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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
72/131

3-8

 戦況は一向に好転しない。国境付近での睨み合いが続き、一進一退の攻防を繰り返すばかりだ。


 開戦から一月経ったが、未だそんな状況であることを兵士たちは不満に思っていた。

 それもこれも、すべてリゼルヴィンの指揮によるものだ。リゼルヴィンは深追いを許さず、あと一歩で勝利を掴むというところで撤退命令を出す。何を考えているのかわからない指示の数々に、兵士たちは次第にリゼルヴィンを疑い始めた。元々『黒い鳥』ではと疑われ、黒い噂の絶えないリゼルヴィンだ。何も説明せず兵士たちを振り回していれば、こうなるのは当然だ。

 兵士たちがリゼルヴィンへの疑いを募らせていくのを知っていて、リゼルヴィンは更に不可解な行動を取るようになった。疑いは加速する。


 そしてこの日、リゼルヴィンは一時的に前線を離れることになった。

 二週間ほど前に王都へ戻ったエグランティーヌから、指揮を軍部に任せ、リゼルヴィンは一時王都へ帰還せよとの命が届いたのが昨夜のこと。急な帰還命令に少々驚いた様子を見せながらも、大して抵抗せず支度を始めたリゼルヴィンに、その場に居合わせた兵士たちの方が驚いた。そう素直に命令に従うような女には見えなかったのだ。エグランティーヌがきっちりリゼルヴィンを従えていることに、皆安堵した。


「当然と言えば当然だけれど、私、戦争なんて全然わからないのよね。だからよかったわ。早々に指揮官から外れられて」

「そう言いつつ、楽しんでたじゃないですか。忘れ物は?」

「何もないわ。ねえ、そろそろ私から離れた方がいいんじゃないかしら。あなた、本当に変人を見る目で見られてるわよ」


 唯一リゼルヴィンを恐れず構ってくるこの青年は、使用人よろしく世話を焼くのが好きらしい。強く拒絶しないのをいいことに、食事の用意やら雑用やらを進んで行おうとするのだ。今ではこの青年はリゼルヴィンの担当とされており、兵士たちとリゼルヴィンとを繋ぐ重要な役割を担っている。


 自分以上に読めないやつだ、とリゼルヴィンはこの青年を常に警戒している。他者の心を感じ取ることの苦手なリゼルヴィンでも、負の感情には敏感だ。だが、この青年からは負の感情どころか、ほんの少しの恐怖も感じられないのだ。こんな人間を、リゼルヴィンはほとんど見たことがない。取り繕うのが上手いのか、本当にそんな感情を抱いていないのかわからない。嫌な予感がして警戒しているのだが、それを察したのだろう、面白がって更に近付いてくる。


 転移魔法による移動なため、本来なら見送りなどもいらず、する人間もいないところ、この青年はにこにこと笑いながら手を振った。これほど純粋に接してくる人間に出会ったことのないリゼルヴィンは、どう返すべきかわからず、複雑な顔をした。


 転移先は王城のエグランティーヌの執務室。あらかじめ時間を伝えてあったため、人払いは済んでいた。

 何度も見てはいるが、やはり魔法の使えないエグランティーヌにとって、リゼルヴィンが何もないところから突然現れるのは慣れない光景なのだろう。苦笑しながら、二週間前と変わらない様子のリゼルヴィンに安心した。


「今日は何の用かしら、女王陛下」

「私たちがいない間に、色々と問題があったみたい。今この状況に比べればどうということはないし、もう解決してはいるけれど、まだ少しざわついているんだ。リィゼルが王都にいれば、治まるだろうと思って」


 座るよう促して、素直に答えたエグランティーヌに、リゼルヴィンは自然と口角が上がる。

 リゼルヴィンが何を言うでもなく、エグランティーヌは『黒い鳥』の正しい扱い方を理解したようだ。


 『黒い鳥』は忌み嫌われる存在。国に不利益を与えると同時に、利益を生み出す者。他の分野にどんなに長けていたとしても、『黒い鳥』を上手く扱えなければ、その代の王は愚王と呼ばれることになるだろう。

 エグランティーヌはまだ自覚していないようだが、リゼルヴィンの扱いを理解出来ている。彼女が良き女王でいるためにまず必要なことを、無自覚でやってのけたのだ。少々不安定な部分もまだ見られるが、このままいけば彼女は賢王と呼ばれるようになるはずだ。


「あなたは本当、理解が早くて助かるわ」

「そうでもないよ。結構決断に時間がかかる方だから」

「決断する前からあなたの中では答えが出ているくせに」


 エグランティーヌからはすでに慣れが滲んでいる。国の頂点に立つ者に相応しい凛とした表情で人の前に出る姿には、女王と呼ぶに値する品格や知性が溢れているのだ。議会でも即位以前のように頻繁に発言しつつも、最終的な決断を下す権利者として一歩引いたところから全体を見渡すことも忘れていないらしい。理想的な女王であると、方々から称賛されている。


 色こそ違うが、その瞳にかつての賢王シェルナンドを重ねる者も多い。少々厳しくしすぎている部分も見えるが、発言や行動はその状況に最も必要なものばかりだ。即位直後は『黄金の獅子』とは認めないとの声も上がっていたが、今ではもうその声も小さくなっている。


 しかし、無理をしていないわけではないらしい。

 エグランティーヌ自身も気付いていない癖がある。常に無理をしているように働くエグランティーヌだが、やはり限界というものがあって、その限界を超えると指の関節をポキポキと鳴らすようになる。普段通りに仕事をこなすものだから、ほとんどの人間はエグランティーヌが無理をしているなどとは気付かない。リゼルヴィンがこの癖に気が付いたのも、交流し始めて二年ほど経った頃だった。

