2-1 王家の奴隷
リゼルヴィン子爵家の使命は多岐に渡る。
重罪人の処刑、内乱の制圧、貴族の監視といったものから、難事件の解決まで。王に命じられたならばそれが使命の一部となり、どんな雑用であってもこなさねばならない。
四大貴族の中でもリゼルヴィン子爵家は特別な位置にあるため、その当主となった者は王の命に逆らうことは出来ない。遠い昔の、神話時代から続く罪を償うために。
だが、基本的には本来の『断罪』の使命のみを全うする。大抵の当主はそうだ。黒い髪に黒の瞳を持つ、『黒い鳥』だけが『王家の奴隷』として、王の命に完全に服従させられる。
先々代の王であったシェルナンドによれば、リゼルヴィンは『黒い鳥』ではないという。彼は統治の才だけでなく、魔法の才にも恵まれていた。特に彼の得意とした魔法は先見、未来予知である。
未来は刻一刻と形を変えていく。それでもシェルナンドは、常に未来を見ながら生活することが出来るほどの力を持っていた。だからこそ、彼はどのような大災害が起ころうとも迅速な対応が出来、国を大きく揺るがすことがなかったのだ。
そんなシェルナンドが言ったのだ。民は納得のいかない顔をしながらも、シェルナンドが言うなら、と口を噤んだ。貴族の中には騒がしい者もいたが、シェルナンドの前では言えるはずもなく。リゼルヴィンを陰で陥れようとする者が多く出てきたが、それもシェルナンドによって排除されてきた。
リゼルヴィンが成長し、十二から貴族全員の義務とされている学校に通うようになると、シェルナンドはリゼルヴィンを『王家の奴隷』とする契約をした。いくら『黒い鳥』ではないとはいえ、その容姿から不気味がられるリゼルヴィンを、反乱の種としないためだ。
以来、リゼルヴィンは『王家の奴隷』である。どんな雑用でも、王が命じれば嫌とは言えない。その量が、その質がどれほどのものであれ、リゼルヴィンは何もかも完璧にこなさねばならないのだ。
そのことをエグランティーヌは知っているのだろうか、とリゼルヴィンはうんざりした表情で、送られてきた手紙を眺める。
「またおかしな仕事を頼まれたようで」
リゼルヴィンの様子を、リズが笑う。
「新女王陛下は主さまのことを雑用係とお思いでは?」
「あながち間違いではないわ。『王家の奴隷』とはそういうものよ。もっと酷いことだってさせられるんだから」
「へえ、一体どんな」
「そうねえ……。たとえば、あの立派な庭園の雑草抜きとか。私が魔法を失敗したとき、陛下によくお仕置きとして命じられたわ。まあ、表向きはそうでも、庭師が足りていなかったからなのだけれど。侍女の格好をして、帽子で髪を隠して、あのリゼルヴィンだってばれないように作業するのはなかなか大変だったのよ」
リゼルヴィンの言う「陛下」とは、シェルナンドのことである。
呆れた顔でリズがこちらを見ているが、リゼルヴィンは昔を思い出して楽しそうに微笑んでいる。
「私だって、もとからこんなに強かったわけじゃないもの。たくさん失敗もしたし、たくさん間違いもしたわ。その度に陛下は私を叱ってくれたのよ。そして、陛下自ら教えてくださったの。陛下がいなかったら、私もいなかったはずよ」
「……主さまが被虐趣味だったとは、知りませんでした」
「あら、そんなんじゃないわよ。陛下だけ」
「それでも叱られて嬉しいなんて、ワタシには理解出来ません」
「キャロルよりはましじゃない。彼、自分の大切なものを壊すのが好きで、自分を痛めつけられるのが好きなのよね? それは私も理解出来ないわ」
「あのクソ野郎はクソだからですよ」
「相変わらずね、あなたは」
あいつの顔を思い出すだけでも反吐が出る、と吐き捨てたリズを、今度はリゼルヴィンが笑う。
この街で、最もリゼルヴィンに信用されているのはリズだ。そして、最も仕事を任せやすいのはキャロル=ギルグッドである。
故によく二人は組まされて仕事に当たるのだが、リズは心底ギルグッドを嫌い、仕事の最中に殺し合いに発展したことも少なくない。ギルグッドはあまり気にしていないようで、その殺し合いすら楽しんでいる。ギルグッドの特殊な性癖と、リズの中にあるほんの数滴の良心と理性に救われている状態だ。
手紙をよく読み終えると、リゼルヴィンはぐっと背伸びをしながら立ち上がる。部屋の中はぼんやりとした灯りしかなく、リズの顔さえリゼルヴィンのところからは見えにくい。ぱちん、とリゼルヴィンが指を鳴らすと、部屋中のロウソクに火が灯り、急激に明るくなった。
「こうやって、器用なことも、最初は出来なかったのよ」
「信じられませんがねえ、こんな主さまばっかり見てきたんで」
「本当のことよ? 誰だって、弱かった時期があるはずだわ」
「ワタシはなかったんで」
