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アルベルトと目が合った瞬間、ただでさえ不機嫌な顔をしていたリゼルヴィンは、それを更に歪めた。
いつもとは違う格好をしていて、少しばかり驚く。アルベルトと共にいたときは、どんなときでもきっちりとした服装をしていたし、三年前からは喪服姿しか見ていない。しかし今日は、久々の自宅ということもあってか淡い紫を身に纏い、ヴェールもなく、腕全体を覆っていた手袋も右手にしかつけていなかった。
アルベルトの視線を不快に思ったのか、リゼルヴィンは真っ黒な手袋に覆われた右腕を庇うようにさすりながら、視線を逸らす。何かに耐えるように唇を噛んでいた。
「ジュリアーナ、仕事に戻っていいわよ。何かあれば呼ぶわ」
「ですが」
「大丈夫。私を誰だと思っているの? この国一番の魔法使いさまよ」
無理に笑って見せたリゼルヴィンに、侍女は躊躇いながらも渋々といった様子で部屋を出る。
それを見送って、深く溜め息を吐いたリゼルヴィンがこちらをちらりと見た。
「どうしてこんな時期に来るかしらね……」
「何も言わず訪ねたことは悪かったと思っている。だが、こうでもしないと、お前は私に会おうともしないだろう」
「ええ、当然じゃない。あなたには会いたくないって何度言えばわかるのかしら」
いらつきを隠さずに、少々雑に座った。その正面に、アルベルトも座る。
前線から帰って来たのだ。疲れているのだろう。普段はすっと伸びている背筋が心なしか曲がっていた。座ってからも、ソファの背に体を完全に預けている。
少なくとも、短い期間とはいえアルベルトと共に暮らしていた頃に、こんなことはしなかった。こちらの息が詰まるほど礼儀を重んじ、いつであっても何もかもきっちり整えていた。使用人たちに対してもそうだったのだから、この三年間のリゼルヴィンは、最早アルベルトの知るリゼルヴィンではない。
「仕事の話をしましょう。そのために来たんでしょう?」
こちらに手を伸ばし、リゼルヴィンがそう言う。その手にエグランティーヌからの手紙を渡して、その横顔を眺めた。やはり珍しく、少し疲れた顔をしていた。
「これくらいのもの、渡すだけならあなたでなくともよかったはずよ。わざわざ来るなんてどうかしてるわ」
「お前と話したかった。それでは駄目か」
「……何よそれ。理由として認めないわ」
リゼルヴィンの声はどこまでも冷たかった。だが、アルベルトがリゼルヴィンに対して行ってきたことを思えば、それも当然なのかもしれない。
言い方が悪いと、言葉が足りていないと、アルベルトは自分でもよく理解していた。何度も改善しようとしてきた。けれど、どうしてもリゼルヴィンには、傷付けるような言い方をしてしまうのだ。他の人間にはごく普通に接することが出来るのに、リゼルヴィンにだけは、どうしても出来ない。
それが自分の素の姿なのだと理解したのは、リゼルヴィンと結婚してからだった。毎日顔を合わせるようになり、人の目のあるところでは仲睦まじく、人の目のないところでは言葉も交わさない関係になり、時々アルベルトが怒りをぶつける。歪であると自覚していながら、それがとても楽だった。
最低な人間だと思う。いくら利害の一致のみで結婚したとはいえ、よく尽くしてくれる妻にこの態度はない。
だからこそ、今日ここに来たのだ。リゼルヴィンと、正面から話し合うために。
何を話すかはわからないまま、ここに来た。けれど、その結果がどうなろうと、受け入れるつもりだった。
「リゼルヴィン」
名を呼んだのは、ほとんど無意識だった。
「何が悪かった」
疑問符もなく、感情も籠っていない言葉に、リゼルヴィンは眉をひそめた。一体何の話をしているのやら。変わらないアルベルトの表情から読み取ろうとするも、リゼルヴィンに人の心などわかるはずもなく、すぐにあきらめた。
対して、アルベルトも自分が何について問うているのかわからなかった。無意識のうちに、口をついて出てきたのだ。
しかし、どうしても問わなければならなかったのだと思う。それが自分の心からの疑問であり、リゼルヴィンの答えによって、これから向かう先が決まるのだと。
そうね、とリゼルヴィンがアルベルトから目を逸らす。
「きっと、何もかもが悪かったのよ」
何の話をしているのかわからずとも、それだけはわかったのだろう。少し俯いたその目は、とても暗かった。
「そうか」
声が落ち込んでいる。自分でもわかるそれは、きっとリゼルヴィンにも知られただろう。自嘲し、アルベルトは深く呼吸をした。
「……そうか。何もかもか」
何もかもが悪かったのならば、アルベルトが出来ることは、たった一つしかない。
意外にも穏やかな気分だった。もう少し、感情が揺れると思っていた。
「リゼルヴィン」
もう一度、名を呼ぶ。呼べば必ず、リゼルヴィンはこちらを向いてくれるのだ。
アルベルトが口にした言葉に、目を見開き驚いた様子を見せた後、リゼルヴィンも穏やかな顔をした。
「……そうね」
そう言って、リゼルヴィンは困ったように笑う。それは紛れもなく、アルベルトの知っているリゼルヴィンの顔だった。
ああ、自分はこの顔が嫌いではなかったのだと、今更になって気付く。後悔は山のように積まれていた。