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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
77/131

4-5

 作戦の実行は月が真上に来たときだ。幸いよく晴れた夜で、月を隠す雲もない。反対に言えば、明るく見つかりやすい天気ではあるが、魔導師数人が不可視の魔法をかけてくれている。

 そのハント=ルーセンの兵士は、ようやく訪れた報復の機会に興奮を抑えられなかった。戦争のきっかけとなったあの事件で、護衛として行った友が殺されたのだ。実力もあるいい男だった。だというのに、祖国の土を踏めなかったどころか、何の理由もなく、謝罪もないとは。


 月が、ゆっくりと頭上へ昇っていく。


「もうすぐですね」

「ああ。……用意しておけ」


 部下の青年が声をかけてくる。この部下は、確か今年軍に入ったばかりだ。


「エンジットには、魔女がいるそうですよ」

「そんなもの、我が国にもいるだろう。無駄口を叩くな」

「それが、本物の魔女なのよねえ」


 女の声はすぐ近くから聞こえた。こちらを笑うようなその声に、男は驚いて振り向いた。

 するとそこには、いつの間に近付いたのか、真っ黒な女がいた。琥珀色の瞳だけが猫のように爛々と輝いている。

 男と目が合うと、女はにっこりと笑んだ。その不気味さに、ぞくりと鳥肌が立つ。


「この国の誰よりも強くて、この大陸に二人といない、本物の悪い魔女がいるの」

「エンジットの者か!」

「ええ、そうよ。挨拶が遅れちゃったわね。こんばんは、ご機嫌いかがかしら」


 どこからどう見ても、ただ者ではなかった。ゆっくりとお辞儀をする動作にさえ、こちらから攻撃をしかける隙を見せない。非力な女に見えるのに、決して勝てないのだと悟ってしまう。

 無謀にも部下が女に斬りかかった。しかし振り上げた剣は女に届かず、バランスを崩し前へ倒れた部下の身体を女が受け止めた。

 どさり、と何かが地面に落ちた。何が起きたか理解出来ないまま、そちらを見れば――


「う、うわあああっ!!」

 ――落ちていたのは、肘から綺麗に切り取られた、部下の両腕だった。


「ッ! 貴様!」

「やめた方がいいわよ。腕がなくなってもいいなら、構わないけれど」


 女はくすくすと楽しそうに笑った。剣に伸ばした手が止まる。

 腕が腕がと泣き叫ぶ部下を、女が優しく抱きしめた。そして、耳元で何かを囁く。

 部下は、静かになった。


「部下を、返せ」

「あら、返して欲しいの? でも残念ね、この通りよ」


 女が部下を突き飛ばす。力なく重力のままに倒れた部下は、苦悶の表情をしたまま、ぴくりとも動かない。

 駆け寄って大声で声を掛けるも、応える素振りもない。


 笑い続ける女が、男には悪魔に見えた。男とて軍人だ、訓練中に同僚を殺してしまう不運を経験した身だ。しかしこの女のように、人の死を笑うことは決して出来ない。


「……何が目的だ」


 冷静を装い、立ち上がって情なくも震える手で剣を握る。その様子を見、女はきょとんとして、言う。


「決まってるじゃない。あなたたちを殺しに来たのよ。ハント=ルーセンの兵士全員を」


 その言葉に、男は何も言えなくなった。

 いくら何でもそれは不可能だ。この女が並ならぬ力を持ち、自分は決して敵わないと、この数分でよく理解している。しかし他の場所に隠れ、作戦の時を待つ仲間は優に千を超える。群本隊も同時に動く予定だ。そうなれば、いくらこの女とて負けるはずだ。

