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「自分に危害を加えそうな相手と、抵抗する者は死なない程度に殴っちゃって。それでも抵抗する者は殺しなさい」
リゼルヴィンの仕事を手伝うときには毎回言われるその言葉に、ルーツも毎回従ってきた。戦闘は得意ではないため、あまりその言葉を実行することはなかったのだが、その気になれば従っていたとルーツは思っている。
だが、今回はその気になれるかどうか。
もしもエリストローラがルーツに気付き、助けを求めてきたら、自分はどうするだろう。
答えは決まっている。絶対に助けず、したとして助けるふりだ。すぐにリゼルヴィンに引き合せ、拘束してもらうだろう。それは絶対に、揺らぐことはない。必要とあらば、殴ることも出来る。
しかし、殺せるか、となったら別だ。殺せるかもしれないし、殺せないかもしれない。我を忘れるほどエリストローラに怒りを覚えたら殺せるかもしれないが、それ以外だとどうも自信がない。
エリストローラが、初めてだったのだ。ルーツと同じ考えを持つ人間に出会ったのは、エリストローラが初めてだった。
考えれば考えるほど、わからなくなってくる。段々と考えることが面倒になってきて、ルーツはとにかくエリストローラの持つ『薔薇の花園の乙女』に思いを馳せた。
エリストローラがリゼルヴィンに捕まれば、ルーツの元に『薔薇の花園の乙女』が戻ってくる。それも二体同時に、だ。これ以上嬉しいことはない。エリストローラが死のうが生きようが、人形が戻ってくるなら、ルーツは幸せだ。
それだけを考えていると、今回の取引場所に到着した。
ルーツは昨晩と同じようにエルに化粧をしてもらっており、従者役だったリズも一緒だ。今回は叔母が同行出来ず、従者と二人で来た設定になっている。
アリスティドとセブリアンはウェルヴィンキンズでしばらく待機し、取引が最高潮に達した瞬間に、リゼルヴィンと共に転移してくる予定だ。
取引の場所は毎回変えているようだ。『マティルダ・ドール』などと勝手にルーツの名前をつけ、人身売買なんて重罪を躊躇いなく行っているというのに、そういうところは抜かりない。表向きにはエリストローラとは無関係な場所を選んでいるのもまた、上手く立ち回っている。
「ほんと、なんか私たちみたいですよね、動き方」
馬車を出るべき時期を逃すまいと、外の様子をこっそり伺いながら、ルーツはリズにそう話しかけた。
仮面をつけたとしても、ルーツはどこからどう見ても少女である。ただでさえ子供が来ていると目立つというのに、今日は叔母役のリゼルヴィンがいないため、どんな動きをするにしても時期を見誤るわけにはいかないのだ。
「計画的ですもんねえ。大胆なくせして、見つからないように上手く立ち回れる。ワタシもびっくりですよ。久々に面倒な相手です」
「リズさんでも、面倒だと思う人がいるんですか?」
「そりゃ、ワタシも今は人間ですからねえ。自分の持つ力を上回る相手には、到底敵いませよ」
「今は……?」
リズの言い方が引っかかったが、なんでもないです、と笑顔を向けながらも完全な拒絶が見てわかるそれに、ルーツは何も訊けなくなった。
リゼルヴィンもよくわからない人間だが、リズはそれ以上によくわからない人間だ。
たとえば、その言動。リゼルヴィンの言動からは、うっすらとではあるが歩んできた過去がちらちらと顔を見せることがある。対して、リズの言動からはそれがない。
まあいいや、リズには悪いが、さして興味もない。首をかしげていたルーツだったが、すぐにそんな考えに到り、少しばかり湧いたリズへの興味は消えていった。もともと人形にしか興味のないルーツである。ウェルヴィンキンズに来てからというもの、他者に興味を抱くことはしばしばある。だが、それらが継続して湧き出るのは契約を結んだ間柄であるリゼルヴィンと、態度は悪いが何かと気にかけてくれているセブリアン、そしていざというとき傍にいてくれるアリスティドの三人くらいなものだ。
いや、今は、ミランダやジュリアーナも、だろうか。ウェルヴィンキンズに来てから、随分とルーツは変わった。
前回リゼルヴィンに声を掛け、リゼルヴィンを気に入った様子だった恰幅のいい男が、会場へ入っていく。今しかないとリズに手を引かれ、不自然でないぎりぎりの速さでその男の後から二人も入っていった。
この男は本人が言っていたように初回から参加しているため、参加者の中でも結構な有名人であった。まんざらでもないらしい男は、参加者たちが挨拶に来るのを受け入れていた。
