことが多くあった。母国に帰りたいと枕を濡らすこともあった。だが、国のためとなれば努力を惜しまない。
基本的にエンジットでは、他国に嫁いだ王女は王位継承権をなくす。アンジェリカは第二子であったために、常に万が一の場合を予想して育てられ、自身もそのために背筋を伸ばしてきた。今はその役目をエグランティーヌが背負っているのだと思うと苦しくなるが、彼女ならばなんとかやってくれるだろう。エグランティーヌは自慢の妹だった。
心配なのはやはりジルヴェンヴォードだ。気弱そうだったジルヴェンヴォードは、セリリカでうまくやっていけるのだろうか。他国に行くということは、いざというときの味方がほとんどいない状態になるということ。ほんの少しの失敗で、母国に帰されることもある。それだけで済めばいいのだが、最悪の場合になってしまうことだってある。うまくうまく立ち回らなければならないのだ。
そういう話も含めて、たくさんの話をしようと懐かしい王城に入り、まずはと王となった兄に会いに行く。三年前の、父シェルナンドの葬儀にも来れなかったアンジェリカは、まだ兄が王位を継承したと信じられないでいる。戴冠式も見ていないのだ、自分の目で見なければ信じられない。
王となっていたニコラスは、いい意味にも悪い意味にも、アンジェリカの知っているニコラスではなくなっていた。
その笑みには疲れが滲んでいて、その目は常に他人を疑っていた。
昔は王子であるという自覚が足りていないとよく叱られていたが、今は王である自覚に押し潰されそうになりながらも、懸命に政治に取り組んでいるようだ。
成長したのか、ひねくれたのか。裏に何か含んでいるような言葉使いに、アンジェリカは不安を感じた。
そんなアンジェリカを知っていか知らずか、ニコラスは何とも恐ろしいことをアンジェリカに命じたのである。
第三王女、ジルヴェンヴォードの暗殺。
なんでもないように毒の入った小瓶を渡されたときには、怒鳴って頬を張り倒してやろうかとすら思った。お前なら出来るだろう、と言われたときには、このことを道行く人皆に言いふらしてやろうかと思った。
母は違えど、妹は妹。アンジェリカは側妃の子だったが、正妃の子であるニコラスともエグランティーヌとも仲が良かった。ジルヴェンヴォードとも、奥で隠すように育てられていなければ、きっともっと仲良くなれた自信がある。王族とはいえ家族、兄妹なのだ。男子が一人ということで、権力争いもない。力を合わせて国を支えていくべきではないのか。
アンジェリカの怒りに、ニコラスはへらへらと笑った。その軽い笑顔だけは変わっていなくて、少しばかりほっとしたが、変わっていないならこんなことは言い出さないはずだと怒りを収めないでおく。
「エンジットのためなんだよ、アンジェ」
王族同士で殺し合うことのどこが国のためだというのか。怒りはそのままに、頭だけは冷静に動かそうとするも、そこまで賢く生まれていないアンジェリカには無理だった。ここにエグランティーヌがいれば、と妹を頼りたくなる。
どうも、ジルヴェンヴォードの容姿がシェルナンドに似すぎていて、宮廷に派閥が出来始めているという。神話が民の意識に強く根を張っているこの国では、自然と先代に似た王が立つ。その上、父である先王シェルナンドは賢王と呼ばれる程の政治を行っていた。その影を求め、ジルヴェンヴォードを女王に、という声が上がり始めているのだと。
シェルナンドは、陽だまりのような金髪の、少し女性よりの柔らかい顔立ちだった。亡くなってからもう三年、アンジェリカは四年会っていない。ぼんやりとしか思い出せないが、まだ十代で、しかも王ニコラスがいるというのにそんな声が上がるとは、それほどシェルナンドとジルヴェンヴォードが似ているということだろう。
ただ、アンジェリカはあまり納得が出来なかった。アンジェリカの記憶にあるジルヴェンヴォードは、そんな声が上がるほど似ているとは思えないのだ。
ニコラスはじっと、小瓶を持ったままのアンジェリカを見つめる。必ず自分の命に従うと信じて疑わないその目に、アンジェリカは吐き気がした。兄はこんな目をする人だっただろうか、とつくづく王という椅子が恐ろしいものだと思い知らされる。本当に、男でなくてよかった。こんな目をするような人間にはなりたくない。
小瓶をニコラスに突き返し、少し乱暴にニコラスの部屋を出た。近くにいた侍女に、アンジェリカと同じくジルヴェンヴォードを祝うためにと王城に滞在しているという、エグランティーヌの部屋を教えてもらって、そこへ速足で向かった。
部屋にいたエグランティーヌに思わず飛びついてしまったが、何か怒っていると気付いても何も言わずに背中に腕を回してくれた妹に、愛しさがこみ上げ、怒りが薄らいでいく。
それから、再会の喜びに浸りながら夜までお喋りを楽しんだ。夜中にこっそり自分の部屋を抜け出して、子供の頃よくそうしたように、エグランティーヌの部屋へ忍び込む。もう子供ではないのですから、と諌めるエグランティーヌも、懐かしそうにして許してくれた。二人並んでも広いベッドに寝転がって、また語り合う。いつの間にか先に寝てしまっていた。
翌日、エグランティーヌと共にジルヴェンヴォードに会いに行った。
そこで、アンジェリカは戦慄する。
ジルヴェンヴォードの持つ金髪と碧眼は、記憶の中のシェルナンドと、あまりに似すぎていた。