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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
62/131

2-6

 空は重い雲に覆われ、しかし雨の気配はない。


 嫌な天気だ。御者台に乗る男は今日何度目かわからない溜め息を吐く。こんな天気の悪い日は、どうも頭痛がして調子が出ない。この馬車を守る護衛たちもそうなのか、どこか浮かない顔をしている。


 大陸内でも大きい方に入るエンジット王国は、その男の祖国ハント=ルーセンとの貿易が盛んである。エンジットは海のない内陸国でありながら、その豊かさはハント=ルーセンを超えていた。

 それは、かの有名なシェルナンド=ヴェラール=エンジットの類稀な統治の才によるものだ。彼の即位直後は荒れていた国内も、彼が王となってすぐに平穏を取戻し、周辺諸国によって奪われた国土も取り返した。大陸の統治者たちは伝説のように語られるシェルナンドの存在を一目置いていた。


 当時は海を持ちながらも、度重なる内乱や飢餓により海外進出などが出来るような状態ではなかったハント=ルーセンの利用価値を見出し、その発展に手を貸したシェルナンドは、ハント=ルーセンにとっても英雄的存在である。以来ハント=ルーセンはエンジットへの恩返しとしてどの国よりも優先的に貿易を行い続けている。両国の仲も友好的だ。


 心配なところと言えば、近年、ハント=ルーセン国内で、反エンジットの動きが高まっていることか。


 それにしても、エンジットはやはり随分と活気のある国だと、道行く人々の表情を見て感心する。今朝ようやく王都に到着したのだが、大通りには多くの店が立ち並び、多くの人間が行き交っている。このような状況だと、ハント=ルーセンならば馬車を通すことはまず出来ない。道は広くとも人が多すぎるのだ。だが、エンジットの民は皆、馬車を見かけた途端に道を開ける。広さのある道だと、馬車が通る部分と人が歩く部分に分けられているくらいだ。まだまだ知の部分では発展しきれていないハント=ルーセンにも、このような工夫を是非とも取り入れてもらいたい。


 今日はこんな天気だが、それでも人の数は多い。万が一の事故もないよう慎重になりながら、すぐ傍に見えてきた王城を目指す。あとは貴族らの街屋敷が多く佇む区域を抜ければ、目的の場所に辿り着く。


 男は気付かなかった。王城へ近付くにつれ、人の姿が減っていくことに。

 ふと、それに気付いたのは、道を歩く人間が赤毛の令嬢と金髪の男だけになってから。

 こんな場所もあるだろうと、男女から目を離し、前を向いたそのとき。


「――ようこそエンジットへ。そして、さようなら」


 胸に、何かが突き刺さる衝撃。馬たちが混乱して、馬車が激しく揺れる。

 ナイフが飛んできたのだと、胸を見下ろして、気付く。

 全身を黒に包んだ女だった。赤い唇が弧を描いている。女は指先すら動かしていないというのに、ナイフを投げたのはあの女だと、確信した。


 護衛たちの半数がその女に向かい、半数が馬車の中の人物を助け出そうとする。

 無駄だ、と呟く。あの女には勝てない。あの女は、我々とは違う。

 ほとんど声になっていなかっただろう。胸を貫いたナイフは、男の命をじわじわと削り取っていた。不思議と痛みはない。ただ、ぼんやりと、眠たくなってくるだけ。


 馬車が横転した。男は地面に叩きつけられる。

 体が倒れた馬車の下敷きになっていたが、その重みすら感じない。酷く眠たかった。

 瞼が閉じそうになっている中、男が最後に見たのは、いつの間にか騎士たちを叩きのめしていた女の、息を飲むほど美しい琥珀色の瞳だった。





「やっぱりこういうことって、すぐに表沙汰になるのねえ。私が魔法を使うまでもなかったわ」


 つまらない、とリゼルヴィンは手に持つ新聞を傍らにいるリズに投げやった。

 受け取ったリズは、明らかに機嫌が悪い。リゼルヴィンへ向ける殺気は恐ろしいもので、ごく普通の生活を送っている人間ならば、きっとそれを向けられただけで失神してしまうだろう。

 新聞の一面には、ハント=ルーセンからの使者が、何者かに殺されたという文字。

 言わずもがな、昨日リゼルヴィンが起こした事件である。


「やっぱり、正式な使者だったのねえ。フロランスったら本当に何を考えているのかしら」


 犯人であるはずのリゼルヴィンは呑気にお茶を飲みながら、後に回していた仕事の資料を眺めている。この事件が、どれだけのものかわかっているというのに。

 いつもより少し大きめに溜め息を吐いて、丸めた新聞でその真っ黒な髪の頭を背後から叩く。痛むはずはないのに、大袈裟にリゼルヴィンは叩かれた頭を両手で押さえた。


「何するのよ! ほんと最近のあなたって、私が主だってことを忘れているでしょう」

「あなたのような人間を主に選んだワタシが馬鹿でした。今すぐ契約をなかったことにしてください」

「嫌よ、あなた私の傍にいてくれるって言ったじゃない」

「言いましたがね、まさかあんなことをさせられるとは思ってもいませんでしたよ。そりゃワタシがワタシだってばれたら面倒なことになることくらい、よーくわかってます。ですがね、あんなの、嫌がらせでしかありません。もっと他に方法はあったはずです」