「そりゃあ、あなたはね。生まれながらの悪魔だものね。でも、生まれつき強い人間なんて、そうそういないものよ」
「そんなもんですかねえ」
「そんなものよ、人間なんて」
理解出来ない、と眉を寄せるリズに、リゼルヴィンが机の上にあった何かを投げ渡す。
慌てることもなくそれを受け取る。くるくると筒状に巻かれたその紙を広げて、リズはげえっと舌を出した。
「こんなこともさせられるんで?」
「こんなこともありがたくさせていただくのが『王家の奴隷』ってやつよ。それはエーラからじゃなくて、フロランスから。エーラからのものは時期が早すぎるわ」
その内容は凄まじいものだった。何の罪も犯していない者を、国のために排除しろと書かれている。それも、見せしめのように。
果たしてそれは、本当に国のためなのだろうか。政治に関わることのない庶民であるリズからすれば、殺さずとも解決出来るのでは、と思ってしまう。
リゼルヴィン曰く、どんなに大金を積んで口止めをしても、人間には欲がある。そして、どんな凶悪な人間でも、完全に善を持たない者はいない。欲と善を持っている限り、完璧な口止めなど出来やしないのだ。
死人に口なし。死ねば欲も善も、滑らせる口もない。
「ワタシたちなんかより、国のお偉い方たちのが悪に思えてきますよ」
「実際そんなものよ。政治なんて、上手く隠しながら悪を行うことで進めてるんだから。どんなに賢い王さまが立ったとしても、真っ白な政治なんて出来るはずもないわ」
だからこそ、とリゼルヴィンは言葉に力を入れる。
「私のような忌み嫌われる存在が必要なの。『王家の奴隷』に出来る『黒い鳥』が、ね。もとから嫌われる存在さえあれば、それを有効活用していけばいいじゃない。いざとなれば、あいつが勝手にやったんだって濡れ衣を着せればいい。誰も反論しないし、誰もそいつを庇ったりしない。これほど便利な存在はないわ」
その声に怒りはなく、ただ、それが当たり前のことであると言わんばかりにリゼルヴィンは表情を変えない。
口元が緩むのを感じ、リズは手で覆い隠す。
「面白いですねえ。おかしいってことにも気が付いていない」
「何がおかしいのかはわからないけれど、これが面白い仕組みだというのには同意するわ。私だってこんなこと思いつかないわよ。でも、思いつかなくったって、人間はそういうことを無意識のうちにやってしまう場合もあるのよ」
「まあ、そういうことにしときましょう」
今にも声を上げて笑い出しそうなリズをそのままに、ぎっしりと本が詰まった本棚から、一冊だけ選んで取り出す。
何度も読み返されたのであろう、本棚の端で少し埃を被っていたその本の題名は『黒い鳥』。言わずもがな、この国の神話の『黒い鳥』の物語である。子供に読み聞かせるような、薄い絵本。
懐かしそうにその表紙を撫で、埃を払い落しながら、リゼルヴィンは目を細める。
「『黒い鳥』が、そうやって生み出されたわけではないわ。鳥がどうだとか、獅子がどうだとか、そういうことがなかったとしても、神話に使われるほどの出来事があったのは確かよ。そうじゃなきゃ、こんなに民に浸透するはずないもの。人々の口から語られ続けて、『黒い鳥』は悪者になった。真偽はどうであれ悪者と言われているのに変わりはない『黒い鳥』を、国が利用し始めたのよ。言ってしまえば、リゼルヴィン家は呪われた血筋。根絶やしにされていないだけ、ましなのよ。『王家の奴隷』という屈辱を与えられても、生きているだけで、感謝すべきなの」
ぱらぱらとその絵本を捲り、最後のページで手を止める。
それから、大地に染みついた黒い鳥の血が、
紫の鳥を呪うようになりました。
今でも、黒い鳥は王国を狙っているのです。
短い文章に、真っ黒な鳥の絵。
その鳥の絵を更に黒く塗りつぶしたのは、幼い頃のリゼルヴィンだ。
まだシェルナンドと出会う前のこと。自分が『黒い鳥』であることを認められず、苦しんだ幼い日。
今となっては懐かしいだけの思い出だ。リゼルヴィンは『黒い鳥』でありながらも、完全な『黒い鳥』ではない。完全に黒く染まるかどうかはこれからの将来次第だ。
そして何よりも、リゼルヴィンはあの頃のように孤独ではない。シェルナンドがリゼルヴィンの孤独を埋め、この街が傍にある。
「私は苦しくないわ。歴代の『黒い鳥』がどうだったとしても、私は幸せなのよ。それだけでいいじゃない。――無駄話はここまでにして、そろそろ行きましょうか」
リゼルヴィンは笑った。リズも、口の端だけ釣り上げて笑う。
リズはリゼルヴィンのことを三年、傍で見てきた。今何を考えているのかも、何を思っているのかも、手に取るようにわかる。
これはまた面白くなる。そんな期待を胸に、『王家の奴隷』として動き出そうとするリゼルヴィンを追った。




