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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
64/131

2-8

 リゼルヴィンという存在はエンジットにとって特別で、その存在が利益に繋がることもあれば、不利益に繋がることもある。どちらに転がろうとその存在が及ぼす影響は大きく、他の誰が同じ行動を取ったとしても、とても比べ物にはならない。

 『黒い鳥』と恐れられていようと爵位を持ち続け、政治に直接関わることはないとはいえ国の重要な役割を担っているのはこのためだ。上手く扱えば通常なら考えられない利益を手に入れられる、いい道具として。


 ただし、リゼルヴィンは感情を持ち、意思を持つ人間だ。その力を利用するには、リゼルヴィンの機嫌を損ねるようなことは絶対にあってはならない。


 リゼルヴィンだけでなく、歴代の『黒い鳥』は皆そうだったという。だからこそ、どんなに問題を起こしたとしても、その血筋は残り続けた。利と不利を同時に抱える、滅多に生まれない『黒い鳥』。けれどその『黒い鳥』が現れるのは国の危機が迫っている時代のみで、その危機を救う力を持っている。謀反を起こす危険性よりも、その血を次へ繋げることで、国を生き長らえさせる希望を優先したのだ。


 国の危機にだけ生まれ、国を救う力を持っていながらも、不幸を自覚すれば反旗を翻す。


 リゼルヴィンには、実に厄介な呪いがかけられているのだ。

 国も、民も、それを知っているからこそ、歴代最強のリゼルヴィンを処刑出来ないでいる。


 だが、エグランティーヌはそうとは思っていない。

 リゼルヴィンの力は国を救うためだけにあり、悪に近くありながらも、この国に刃を向けることはない。シェルナンドが守り抜いたこの国を壊すことなど、リゼルヴィンには不可能だと、信じている。

 油断してはならない相手だということは、よくわかっている。女王となってからというもの、嫌というほど言い聞かせられ、エグランティーヌ自身もリゼルヴィンを心底信用することは出来なくなってしまった。


 それでも、リゼルヴィンと友人関係にあったことには変わりない。友人であるならば、リゼルヴィンを信じなくては。たとえ、リゼルヴィンが、自分を疑えと言ったとしても。


 ただ信じること。それだけで、リゼルヴィンはこちらの期待に応えてくれる。


 即位したその夜、夫であるミハルはエグランティーヌに言った。『黒い鳥』が王に従ってきたのは、忌み嫌われる『黒い鳥』をただ一人王のみが信じたからだと。そして、王に刃を向けたのは、王が『黒い鳥』を信じられなくなってしまったからだと。

 すぐに古い文献を調べてみれば、ミハルの言っていることは事実だとわかった。

 一番多かったのは、初めに契約を結んだ王が死に、次の王になったことで謀反を起こした『黒い鳥』。大抵の『黒い鳥』がこのように謀反を起こし、その王を殺し、そして自害したと記録されていた。それまでは国を栄えさせ、病が流行ることも、飢饉が起こることもなかったのだと。『黒い鳥』が生まれる前には国が滅ぶ寸前にあったというのに、生まれただけでも安定し始めたという。


 いかに強い精神を持ち続けられるか。『黒い鳥』のいる時代に王となった者に求められるのは、他の何でもなくそれなのだと、エグランティーヌは思い知った。少しの疑いまでならまだいい。王が『黒い鳥』を完全に信じられなくなったとき、『黒い鳥』は不幸を感じるのだ。


 この二か月、リゼルヴィンとの関係をよく考え直した。これまで通りに接するべきか、女王としてリゼルヴィンを信じ利用するのか。

 エグランティーヌの立場が変わってしまったものだから、これまで通りに堂々と友人関係を続けることは出来なくなってしまった。今となっては契約まで結んでしまったのだから、必然的に『黒い鳥』の主として振る舞うことを求められる。しかし、仮契約を結ぶ直前に、リゼルヴィンには「友人として傍にいてくれ」と頼んでしまった。


 どちらを取るべきか。本来ならば、考えずともわかるはずのことだった。

 答えを見失ってしまったのは、わけもわからず急にリゼルヴィンに対して恐怖を抱いてしまったからだ。契約の反動なのだろうと、ミハルは言っていた。

 抑えきれない恐怖と猜疑心。リゼルヴィンと顔を合わせることなど不可能で、面会を断り続けてしまった。


 それも、もう大丈夫だ。まだ恐れは残っているが、信じて共に歩もうと決めた。国を守っていくにはリゼルヴィンの力が不可欠なのだ。本音としては、リゼルヴィンには幸せになってほしいからなのだが、建前はそういうことにしておかなければ周囲が煩いのだ。

 リゼルヴィンとの交流でエグランティーヌが得たものはあまりに多く、また助けられたことも多々あった。リゼルヴィンがどんな存在であろうと、助けられたことに変わりはない。助けてくれた者に疑いの目を向けることは、エグランティーヌには不可能だった。