 屈辱に身を震わせるリズに、はじめは不満げな顔をしていたリゼルヴィンは吹き出してしまった。どうしても笑いが耐えられなかったらしい。

 リゼルヴィンは思い出す。あの現場にいた、赤毛の令嬢と、金髪の男を。


「よく似合っていたわよ、リズ。あなたがあんなに可愛らしくなるなんて、私も想像していなかったわ」

「女装なんてものをさせる主とはやっていけません! 今すぐ契約破棄を!」

「嫌よって言ったでしょう。まだ言うなら、もう一回させましょうか」

「二度とやるもんですか!」


 今度は先程より強く、リゼルヴィンの頭を叩く。またも痛がって同じように手で頭を押さえるが、笑いを止められていないため、リズの苛立ちを助長させるだけだった。

 あのとき、リズはリゼルヴィンに女装を命じられていた。

 リゼルヴィンに言わせてみれば、性別を偽ることが一番正体がばれにくいとのことだが、男であるリズからしてみればこれ以上ない屈辱的な行為だ。


「そんなに女装が見たかったんなら、あのクソ野郎にやらせればよかったでしょう!」

「あら、キャロルほどの身長があったら、すぐに男だってばれちゃうじゃない。その点あなたなら、身長だって私と同じくらいだし、目尻が優しいからきっと似合う……わからないだろうって」

「かんっぜんに似合うか似合わないかで選んでるじゃないですか! そんなんだからあなたはぁ!」

「私は、何かしら。そんな私を選んで契約したのは、他でもないあなたでしょう?」


 その言葉に、リズは何も言い返せなくなる。

 こんな人間だからこそ、リズはリゼルヴィンを契約したのだ。リズを選んだのはリゼルヴィンだが、リゼルヴィンを主にと選んだのは、リズなのだから。

 悔しがるリズを余所に、リゼルヴィンは立ち上がり、こちらと向かい合った。


「大変なのはこれからよ、リズ。これから忙しくなるし、国は混乱に陥る。私もいろんなところに飛び回らなきゃならなくなるわね。だから、命じるわ」


 真面目な顔をしたリゼルヴィンは、支配する者の圧倒的で見る者の逆らう気力を奪う空気を纏っている。

 まだまだ文句を言いたいところだが、リズは渋々リゼルヴィンの琥珀色の瞳を見つめる。


「ジュリアーナ=フィアードと共に、ウェルヴィンキンズを守りなさい。その命に代えてでも」

「――承知しました、主さま」


 頭を下げたリズを満足げに頷いて、通り過ぎていく。

 部屋の扉が閉まる音がして、ようやくリズは頭を上げた。


 恐らくリゼルヴィンは、四大貴族の会議に呼び出されることを見越して、先にその場所へ向かったのだろう。きっとこの街屋敷には戻らず、ウェルヴィンキンズにもしばらくは戻らない。


「このワタシに、守ることを命じるとは」


 窓に近寄りながら、呟く。

 多くを殺した人間に、守ることを命じるとは。一般的に悪人と呼ばれる部類に入るリズにそんなことを命じるのは、リゼルヴィンくらいなものだろう。


「それじゃあ、まずは主さまを狙う命知らずな人間から、排除しましょうかねえ」


 窓を開け放ち、躊躇いなくそこから飛び降りる。

 ハント=ルーセンからの使者が襲われた場所はここから目と鼻の先だ。この辺りに住む者は、今日は出かけたりしないだろう。


 その現場で、昨日感じたリゼルヴィンに向けられる視線。あの護衛のものでもないそれは、確かにリゼルヴィンを狙っていた。気付いたリズとギルグッドで隙を見て追い路地で払ったが、留めはさせていない。

 生かしておいてもいいが、あれはどうも普通ではない気がした。リズは、あの路地で追い詰めた男に、親近感のようなものを抱いたのだ。


「主さまの言う通り、これから大変なことになるでしょうねえ」


 楽しみになってきて、口角が上がる。

 これだからリゼルヴィンの傍は離れられない。あんな屈辱を与えられたことすらも気にならなくなるくらいに、リゼルヴィンの周りは争いと不幸、そして混乱が絶えない。


 今日もまた、空は雲に覆われていた。


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