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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
67/131

3-3

 不気味にリゼルヴィンが笑う。


「契約完了、ね」


 しまった、と手を離そうとしても遅い。

 恐ろしい力でファウストの手を握りしめる。女の力とは思えないほどで、骨がギシリと嫌な音を立てた。


「絶対に、約束は守ってあげるわ……」


 先程までのリゼルヴィンとは違った。その表情は人間のものではないかのように悪意に満ちている。


「悪魔は契約を大事にするの。大丈夫よ、死にはしないわ」


 一際強く握りしめられ、リゼルヴィンの方へ引き寄せられる。


「今はただ、大人しく眠っていなさい」


 そして、リゼルヴィンの後ろへ、ファウストの体が傾いて行った。

 そこには、美しい星空が。


「おやすみ、ファウスト」


 どぷん、と水面がファウストの体を受け止める。

 さらさらと流れていくはずの水が、ファウストに絡みついて水底へと引きずっていく。

 肺に水が入り込んで苦しい。何とかもがいて水面を見上げるが、揺らぐ水面がリゼルヴィンをはっきりと映してくれない。

 徐々に意識が遠のいていく。呼吸が出来ず、死にそうになっているというのに、穏やかな眠気が襲った。


「ほんと、あなたと私はよく似てる……」


 水面を見下ろすリゼルヴィンは、小さく呟いて、ファウストから目を離した。

 死にしない、という言葉は本当だ。契約した以上、リゼルヴィンはその命を持ってファウストの願いを叶えるつもりでいる。ただ少しばかり強めに封印しただけだ。


「さあ、そこに隠れているあなた、もう出てきていいんじゃないかしら」


 ファウストに背を向け、リゼルヴィンは森に向かってそう声を掛けた。


 すると、女の笑い声が響く。


「このくらいじゃあ、やっぱりばれちゃうわよね。流石は『悪の魔女』だわ!」

「……不愉快な笑い声ね。品がないわ」


 素直な感想を口にすると、こちらに向かって勢いよく何かが飛んできた。

 リゼルヴィンの顔の、ほんの爪の先ほどの宙で止まったそれは、一見何の変哲もないナイフだった。

 ぱちりとリゼルヴィンが左目を閉じると、ナイフは霧散したが、左目から血が流れる。

 いつかと同じ、魔法。

 余裕のある表情から一変して、リゼルヴィンは冷たさすら感じさせる真剣な表情になった。


「姿を現しなさい。それとも、私からお迎えに行きましょうか。どちらにせよ、私に刃を向けた時点で、あなたの死は決まっているのだけれど」

「見てなさい、そんな偉そうな口、今に利けなくしてやるわ」

「あらそう。楽しみね」


 リゼルヴィンが目を細めると、舌打ちと共に右側から衝撃が走った。腕で難なく受け止めたものの、次の瞬間には左腕にあのナイフが突き刺さる。

 眉一つ動かさないリゼルヴィンが気に食わなかったのだろう。またも舌打ちが聞こえ、正面に真っ赤な髪の女が現れた。


「ほんっとうに嫌な女ね。気味が悪いわ」

「褒め言葉として受け取るわ」

「そういうところに腹が立つのよっ!」


 刺さったナイフを抜きながら、リゼルヴィンはこのナイフにかけられた魔法を解析する。

 以前と同じ、リゼルヴィンが見たことのない魔法だ。

 さてこれからどうすべきか、と、女が放つ魔法の炎を受け流しながら、今後の計画を立てる。

 このくらいの魔導師はどういうこともない。見たところ、前とは違いナイフの持ち主も魔法を使えるようだが、女が使う魔法は一般的なものだ。発動に使われている魔法式も、大陸でよく用いられているもの。実力はファウストの足元にも及ばないだろう。


