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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
7/131

2-3

 アンジェリカを呼びましょう、と窓から目を離したリゼルヴィンが呼び鈴を鳴らした。入ってきた侍女にはエグランティーヌからアンジェリカを連れてくるよう言いつけ、出て行ったのを見送ってから深い溜め息を吐いた。

 そのまま無言でアンジェリカを待つ。リゼルヴィンとの間の沈黙は、何故かとても心地良いのだから不思議だ。


「わたくしが知っていて、わたくしが見たことは、以前すべてお話しましたわ。もう何もお話しすることはありません」


 やってきたアンジェリカは、リゼルヴィンと目が合った瞬間に、そんなことを言った。


「あなたにしかわからないこともあるだろうと思って、私はここに来たというのに、そんな言い方はないんじゃないかしら。私だって多忙なのに、あなたの妹のために動いているのよ。本当ならこんな仕事すぐに放り出して、私の街の運営に忙しくしていたいのに」

「あら、相変わらず自分勝手でいらっしゃいますのね。『鳥』の末裔、四大貴族の一角を担うリゼルヴィン子爵ともあろうお方がそんな考えでよろしいのかしら? 街が街なら領主も領主ですわね」


 微笑み合いながらそんなことを言い合う二人に、エグランティーヌはもう一度溜め息を吐く。

 この二人は、顔を合わせれば微笑んで嫌味を言い合う程、仲が悪い。


 リゼルヴィンはアンジェリカの純粋さが気に入らないらしく、アンジェリカはリゼルヴィンの薄気味悪い笑みが気に入らないという。いつだったか、王からの呼び出しで王城に訪れていたリゼルヴィンと政治の話で盛り上がっていると、アンジェリカが普段からは想像も出来ない程険しい顔で「リゼルヴィンとは関わらない方がいい」と言ってきたのは驚いた。いつもは世で言われるように純粋で無垢で心優しい女性なのだが、リゼルヴィンを前にすると人が変わったように嫌悪感をむき出しにするのだ。二人の間に何があったのか、エグランティーヌは知らない。だが、どちらかがどちらかに何かをした、というのはあり得ないと断言出来る。二人ともそういうことは自分からは絶対にしない性格だ。反対に言えば、何かされたら徹底的にやり返すが。


「アンジェリカ姉上、そう言わず、リィゼルに協力してください。私も一緒に話をしますので」

「まあ、エーラ! まだリゼルヴィンをそんな呼び方で呼んでいるの!? やめなさいって何度も言ったでしょう!」

「アンジェリカ姉上……。リィゼルは私の友人です。友人を愛称で呼ぶのは普通のことですよ」

「そうよ、エーラと私は友人なの。エーラと呼べるのは、あなただけじゃないのよ?」

「――もうっ!」


 頬を膨らませて子供のように怒ったアンジェリカに対し、リゼルヴィンはくすくすと笑っていた。この二人の間に立たされて面倒な役割を与えられるのは、いつもエグランティーヌだ。


「姉上、私からもお願いします。ジルヴェンヴォードのためだと思って、どうか」

「……アンジェと呼んで。姉妹なんだから、よそよそしいのは嫌だわ」

「はい、アンジェお姉さま。お願いします」

「……わかったわよ。エーラとジルのために話すわ。リゼルヴィンなんかのためじゃないんですからね」


 相変わらず妹にべったりなのねえ、と茶化すリゼルヴィンに、アンジェリカは舌を突き出した。はしたないのはわかっているはずなのに、アンジェリカはやはりリゼルヴィンを前にすると人が変わる。


「もう一度言いますけれど、わたくしが知っていることはすべてお話しましたわ。これ以上何を訊きたいと言うのです」


 わざわざ椅子を寄せてエグランティーヌのすぐ隣に座ると、アンジェリカの持つ空気が変わった。王族としての表情になり、そこにいつもの優しげな笑みはない。そんなアンジェリカの様子に、リゼルヴィンもからかうのをやめる。こちらは笑みを浮かべたままだが。

