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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
53/131

1-1 拾う者、拾われた者

 古書の独特な匂いが、その部屋を包んでいる。


 その部屋には作りつけの机と、年季の入った椅子しかない。数えきれないほどの本が部屋を埋め尽くし、唯一床が顔を出しているのは、壁のある一点から机までの一人が通るのがやっとの道だけ。大人の背丈ほどある本の山もあれば、開かれたままの本が落ちていたりもする。

 机の上は床とは正反対にきちんと整理されており、端の方にたくさんの紙の束が重ねられ、それらはすべて整った字でぎっしりと何かが書き綴られている。

 扉はない。窓の一つすら、その部屋にはなかった。外から何の影響も受けず、外へ何らかの影響を与えることも出来なくなっている。


 誰も入れず、誰も出られないはずのその部屋に、二人の男女がいた。


 椅子に座っているのは、長い髪の若い女。この世の人間のものとは思えないほどはっきりとした銀髪に、血よりも濃く発光すらしているような赤い瞳を持っている。その口元に浮かべる笑みは何もかもを許す女神のように慈悲に溢れ、その反面、いかなる悲劇にも涙を流さないような冷たさも感じられる。


 本の海を分かつ道の先、壁に背を預けてその女の視線を受けるのは、未だ賢王と呼ばれる男。女と同じく、この世の人間のものとは思えないほどはっきりとした金髪に、深海を思わせるほど濃く発光すらしているような鮮やかな青い瞳を持っている。女を見返す目には嫌悪が滲んでいるが、哀れむような色もある。


 銀髪の女が、ゆっくりと口を開いた。


「あなたが賢王と呼ばれることが、わたしには理解出来ません」


 落ち着いた声だった。低すぎず、高すぎず、その聡明さが滲むような声。

 男――シェルナンドはにいっと口の端を釣り上げる。


「先代が愚かであればあるほど、次が賢王と呼ばれるようになるものだ。国が荒れていればなおいい。その復興に力を注いでいれば、一方でどんな悪事をしようと、それはその復興に必要なものだと思わせられる。簡単なことだ」

「そうですね。歴史を見れば、その場合が少なからずあることを否定することは、出来ません」


 シェルナンドが王となるまでの道のりは、決して楽なものではなかった。


 シェルナンドの前の王は、大陸の中でも屈指の大国であったエンジットを、国土を元の半分以下にまで敵国に削られ、国民全員が飢えに苦しむような状況に陥らせたのだ。

 民の生活とは反対に、王族はそれまでと変わらない暮らしを続けていた。民を顧みることもなく、現状に危機を感じていても、王族たる自分たちは助かると信じ切っていたのだ。『黄金の獅子』の子孫たる王を、誰も害することは出来ないと。

 民は怒り、敵国は嬉々として攻め込んでくる。疲弊しきった軍は防壁にもならず、頼みの綱である四大貴族は揃って国外へと非難した。四大貴族は、このときすでに王は『黄金の獅子』ではないと判断していたのだ。


 そんな状況の中、民の前に立ったのはシェルナンドだった。


 幼少期より天才と呼ばれるほどに優れていたシェルナンドは、その人間離れした金髪碧眼をもって民に『黄金の獅子』を思い出させ、自ら敵軍の迫る前線へ赴き兵士たちの士気を上げた。自らも剣を振い、持って生まれた魔力で魔法を駆使し、奇跡としか言いようのない勝利をもたらしたのだ。


 その後すぐさま王を倒すために民を立ち上がらせ、内乱を起こし、王の首を打ち取った。

 このとき民はシェルナンドこそが『黄金の獅子』であると熱狂し、満場一致でその即位を認め、晴れてシェルナンドは王となったのである。


 王となってもシェルナンドは優れた王であり続け、わずか五年で国土をすべて取り戻し、四大貴族の信頼をも取り戻した。飢えはなかなか消えなかったが、十年も経てばかつての豊かさを上回る大国へと進化を遂げた。

 これらの功績を讃えずして、何を讃えるべきか。十七で王となり、四十二で病に死した王は、民にとって紛れもなく賢王であったのだ。在位二十五年で成し得たものは多く、歴代の王の中で最もその死を惜しまれた王である。


 しかし、その裏で行っていた様々な悪も、民は知っている。

 シェルナンドもそれを隠そうとはせず、むしろ堂々と公表していた。それでも民はシェルナンドから離れることなく、『黄金の獅子』を信じ続けていた。


「強大な善さえ行っておけば、その光に目をやられた人間には悪など見えまい。上手く立ち回りさえすれば、な」

「あなたほどの人間でなければ、すぐに退位に追い込まれていたはずです。あなたが規格外なだけですよ」

「民の理想の王たらんとする人間には、そもそもこのような考えを持つこと自体出来んだろうよ。王たるもの、などという言葉には嫌悪しか感じぬ」


 銀髪の女は表情を変えず、ただ頷いた。何を考え、何を感じているのかは、きっと誰にもわからないだろう。

 ところで、と女が自らの足に目をやった。


「わたしがここに入れられて、どのくらいになるのでしょう。――いえ、違いますね。あとどれだけ、わたしをここに入れておくのですか。賢王さま」

「ハッ。貴様が死んだとしても、この中から出すものか。脚ももう動かんだろう。早々に諦めることだな、イストワール」

「諦めていますよ。もう、ここに入れられたその日から」


 そう言った女――イストワールの表情には、やはりあの笑みが浮かんでいる。

 その表情が気に入らなかったのか、シェルナンドが顔を歪ませた。銀髪の女と正反対の色を持ち、正反対の表情をした。

 気にした様子もなく微笑み続ける女は、シェルナンドに視線を戻す。


「近いうち、あなたの大切な娘たちが危機に直面します」

「……なんだと」

「娘たちだけではありません。民も、国も、すべてが無になる可能性も大いにあります。あなたが築いてきたものすべてが対象です」


 何でもないことのように、女は告げた。

 シェルナンドは眉を寄せ、低く問う。


「何が起こる」

「さあ。わたしはあくまで『歴史(イストワール)』であって『先見(プロフェット)』ではありませんから」


 言って、ようやく、イストワールは目を細めた。

 シェルナンドはその様子を不愉快に思いながら、先を見た。


 そして、後悔する。可能性の一つであるに過ぎないとはわかっていながらも、それがシェルナンドの望む道ではないことに腹が立つ。


 病的なまでに白い肌を染める赤は生臭い血。細い体に突き刺さるおびただしい数の矢と剣。

 琥珀の瞳は虚ろで何も映さず、義手をつけていた右腕はない。

 足元には数えきれないほどの死体。

 その死体の山の頂上に立つのはリゼルヴィンであり、死体の中には見知った顔も多くある。

 空は今にも降り出しそうな厚い雲に覆われているのに、いつまで経っても雨は降らない。


「わたしには、あなたが見ている景色がどんなものか、わかりません。けれど」


 イストワールの口元が、弧を描いた。


「リゼルヴィンは――あなたが大切に育てた鳥は、きっと死にますよ」


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