そのためこの男が入ってくると、ちょっとしたざわめきが起こる。男に人が集まっている間に入れば、目立たずに済むのだ。
ルーツを隠すように自然に立つリズがこっそりと出す指示に従い、今回の取引の場となる広間へ進む。今回は地下がない建物だった。だからこそ、前回の下見から間を開けずに今回乗り込むことになったのだ。
やはり今回も競売形式だ。前回に売れ残ったらしい人形が二体ほどと、また新たな人形が六体ほど。簡易的な舞台の上に並ばされ、ルーツはまた気持ち悪くなってくる。
取引は進む。参加者がわーわーと大騒ぎしながら、前回同様、どんどん値が上がっていく。今回は地下ではないが、広間の隅に等間隔で並ぶ、見るからにそれらしい魔導師たちを見ると、きっと魔法で音を遮断しているのだろう。そうでなければ建物周辺にも聞こえそうなこの騒ぎにはさせていないはずだ。
と、一際美しい人形が舞台に連れられる。参加者たちもそれまでより大きく騒ぎ出した。今回の目玉となる人形の次に美しく、魔力は少量ながらこれまでの人形より質が高いらしい。
「……今ですかね」
「はい。主さまを呼びましょう。私はここに残って主催者を見張っておくので、リズさん、お願いします」
「頼みますよ」
興奮して最後部にいるルーツたちのことなど気にも留めない参加者たち。二人がエンジットの言葉で声を抑えることをしなくても、誰も聞いてはいなかった。
さっと参加者から離れて行ったリズを見送ることもせず、ルーツは舞台上のエリストローラをじっと見つめる。すぐにでもリゼルヴィンたちがやってくるだろうが、そのごくわずかな時間に万が一でも逃げられることがないよう、ひたすらに見張った。
騒がしい声は耳が痛くなるほど。エリストローラを見張る目は、瞬きを忘れているかのように開きっぱなしだった。
ふと、視線に気付いたらしいエリストローラと目が合う。距離と仮面のため本来なら合っているかどうかわからないはずだが、ばっちりと目が合ったと確信した。
だが、ルーツは視線を逸らすことなく、エリストローラの目を見続ける。
一瞬だけ、エリストローラが苦々しい表情をした。実際はどうだかわからないが、やはりルーツは、そんな表情をしたと確信する。
そのとき、ルーツの肩に誰かが手を置いた。
「振り向かないで。あなたはそのまま彼を見続けて」
リゼルヴィンの声だった。ということは、アリスティドやセブリアンも到着したのだろう。転移魔法は便利で助かる。
囁くような声なのに、リゼルヴィンの声はしっかりとルーツの耳に入ってきた。一人ではなくなったことに少々安心したが、言われた通りにエリストローラを見続けた。
エリストローラは、ルーツから目を離していた。ルーツの後ろのリゼルヴィンに気付いたのだろう。
「逃げられるわけがないのに。可哀相ねえ」
そんなエリストローラをリゼルヴィンは笑う。すると、エリストローラは大人しくその場に戻っていた。リゼルヴィンが魔法でも使ったのだろう。
「これから逃げようとする人間でもみくちゃにされちゃうかもしれないけれど、アリスティドに守ってもらってね。あなたはそのまま、ここにいて、彼を見続けていて」
「ルーツ、大丈夫ですか」
「アリスティド、ルーツちゃんをお願いするわよ。傷一つでもつけたら街から追放するわ」
そう言い残して、リゼルヴィンが離れていく。代わりにやってきたアリスティドがルーツに寄り添い、頼もしさを感じながら、ただ、エリストローラを見る。
広間はまだ、騒がしい。先程の人形の買い手は、未だ決まっていないようだ。
誰も気付いていなかった。広間の隅に立っていた魔導師たちが、血を流して倒れていたり、泡を吹いて倒れていたり、無傷でいながらも気を失っていることに。
だが、気付く者は、必ずいる。
きゃあーっと、興奮した参加者たちの怒声とも取れる騒がしさを切り裂くほどの悲鳴が響く。
それまでとは違った意味で騒がしくなり、どよめきが広間を包んだ。そして、一人、また一人と魔導師たちの異変に気付き始める。
始まった、とルーツは足に力を入れた。ルーツは、何があってもエリストローラを見続けなければならない。それが何のためかは知らないが、そうすることできっとエリストローラをその場に留まらせることが出来るのだろう。
「おい! これは一体どういうことなんだ!」
あの恰幅のいい男が叫んだ。これまでこんなことはなかった、などと騒ぎながら、一番無残な姿になっている魔導師の死体を指差した。辛うじて息をしている他の魔導師たちに目をやっていくと、大声を出しているわけでもないのに広間全体にリゼルヴィンの声が響いた。