 今も、エグランティーヌは関節を鳴らした。


「王さまってのも大変よねえ」

「まあね。王は年中無休の二十四時間営業だ。しかもいつ終わるかもわからないときた。つくづく、私には向いてないよ」

「あなた以外に王になる素質を持つ人間はいないわ。諦めて仕事に励むことね。もちろん、倒れない程度に」


 どことなく、会話に違和感を覚えながら、リゼルヴィンはじっとエグランティーヌを見つめる。どこかが、何かがいつものエグランティーヌとは違うように思えた。

 それが一体何なのかわからず、小さく首を傾げると、エグランティーヌが思い出したように口を開いた。


「軍で、不可解で不気味で不審な行動を繰り返しているんだって?」

「……だーれがそんなことを言ったのかしらー?」

「訊いてるのはこっちだよ、リィゼル。本当にそんなことをしているの? また何も説明せずに? それがどれだけ危険なことかわかっていて?」

「私にも、色々と事情ってものがあるのよ」

「たとえどんな事情があっても、言葉で伝えなきゃ伝わらないって、リィゼルはよく知っているはずだ。それなのにそうしないのは、怠慢にも程があるんじゃない? よく知っているくせに、他人には言われずともわかれって?」

「エーラ、言い方に気をつけなさい。私の機嫌を損なって酷い目に遭うのはあなただけでなく、この国の民も同じなのよ」

「リィゼル、もっとしっかり私と向き合ってよ。私はこうして、リィゼルとしっかり話し合っていきたいんだ」


 向かいに座るエグランティーヌは険しい顔をしている。リゼルヴィンが意地の悪い言い方をしても、怯まずに言葉を続ける。


「少し、減点だわ。残念ね」

「リィゼル! ふざけないで、ちゃんと答えて!」


 エグランティーヌが声を荒げるとは、これは相当滅入っているようだ。溜め息を吐きながらゆっくりと目を閉じ、どう返すべきか、言葉を探す。

 何もエグランティーヌを怒らせたくて嫌な言い方をしたわけではない。リゼルヴィンも、もう少しくらい、優しく伝えられたらいいのにと、思っている。


「あのね、落ち着いて聞いて。少なくともしばらくは、私は『黒い鳥』にはならないわ。先のことはわからないから、曖昧なことしか言えないけれど、当分はこのまま『紫の鳥』でいるつもりよ。でも、そのためにはあなたの協力も必要なの。人間の感情はその人本人でも上手く扱うのが難しいものよ。賢いあなたならよくわかるはず。私は怒りたくないと努めて冷静さを保ったとしても、それは薄氷に過ぎないわ。ちょっとしたことですぐに割れてしまう。誰しもが薄氷の上に立って生きていて、私の氷が特別薄いということもないけれど、それでも私の氷が割れてしまえば国が危ないの」


 エグランティーヌの眉間には、皺が寄っている。

 きっとリゼルヴィンが言いたいことはわかっている。わかっていて、それを受け入れようとは思えないのだろう。エグランティーヌは正義感溢れる人間だ。悪の側に立つといわれるリゼルヴィンを、何としても陽の光の当たるところへ連れて行きたいと思っている。


「努力はしているわ。常に冷静であろうと、どんなことが起こったとしても動揺しないでおこう、と。けれど氷は私の意思とは関係なく割れてしまう。感情を揺らしても、割れてしまう。私はね、我儘な女よ。いくら国のためとはいえ、あなたに悪を強いてしまうことがあるかもしれないわ。私という存在の危険性は、私が一番よく知っているもの。立場上、私は人間の醜い部分を間近で見てしまう。そして、誰も私を心から信じてはくれない。でも、王であるあなたが、主であるあなたが信じてくれさえすれば、私は氷を絶対に割らずに、この国に利益をもたらすことが出来るわ」


 だから、私を信じて欲しい。


 リゼルヴィンの真剣な眼差しに、エグランティーヌは何を伝えたがっているのか、理解した。

 エグランティーヌが信じていなければ、本当にリゼルヴィンは元に戻れなくなるのだ。もう、エグランティーヌの他に、リゼルヴィンを心から信じ、救い、守ってやれる人間はいない。

 それをただ事実として受け止め、悲しむことも許されず、一人立ち続けるリゼルヴィンは、一体どれほど苦しいのだろう。


「……私は間違ったことは、言ってないよ」

「ええ、わかってるわ。あなたは正しくて、間違っているのは私の方。歴代の『黒い鳥』と同じように、きっと私も長くは生きられないわ。私が死ぬまでの短い間だけ、私を信じて」

「……わかった。私はリィゼルを、信じるよ」


 納得出来ないことは、たくさんある。だが、エグランティーヌはまだ、友人と国を秤にかければ友人を取ってしまう。

 『黒い鳥』と呼ばれた者たちは皆、短命だったという。処刑された者が多いというのもあるが、高い能力を持つ代わりに体が弱い者も多かったらしい。

 リゼルヴィンも、そう長くは生きられないだろう。エグランティーヌにも、それはなんとなくわかっていた。


「ありがとう、エーラ。……ごめんなさいね」


 リゼルヴィンの悲しげな微笑みに、涙が出そうになった。

 エグランティーヌが、心底リゼルヴィンを信じることが出来ていないと、きっとリゼルヴィンは見抜いている。これからも、本当の意味で信じることは出来ないだろう。そう見抜いていて、リゼルヴィンは言うのだ。自分を信じて欲しい、と。


 それに、応えてやりたいと思う。リゼルヴィンを信じ、隣で自分を支えていて欲しいと思う。

 だが、リゼルヴィンの瞳を見れば、それはあまりにも不可能なことだとも思ってしまう。


 リゼルヴィンがエグランティーヌに向ける瞳には、信頼が滲んでいなかったのだ。


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