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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
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3-1 星と月と真実

 目を閉じれば、いつも思い出す。

 あの日は雨の日だった。昼間だというのに薄暗く、冷たい雨が体温を奪っていった。華やかなあの女の笑みが浮かぶ。


 目を閉じ眠ってしまえば、いつも夢を見る。

 真っ赤に染まった体と、あまりに現実味のある痛み。地に引きずり込もうとする無数の腕。あの人の蔑む目。


 目を閉じることが、眠ることが怖くなった。以来、夜をなくし、眠らなくなった。

 あのとき何を失くしてしまったのだろう。ずっと考えていた。何かを失くしたはずなのに、それが何かわからなかった。


 答えをくれたのは、すべてを救ってくれた人。そして、納得した。


 何かを失くしたのではない。何も持っていなかったことに、気付いただけだったと。





「……だから嫌なのよ。睡眠なんて」

「寝るのも兵士の仕事のうちですよ」

「私は兵士じゃないわ。魔法使いよ。ああ、あなたの言うことを聞いた私が馬鹿だった」

「俺のせいですかぁ? リゼルヴィンさまは酷いなあ」


 へらへらと笑う若い男が差し出した手紙をひったくり、恨めしそうにリゼルヴィンは彼を睨みつける。

 長らくちゃんとした睡眠をとっていなかったリゼルヴィンが、珍しく眠ってみたのはこの男のせいだ。あまりにしつこく眠れというものだから、相手をするのが面倒になって眠ってやったらこの様だ。やはり言うことなど聞くのではなかった。眠ったと言っても、たったの二、三時間だが。


 手紙はエグランティーヌからの連絡だった。昨日こちらから送ったものの返事だろう。エグランティーヌも、ここから一日馬を飛ばした村に滞在している。


「いつまでいるつもりなの」

「いやあ、リゼルヴィンさまがあんまり怖い顔をしていらっしゃるものだから、その手紙にはよほど恐ろしいことが書かれているんじゃないかと思いましてね」

「そんなの理由にならないわ。さっさとどこかへ失せなさい」


 そうはっきり言って、ようやくリゼルヴィンのいるテントから男が立ち去る。

 あの男は今年軍に入ったばかりだという。ここに来てから無駄にリゼルヴィンに付き纏い、恐れを一切見せずに構ってくるおかしな人間だ。


 一週間ほど前のこと。ついにハント=ルーセンがエンジットに宣戦布告し、国境付近の村を攻め始めた。

 しかし、こちらも何も準備をしていなかったわけではない。国境付近にはすでに軍を派遣しており、報せを受けてすぐリゼルヴィンも転移魔法で駆けつけ、敵軍を追い払った。


 それにより、戦争が始まった。

 リゼルヴィンはそのまま自軍を引き連れ国境へと進み、そこで何度か敵軍と衝突しながらも、勝敗を決するようなことはしていない。

 敵に援軍が来る。ここに来る前、送り出してくれたシェルナンドがそう言っていたのだ。

 ちまちまと戦って兵士たちを消耗させるより、何度か小競り合いをして時間を稼ぎ、援軍が来たところを一気に叩いた方がいい。


 見たところ、こちらの兵士はやはり戦慣れしていない者が多い。ニコラスを恨みたくなるほどだ。対して、敵は海外から輸入したこちらの使う武器よりはるかに威力のある武器を使っている。兵士一人一人の力もそれに見合っている。正攻法で戦えば、初めは優勢になったとしても、こちらの消耗の方が早そうだ。ならばリゼルヴィンが一気に叩いてしまった方がいいだろうと判断した。


 兵士たちは皆、その判断に不満を持っているようだ。当たり前だろう、最初からあてにしていないと言われているのだから。リゼルヴィンも、その不満をぶつけられても何も言い返さず微笑みを返すだけにしている。それが余計に不満を募らせていることも知っているが、言葉を発した方が悪影響だともよく知っているため、微笑むしかないのだ。


 クヴェートの活躍により国内の有力な魔導師たちとも一時的な契約をし、急ごしらえではあるが対ハント=ルーセン用に作られた魔導師部隊の指揮役としてファウストもこちらに来ている。魔導師たちへの報酬がリゼルヴィンの魔力だというのだから、勝手な一族だ。リゼルヴィンに何も話を通さず、そうなっていることを知らされたのはここに来てから。クヴェート一族には少々このような勝手な一面がある。今回は国の一大事ということで見逃してやるが、次に勝手に使われたら然るべき対処に出るしかない。