「四大貴族のリゼルヴィンさまが、あなたたちの悪事を取り締まりに来たのよ。抵抗しないように。あなたたちに逃げ場はないわ」
その声はとても悪事を取り締まる側の人間の声ではない。何がおかしいのか笑いすら含んでいる。
誰かが逃げ出した。集団から走って広間の扉を目指す。
しかし、いつの間にか扉の前に立っていたセブリアンの蹴りで吹き飛ばされ、床に倒れ込んだ。
「逃げ場はねえって言った主さまの言葉、聞こえなかったのか?」
にい、と笑ったセブリアンの表情は、参加者のほとんどを震え上がらせ、抵抗する意思を奪っていく。
だが、参加者の中には魔導師である人間も多くいる。その魔導師たちは、無謀にも魔法を使おうと詠唱を始めた。
それも、リゼルヴィンがやってきた今、無駄である。
「もしかして、みなさんはリゼルヴィン子爵サマの名を知らないんですかねえ。魔導師なら誰もが知っているというのに。――大人しくしとけって言ってんのも聞こえなかったのかよ」
「おーいリズ、てめえ口調素になってんぞ」
詠唱し始めた魔導師の一人を殴り倒し、懐から取り出した鋏を向けて他の魔導師を脅すリズ。
セブリアンとリズが何か会話をしているが、この場に似つかわしくない軽いもので、それがまた参加者たちの恐怖を助長した。
「リゼルヴィンだと!? はっ、ここに姿もないのに!? そんなくだらないはったりが効くか! おい、誰かあいつらを捕まえろ!」
「残念ねえ、姿はなくてもいるのよねえ、ここに」
威勢だけはいいあの男の背後には、リゼルヴィンが。
にっこりと笑うリゼルヴィンの笑顔と、耳元で囁かれた言葉に、ひいっと情けない悲鳴を上げる。その様子に、リゼルヴィンは更に笑みを深めた。
黒髪に、琥珀の瞳。怪しげな笑みを浮かべ、不吉な喪服を身に纏う『黒い鳥』、リゼルヴィン。
リゼルヴィンの姿をこれまで見たことのなかった者も、その笑みを見れば嫌でもわかる。
この女こそが、あの『リゼルヴィン』である、と。
「う、うわああああっ! 悪魔! 悪魔だあああ!」
リゼルヴィンはまだ何もしていないというのに、参加者たちはそう叫びながらどうにか逃れようと逃げ出し始めた。
人の波が押し寄せてきた、とルーツはエリストローラから目を離さないようにしながらアリスティドに掴まる。
扉にはセブリアンがいる。彼に任せればほとんどの者が倒されるだろうが、念のためにとリズが加勢し、参加者の半数以上が床に寝かされることになった。
広間はそれまでが嘘のように、静まり返る。
まだあの男の背後に立ち、動けなくなった男に何か囁き続けていたリゼルヴィンも、その静けさに満足して、男を解放してやった。その場に崩れ落ちた男を見ることはなかった。
カツン、と大袈裟に足音を立てながら、リゼルヴィンはエリストローラに近づく。舞台上の人形たちは、呆然とそれらを見つめていた。
意外にも、エリストローラはもう逃亡を諦めた様子だった。大きく溜め息を吐いて、仮面を外す。
「お久し振りです、リゼルヴィン子爵殿」
「久し振りねえ、エリストローラ伯爵。あの夜会、とても楽しかったわよ。メイナードを呼んだのは気に食わなかったけれど」
その会話は、その場面だけ切り取れば和やかなものだった。周囲の状況を考えなければ。
大抵のことでは笑みを崩さないリゼルヴィンは、エリストローラを見る目に優しげな色さえ見える。仮面を取ったエリストローラの目にも、何故だか安堵の色が浮かんでいた。
「あなた……自分がやってたこと、わかってるわよね」
何も思っていないような、淡々とした声。
エリストローラは躊躇うことなく頷く。
「十分、わかっております。このときをどれほど待ちわびたことか。……ですが、リゼルヴィンさま、少しだけあちらの方とお話しさせていただけませんか」
あちらの、と言って、エリストローラはルーツを見た。
どうか断ってくれとルーツは祈ったが、リゼルヴィンはゆったりと頷き、許可を出す。
渋々ルーツはエリストローラの元へ足を向ける。アリスティドには大丈夫だと伝え、何を言われても動揺しないよう気を引き締めた。
「……生きておられたのですね、マティルダさん」
「いつから私に気付いてたんですか。顔、変わってるのに」
「わかりますよ。あなたが、私の扱う『人形』に向ける嫌悪が、あなたのご両親に向けていたものと、同じだったから」
エリストローラはふっと笑う。その笑みは、ルーツが知っているエリストローラのものだ。
不思議とそれまでエリストローラに抱いていた不快感や、裏切られた思いは感じなかった。懐かしさも、何もない。