 リゼルヴィンは、一歩も動かずに、女の放つ魔法すべてを無効化していく。

 段々と女の眉間に刻まれた皺が深くなっていく。ああ、自分は憎まれている、とリゼルヴィンは溜め息を吐きたくなった。どこでこんな女に憎まれるようなことをしたのだろう。リゼルヴィンを憎む人間はあまりに多い。そして、その原因となり得ることを、リゼルヴィンは数えきれないほど行ってきた。


 考えてもわからないだろうことを考えるのは、リゼルヴィンの主義ではない。思考を切り替えるため軽く息を吐いてから、護りから攻めの姿勢へと変える。


「あなたがどこの誰か訊きたいところだけど、まずは格の違いってものを見せてあげるわ」


 女はまだ、自分にも勝ち目があると思っている。だからだろう、先程から、リゼルヴィンを試すような攻撃の仕方ばかりだ。

 舐められるのは、嫌いだ。リゼルヴィンは女が次の魔法を発動するまでのわずかな時間を狙って、女に魔法を放つ。

 ぴたりと女の体が固まった。まるで首に何か巻き付いているかのように、それから逃れようと手を動かしている。美しいと評されるであろう顔は、必死になって呼吸しようとしていた。


「あなたの操る炎は、確かに熱くて焦げてしまいそうだわ。でもね、そんなもの、私には効かないのよ。そんなもので私は死なない。そんな生易しい魔法じゃあ、百年かかっても私を殺せないわ。残念だったわね」


 可哀相に、とリゼルヴィンは微笑んで女を見る。リゼルヴィンを捉えた女の瞳には、なおもリゼルヴィンへの憎しみが燃えていた。


「ころ……して、やるッ」

「真っ直ぐ憎しみを向けてくるところ、嫌いじゃないわよ。好きでもないけれど」


 女の首を絞めつける力が強くなった。意識を集中させることが出来ず、魔法も使えない。

 じわじわと女の命を削ぎ取っていくリゼルヴィンは、悪魔のようであり、死神のようでもあった。


「このまま強くしていったら、あなた、死んじゃうわね」


 至極楽しそうな声で、リゼルヴィンが言う。

 女にはもう、それに反応することも出来ない。死が間近に迫っていた。こんな苦しみを味わうのなら、いっそ一思いに死んでしまった方が楽だと思える程だった。

 ふっと、女の腕がだらりと落ち、体から力が抜ける。


「……大丈夫よ。殺しはしないわ」


 崩れ落ちた女に近寄り、リゼルヴィンはやはり冷たい顔で見下ろす。

 首には絞められた痕もない。当然だ。リゼルヴィンは、『絞められたと思いこむ魔法』をかけただけなのだから。

 首を絞められている、と強く思い込ませることによって、実際は何も苦しくないのに呼吸が出来なくなってしまう。思い込みの力とは、本当に恐ろしいものだ。

 リゼルヴィンがわざわざこんな回りくどいやり方をしたのには、わけがある。

 そして、リゼルヴィンが予想していた結果と、同じ結果が出た。


「アルヴァー=モーリス=トナー……。あなたは一体、何者なの」


 リゼルヴィンは、他者の精神を攻撃する際、必ずその相手の名前を知っていなければならない。相手の名前を知らなければ、物理攻撃は出来ても精神攻撃は出来ないのだ。


 だからこそ、確かめられた。

 見たこともない魔法のかけられたナイフを持っていた女。かつて、同じものを持っていた『アルヴァー=モーリス=トナー』という男。

 二人には必ず共通点があるはずだ。まったく同じ魔法のナイフを使っているなど、偶然ではありえない。

 また、マティルダ・ドール事件を起こしたエリストローラが口にした『アルヴァー=モーリス=トナー』の名前。あれはどうも、リゼルヴィンの知る『アルヴァー=モーリス=トナー』とは違っていた。


 アルヴァー=モーリス=トナーは、複数いる。


 そうとしか考えられなかった。そして、この女が『アルヴァー=モーリス=トナー』という名でリゼルヴィンに魔法をかけられたとなれば、それはほぼ確実となってしまった。


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