 そっと、エグランティーヌの手にアンジェリカの手が重なった。微かに震えているその手を、ぎゅっと握り返す。


 アンジェリカは、きっとリゼルヴィンのことが嫌いなわけではないと、エグランティーヌは思っている。ただ、怖いのだろう。姉は優しくとも、強くはない。そして、信心深い。神話の『黒い鳥』の話を特に深く信じている。そんな姉が、黒い髪を持つリゼルヴィンを恐れないわけがない。瞳が黒ではなく琥珀だからと完全な『黒い鳥』とはされていないが、魔力を持って生まれたリゼルヴィンは、アンジェリカにとって『黒い鳥』に他ならないのだろう。だが、恐れている態度を表に出してはならない。『黄金の獅子』の末裔である王族なのだ、恐れてはならない。きっとそれを隠すために、アンジェリカはリゼルヴィンを嫌っている態度を取るのだろう。


 単刀直入に訊くわ、とリゼルヴィン。アンジェリカの手に力が入った。


「毒を盛ったのはあなたでしょう」


 リゼルヴィンの言葉は、とんでもないものだった。語尾が強く、問いにすらなっていない。

 アンジェリカもまさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう、きょとんとした顔のまま返す言葉を見つけられないでいる。


「リィゼル、それは流石に言いすぎだしあり得ない」


 大体、先程ニコラスと自分がこの件の犯人だと言っていたではないか、と言いかけてなんとか口を噤む。ニコラスとリゼルヴィンが何をしようとしているのかわからない今、アンジェリカに知られてしまうのはまずい。


「あら、そうかしら。王族同士で殺し合うのなんてよくあることよ。誰が王になるかだとか、現王の政治が気に食わないだとか、ただ単に嫌いだとか、ね。あり得ないなんて言いきれないでしょう」

「それでも、だ。アンジェお姉さまがそんなこと出来るとでも? あの日は朝から私の部屋にいたんだ。毒を持っていたような行動も、毒を盛ったような行動もしていなかった。私が見ていた」

「あなたの目はすべてのものを見ていられたと、断言出来ないわよね。目を盗んだのかもしれないわ」


 何を言っても、リゼルヴィンは先の言葉を撤回する気はないらしい。言い合いが続き、エグランティーヌの声も大きくなってしまう。


「やめて、エーラ」


 アンジェリカはどこか諦めたような声をしていた。また、嫌な予感がエグランティーヌを襲う。思わず立ち上がり、アンジェリカの手を振り払って両手で両耳を塞いだ。


「リゼルヴィン、あなたの言うとおりですわ。毒を盛ったのは、わたくしで間違いありません」

「――へえ」


 足元ががらがらと崩れていくようだった。自分が今まで信じてきたものが、すべて崩れて自分の恐れていたものになっていくようだ。

 エグランティーヌは厳粛で賢明だ、と言われている。だが、実際はそうではない。自分の家族がこんなにも変わってしまっていたのに、何も気付けなかった。

 うっすらと目に涙を溜めている姉のことを気に掛ける余裕もなかった。耳を塞いだまま、エグランティーヌは床にへたり込む。嘘でしょうと、冗談でしょうと、言うことすら出来なかった。


 このアンジェリカの声は、幼い頃、いたずらがばれて叱られているときと同じ声だった。

 元々、アンジェリカは嘘が吐けない人間である。こんな大変な嘘を吐けるとも思えない。


「知られてしまっているのなら、すべてお話ししますわ。本来は口外してはならないことですが、仕方ありません」

「それは助かるわ。王族が犯人だったなんて、厄介なことだもの。これからどうすべきか、話を聞けば少しはいい考えが出るでしょう」

「いずれあなたには気付かれると思っていましたの。隠し通せるなんて、ほんの少しでも思っていなかった」


 そう言って、アンジェリカがエグランティーヌに手を差し出した。

 にっこりと微笑んで、


「そうしていると、服が汚れちゃうわよ。エーラ、大丈夫?」


 と、幼い頃と同じように声をかけてくれる。


 その動作はまったく変わっていないのに、手を取る気にはなれない。自分で立てます、とゆっくり立ち上がる。アンジェリカが寂しげな表情をしたのに、罪悪感は湧かなかった。


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