「嫌ねえ……。あの子、何もわかってくれてないわ」


 エグランティーヌからの手紙には、リゼルヴィンに基本的な指示を任せると書かれている。だが、次の文には何故自軍の不満を助長させるような動きをするのかと、リゼルヴィンの判断を批判する言葉を綴っている。

 あちらがどのくらいの援軍を送ってくるかわからない以上、下手な動きは出来ない。それを説明出来たらどれだけ楽なことか。シェルナンドの言葉を誰かに伝えることは、もう、許されていない。


 リゼルヴィンに予知能力がないことは有名なことだ。出来ることの方が圧倒的に多いリゼルヴィンの数少ない出来ないことは、笑い話のようによく知られているのだ。だから自分の言葉として知らせることも出来ないし、何よりもシェルナンドの言葉を他の誰かの言葉として伝えることはしたくなかった。

 結局誰にも何も言えず、こうやって周囲に不信感を与えてしまう。自分でもわかっているのだ、こんなやり方が上手いやり方とは言えないと。


「まあ、それでこそ私だわ。私を理解する人間なんて、いないんだから」


 生まれてから今日まで、リゼルヴィンを理解した者などいない。唯一理解してくれそうなシェルナンドはリゼルヴィンを受け止めたが、受け入れはしておらず、理解しようともしていない。そうなれば、他に理解出来る人間が現れることは、諦めるしかない。


「……あの人だって、理解しようともしてくれなかったものね。それが普通よ」


 嫌な顔を思い出してしまった、と顔を歪める。本当に、これだから眠るのは嫌いだ。

 独り言はこのくらいにして、手紙を燃やしテントを出た。

 すでに夜が深まり、起きている者は少ない。炭だけを残し、微かな煙を立て火も消えている。


 空が綺麗だった。ウェルヴィンキンズでは見られない、美しい星空だ。

 思わずほうっと息を漏らしそうになって、飲み込む。誰かがこちらを見ていた。背後から、ゆっくりと、音も立てずに近づいてくる。

 すぐにそれが誰だか気付いて、いつもの笑みを浮かべて振り返った。


「起きていたのね、ファウスト」

「リゼルヴィンさまも、起きていましたか」


 優しげに笑むファウストの髪は、軽く一つにまとめられていた。その笑みに、かつて『王宮魔導師グロリア』と名乗っていた頃の面影はない。

 周りを見回しても、誰もいない。見張り役以外は皆、眠りについたのだろう。すでに月は高いところにある。

 戦争をしているとは思えない、綺麗な星と月が浮かんでいる。


「丁度よかった。リゼルヴィンさまに、お話したいことがあります」

「私もよ、ファウスト。あなたに訊きたいことがあるわ」


 正反対の髪を持つ二人は、その一帯に結界を張り直し、そこから離れていく。人のいないところまでしばらく歩けば、近くの森の中に入っていた。

 素直にファウストの後ろをついていくと、開けた場所に出る。

 そこで、リゼルヴィンは先程飲み込んだ息を、今度こそ吐き出した。


「綺麗でしょう? 昨日、見つけたんです」

「ええ、悔しいくらいに、綺麗だわ……」


 澄んだ川だった。水面が星を映し、そこだけぼんやりと光っているかのようだ。

 文句のつけようがない。あまりに美しく、少しの間リゼルヴィンはその風景に見とれ、言葉を失くしていた。


「こういったところは、あまり来たことがないようですね」

「昔から、仕事でしか地方に出ないもの。私が詳しいと言えるのは、私の街と、王都くらいなものよ」

「そうでしたか。なら、ここだけでもお見せ出来てよかった。エンジットにはこのような場所が多く存在します。美しい風景が、たくさん」


 そんなことをファウストが誇らしげに言うものだから、リゼルヴィンはふいに違和感を覚える。


 ファウスト=クヴェートは、こんなことを言うような男だっただろうか。こんな、優しい笑みを浮かべるような男だっただろうか。


 一度気付けば、その違和感はあまりに大きいものに思えた。リゼルヴィンが『王宮魔導師グロリア』と関わった回数は少なくないのだ。

 リゼルヴィンの様子に気が付いたファウストは、気まずそうに苦笑して、言った。


「お気付きになったとは思いますが――私は、『グロリア』ではありません」


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