 決心してからのエグランティーヌは、余程のことでなければそれを曲げることはない。

 ようやく真っ直ぐリゼルヴィンの顔が見られると喜びを感じていた、その矢先のことだ。ハント=ルーセンから送られてきた使者が殺される事件が起きたのは。


 四大貴族との話し合いの後、すぐにエリアスがリゼルヴィンの転移魔法でハント=ルーセンへ向かった。リナとファウストはいざというときのためと、リゼルヴィンの捜査の手助けのために魔導師たちを結束させに行き、アルベルトはエグランティーヌと共にまずは国内の混乱を静めに動いた。一度ウェルヴィンキンズへ資料を取りに戻ったリゼルヴィンも、捜査のためあちこち飛び回っているという。


 女王が何よりも優先して事件を捜査していると民に知らせ、アルベルトの指示に従い他国への影響を最小限に抑えるための対策を話し合っている中、報告されたのは、更に事態を重くするものだった。


 事件から三日後、意識を失くしたままだった護衛の一人の心臓が、止まった。

 これにより、エリアスが上手くハント=ルーセン側と話をまとめていたのが、無意味になってしまった。使者だけでなく、護衛までもが殺されたとなれば、ハント=ルーセンも怒りを感じるのは当然だ。

 四日目と五日目にも二人ずつ、死んでしまった。犯人は見つからず、手掛かりすら掴めていない。

 ハント=ルーセンはエンジットとの貿易を停止することを決定し、残りの護衛たちを送り返すよう要求した。だが、ハント=ルーセンへの道中、残りも全員死んでしまったと、今朝、報告された。


「どのような治療を行っていたのか、包み隠さず報告しなさい」


 ここまで来たら、逆に冷静になってしまう。エグランティーヌは自分の声がどれほど冷たいものなのか、自分でもよくわかってそう言った。

 青ざめた顔をしながらもしっかりエグランティーヌの目を見るその男は、護衛たちの治療に当たっていた医師の責任者だ。エンジットでも三本の指に入る名医師である。


 報告には怪しいところの一つもなく、またその男の目つきから、嘘を言っているようではないとエグランティーヌは判断した。

 こちら側は誠心誠意治療に当たり、その結果、救うことが出来なかっただけ。故意に殺めようとしたことなどなく、ただ、残念な結果に終わってしまっただけ。

 そもそも原因不明がわからないままだったのだ。外傷は切り傷や打撲などしかないというのに、意識を取り戻す気配もない。そんな状態では、どのような治療が効果的なのかすらわからないのは当然だ。


「もう一度、関係者一人一人の行動と処置に不可解な点がないか調査し直しなさい。どんな些細なことでも構いません。何かあればすぐに報告を」


 何度調べても同じかもしれないが、調べたという事実だけでも残しておくべきだ。エグランティーヌの意図を悟ったその男は、神妙に頷いて退出した。


 とはいえ、いくら調べ直したとしても、ハント=ルーセンがこちらの話に耳を傾けることはもうないだろう。


 自室に戻ると、ふっと糸が切れたようにソファから動けなくなった。人前では落ち着き払った態度を取っていたが、ここ数日の緊張でエグランティーヌも疲れ切っていた。

 こんな事態に陥ることも、予想はしていた。国の頂点に立つ者として、覚悟もしていた。

 それでもしばらくは平和であり続けると信じていたし、こんなことになる予兆は何もなかった。だからこそ、とにかく国内から作りなおさねばと、精一杯働き続けてきたというのに。


「どうして……」


 一人呟けば、カーテンを閉じた暗く肌寒い部屋にむなしく響く。


 自分は強くない。誰かを導くことも、誰かの上に立つことも、出来ない。

 ずっとそう思って、臣下として国を支えるつもりだった。そうして兄のニコラスに仕え、国をより良い方向へ導く手伝いをするつもりだった。

 誰かの上に立つより、誰かの下で力を振う。それがエグランティーヌに出来ることだと思っていた。


 あのとき、ニコラスを廃したりしなければ。ニコラスを説得し、正しい王に戻ってもらっていれば。

 そう後悔しそうになって、溜め息を吐く。ここで後悔してしまえば、こんなエグランティーヌについてきてくれた部下たちに申し訳ない。何よりも、エグランティーヌを女王と認めてくれた民に合わせる顔がない。


 今のエグランティーヌは、後悔すらも、してはならないのだ。


 王たるもの、責任を持って民を導き、守らなければならない。そのためには強い精神と、賢明さと、真摯さを持たなければ。自信もない人間には誰もついてこない。誰の支持も受けられないのなら、何も出来なくなってしまう。


 どうしようもなく息苦しくなって、誰もいないのをいいことに、ひっそりと涙を流す。

 ほんの数分だけ。ほんの数分だけ、後悔する時間が欲しかった。

 あのとき自分が道を間違えなければ。あのとき、もっと冷静になって、もっと他の方法を見つけていられたら。

 疲れ切って頭もまったく働かない。泣いてすっきりしてしまおうと、女王ではなくただのエグランティーヌに戻ってしまおうと、涙を流す。後々、泣いたことを後悔するのは目に見えているけれど。


 この袖の色が濃くなるまではと、エグランティーヌは声を押し殺して泣いた。


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