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特別部隊が来ずとも、ハント=ルーセン軍本隊はエンジット本陣へ奇襲をかけた。
これまで夜間の戦闘はなく、不意を突かれたエンジット側は混乱し、その結果全兵の半分を失い、四分の一は重症を負った。辛うじてといったところでハント=ルーセンを追い返すことは出来たものの、これからのことを考えると、兵士たちは絶望すら覚えていた。
指揮役はいたものの、もともと軍を任されていたリゼルヴィン、そして扱いにくい魔導師たちをまとめていたファウストすらいない状況はあまりに痛かった。もとより魔導師には戦争にも国にも興味のない者が多い。国のために働かせるにはファウストが必要不可欠であった。
リゼルヴィンの結界をあてにしていたのも悪かった。破られるはずがないと高をくくり、リゼルヴィン本人がいないというのに呑気に構えていたのだ。
圧倒的な差はなかった。現に、これだけの犠牲を出しながらも、ハント=ルーセンを追い払うことは出来ている。油断さえしていなければ、これだけ散々に負けることはなかったはずだ。
「そういう言い訳はいらないわ。見苦しいわよ」
「……はは、遅いですよ、リゼルヴィンさま」
赤毛の男の視界に入ったのは、限りなく無に近い表情をした黒い女だった。
国を滅ぼすのでは、と言われているというのに、その姿があまりに頼もしく、救世主にすら見えてしまう。他の兵士たちは、そうではないようだが。
リゼルヴィンがこちらに手を差し出した。が、すぐに苦い顔をして引っ込める。
「両腕が折れてるって、一体何があったのよ。大変なことになっていたのはわかるけれど」
「はは、情けないです」
「何がおかしいのよ。ちょっと触るわよ、痛くても我慢なさい」
深い溜め息と共に、リゼルヴィンは座り込んでいた男と目線を合わせるように屈んだ。
そっと男の右肩に手を伸ばし、折れた箇所を両手で包み込む。
何か呟いた。すると、そこが粉々に砕かれていくかのような激痛が走る。あまりの痛みに声すら出ない。
「さあ、これで右は大丈夫よ。もう片方もやってあげるわ」
「……もうちょっと痛まない方法はないんです?」
「あなただけに魔力を割いてる余裕はないわ。それとも、放置しておかしなくっ付き方をしてもいいっていうの? それでいいなら、私は他を治しに行くけれど」
「痛んでいいのでお願いします」
「あなた素直ね」
くすりと笑いながら、リゼルヴィンが左腕に手を添えた。歯を食いしばって来る痛みに備える。だが、一向に痛みはやってこなかった。
どうかしたのかと、ぎゅっと閉じていた目を開ければ、リゼルヴィンが微笑んでいた。
「素直な人は嫌いじゃないわ。特別よ」
「俺も、リゼルヴィンさまのそういうとこ、嫌いじゃないっすよ」
「それはどうもありがとう」
好きでもないんですけどね。
リゼルヴィンが再度男に手を差し出したとき、男はそう小さく笑うように言った。
確かな敵意、殺意が籠っている。そう気付き離れようとしたときにはもう遅く、ぐっと手を引っ張られ、リゼルヴィンは男の方へ倒れ込む。
どろり、腹から何か生ぬるいものが流れ出た。舌打ちをし、刺されたナイフを握る男の手に、自分のそれを重ねた。
「もしかしたら、と思っていたわ。でも残念ね、これくらいじゃあ、私は殺せないわよ」
「まあ、無理だろうとは思ってましたよ。無駄に丈夫なんですからね、やっぱり最低ですよ、リゼルヴィンさま」
「褒め言葉として受け取るわ」
「うっわあ、そういうとこ引きます」
リゼルヴィンは笑う。こういうことは、予想していた。産まれてこの方、命を狙われなかったことなどないのだ。ここ最近は特に多い。この男の髪が赤い時点で、警戒はしていた。
「――アルヴァー=モーリス=トナー。あなたって本当に何者なの」
「何者でもありませんよ。『アルヴァー=モーリス=トナー』、そういう存在です」
「そうね、そう考えた方が楽ね」
男が勢いよくナイフを抜く。ぐるりと回しながら引き抜いたことで、傷口が広がる。リゼルヴィンは表情を変えない。
立ち上がり、男はリゼルヴィンに笑いかけた。何を考えているのかわからない笑顔だった。
「恨みはないんですよ、俺は。他のはみんな、リゼルヴィンさまを恨んでるみたいですけど、俺は全然そんなことはなくて、正直浮いてるんですよねえ。だからどうしたもんかと思ってたんですけど、もう決めました」
リゼルヴィンの血で染まった手を差し出しながら、男は言う。
「俺、リゼルヴィンさまの味方やりますよ」
実に爽やかな笑顔で、男が言い放った。胸を張って、当然それが受け入れられると確信している笑みだった。
こちらを舐めているのか。少しばかり腹が立ったリゼルヴィンは、正直にそれを口にする。
すると男はきょとんとした顔をして、こう言った。
「舐めてなきゃこんなこと言いませんよ。リゼルヴィンさま、あなたに甘い部分があるからこそ、俺はこんなこと言ってるんです。どうせ、怪しすぎるにも程がある俺も、あなたは受け入れるんだ。そうですよね?」
「……あなた、本当に何者なのよ」
「アルヴァー=モーリス=トナー。今となっては、そうだった者、としか言いようがありませんけどね」
はあ、と深い溜め息を吐き、リゼルヴィンは頭を抱えた。
どこまでも見透かされている。自分の弱点は、自分が一番わかっているつもりだ。リゼルヴィンも、甘い部分が残ったままであることは、よくよく自覚している。自覚しているからこそ注意深く隠してきたつもりだった。
今まで、これを見抜けた者は少ない。この三年は特に心掛けてきた。少々屈辱的ではあるものの、自信を無くすほどのことではないか。
リゼルヴィンは乾いた笑いをもらした。
「いいでしょう、受け入れるわ。受け入れてあげるわよ。その代り、あなたが知っている『アルヴァー=モーリス=トナー』の情報をすべて寄越しなさい」
「それくらいでいいんですか。欲がないですね」
「あら、あなた私にそれを言っているの?」
にやり、リゼルヴィンが口の端を釣り上げた。
「私、ずっと欲にまみれた人間だと言われてきたのよ?」