 無謀なことを言う。少しだけ、心に余裕が出来た。


 それによって生まれたほんの少しの、けれど確かな隙を、女は見逃さない。


「舐められるのは、嫌いなのよねえ」


 ふいに風が吹いた。女の声にいくらかの苛立ちが含まれている。


「死になさい。私を舐めた罰よ」

「……何、を」


 女が男の腹のあたりを見つめている。

 そこに目をやると、男は絶叫した。否、絶叫しようとした。

 すっぱりと体が上と下に分かれていた。男がそれに気付いた瞬間、ずるりと体が半分になって落ちていく。

 驚愕に顔を歪ませた、間抜けな顔をして、男は死んだ。


「まあ、こんなものかしら」


 女――リゼルヴィンは、ふうっと息を吐いて辺りを見渡す。


 葉の間を縫って地面に届いたわずかな月光でも、目を凝らせばわかる。リゼルヴィンの周りには、つい先程まで生きていたはずの人間だったものが多く転がっていた。

 ここは以前、ファウストに連れられた場所だった。あんなにも美しいと思った場所は、木々や足元の草が赤く染まって、生臭くて気持ちが悪い。

 だが、あの川だけは、美しいままだった。満天の星空が水面にも広がっている。

 水面に映るリゼルヴィンは、返り血の一滴も浴びていなかった。魔力もさほど消費していなかった。


「もう少し骨のある人間もいるかと期待していたのだけれど、駄目ね。あっけないものだわ」


 微笑む自分はひどく不気味だ。そう思いながら、リゼルヴィンは目を細めた。

 上手く笑えるようになったのはいつからだっただろう。昔はあんなにも困難に思えた笑顔が、こんなに上手く、こんなに不気味に作れるようになったのは。


 まあ、不気味な時点で、上手いとは言えないかもしれないけれど。


 自嘲して、気を引き締め直す。もう月は真上にある。


「ねえ、ファウスト。やっぱり私を殺すのはあなたしかいないと思うの。今夜もきっと、誰も私を殺せないわ。そうは思わない?」


 屈み、水の中を覗きこみながら、リゼルヴィンは語りかける。

 彼がこんなにも長く封じられたままのはずはない。どれほど強く硬く封じたとしても、リゼルヴィンがわざと空けておいた穴を見つけられない男ではない。


「ハント=ルーセンは私を殺せるかしら。私ね、一国と一人で戦うつもりなのよ。腕試しとしては最高じゃない? 国一番なんて言葉は聞き飽きたから、そろそろ『かもしれない』じゃなく、『大陸一』とはっきり言われたいのよね。そうなった暁には、エンジットは大陸の中で最も恐れられちゃうんじゃないかしら。そうだと嬉しいわねえ、こんな喧嘩を吹っかけられることもなくなるんだものねえ。あなたもそう思うでしょう?」

「誰が、そうさせるものか!」


 リゼルヴィンの首筋に、硬いものが押し付けられる。冷たさと感触から剣であると判断し、リゼルヴィンは破顔した。


「ああ、でも、それじゃあ私が面白くないわ。誰も私に挑まなくなっちゃう。戦えないなんてつまらなくて死んじゃいそう。何が一番いい道かしら……。あなたも考えてくれないかしら」

「黙れ」

「私たちの恩師の学長さまは、もう前線を退いちゃったから、私の癖をよく知る人間はもうあなたしかいないわね。やっぱりあなたにお願いするしかないかしら。待っていてあげるから、たくさん遊びにいらっしゃいね」

「黙れっ!」

「今私を殺したら、エンジットは滅ぶわよ」


 少し切れた。煽りすぎたなと反省し、真面目な声でそう告げる。

 すると、リゼルヴィンの首から剣が離される。

 きっとみるみるうちに治っていく傷を不気味がるのだろう。首輪をしなくなって以来、髪を気に掛けることがなくなった。左右に流れた髪が、首筋を露わにしていたのが悪かった。


「あなたなら、きっと出てこられると思っていたわ」


 ゆっくりと立ち上がり、振り返る。

 そこには、消耗しきった顔をしていながらも、リゼルヴィンへの憎しみでぎらつく目をしたファウストが立っている。


「期待通りだわ、ファウスト。――いいえ、今はグロリア、かしら」


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