「あなたが死んだと聞いて……どれだけ苦しかったことか」
「そうですか」
「何も、言い訳はしません。私がやったことは悪だ。あなたへの、あなたの作る人形への、侮辱に他なりません。ただ、これだけは言わなければならない」
「言い訳に聞こえたら、ぶっ飛ばしますよ」
「はは、変わりましたね、マティルダさん。――私の屋敷の地下に、あなたの最高傑作である『薔薇の花園の乙女』のうち、『ウェスパ』と『ラトラ』があります。私が『マティルダ・ドール』として扱っていた少女たちもそこに。取引相手のリストもそこにあります。それをすべて、マティルダさんにお渡しします。その後の扱いはどうぞ、ご自由に」
神妙な表情でそう言うものだから、ルーツも断るに断れず、頷いてしまう。
話すことを話し終え、エリストローラはリゼルヴィンの元へ戻っていく。ルーツがリゼルヴィンにすべてを流すだろうと、きっとわかっているのだろう。それでも、ルーツはエリストローラが何を考えてルーツに譲ると言ったのか、まったくわからなかった。
「お話は終わりかしら」
「はい。どうぞ、私を罰してください。逃げも隠れも弁明もしません。もとより、私がリゼルヴィンさまに敵うとは思っておりませんので、しようもありませんが」
「……その言い方、なんだか嫌なことを思い出すわ」
不快感を露わにしつつ、何の前触れもなくエリストローラのみぞおち目掛けて拳を振る。
あまりに突然のことで、エリストローラだけでなく、ルーツもアリスティドも、少し離れたセブリアンまでもが驚いている。
殴った本人はというと、楽しげに「あら、大した衝撃じゃなかったかしら。ちょっと運動不足かしらねえ」などと笑っている。
「今、私が与えられる罰はこれだけよ。あとの罰は、色々と手順を踏まなきゃいけないの。今回の場合、良くて爵位取り消し、悪くて死刑ね。人身売買はエンジットでは大罪だし、奴隷の所持は国王しか認められていないわ。それだって私のような『黒い鳥』に限られてる。そういうのが認められてる国だったら、あなたの罪も可愛いものだったんでしょうけれど」
どこどこの国はそういうのが盛んで一般的だとか、どこどこの国は反対に厳しすぎて関与した者全員が死刑にされるだとか、そんなことを話すリゼルヴィン。
そんなリゼルヴィンが何を考えているかをわかる人間はこの場所にはいなかった。大人しく怯えたまま成り行きを見守っている参加者たちですら、ぽかんと口を開けている。
ただ一人、リズだけが、呆れて物も言えない、といった表情だった。
大陸中の人身売買事情について一通り話したあと、リゼルヴィンはようやく参加者たちがいることを思い出し、茶目っ気のある笑顔を見せた。それにいらっときたらしいリズが、可愛くないですよと叫ぶ。
「まあ、それはそれとして。エリストローラ伯爵は私に同行しなさい。他のみなさんは、これから来る警察官たちに取り押さえられてね」
売ってはならぬ買ってはならぬ。そう法で定められているのだ。参加者たちも罪に問われなければならない。
あらかじめこの辺りが管轄である警察たちに話はしてあった。その立場と噂から、リゼルヴィンはあまり警察と騎士に好感を持たれていないのだが、四大貴族全員からの要請であり国王の命であると言えば、どちらであっても協力せざるを得なくなる。平気で容疑者を殴ったり殺したりするものだから、終わった後にリゼルヴィンのやり方は野蛮だとか『黒い鳥』である証拠だとか言われるのだが、もう十年もそんなやり取りをしているので慣れたものだ。
あまり時間を置かず、こちらへ向かう複数の足音にセブリアンが扉を開けると、十数人の警察官が飛び込んできた。傷ついた者や気を失い倒れている者が多数、無残な死体が一つ転がっているという異様な状況に、驚愕の表情を浮かべた彼らをリゼルヴィンはくすくすと笑う。
そうしてリゼルヴィンの存在に気付いた警察官たちは、今度はリゼルヴィンへ向けて怒りの表情になる。それがまたおかしくて、声をあげないよう耐えるのが大変だったと後にリゼルヴィンは語る。
調査に時間をかけた割に、『マティルダ・ドール』の一件は、こうしてあっけなく幕を閉じたのだった。
エリストローラ伯爵家は爵位取り消しとなり、当主であり主犯であったノドス=エリストローラは死刑に決定した。
たかが人身売買で死刑は厳しすぎる、との声も上がったが、その前後で犯した罪が多すぎた。誘拐、監禁、虐待など、叩けば出てくる埃があまりに多く、大人しく捕まってくれたからと少しばかり軽くしてやろうとしたリゼルヴィンもお手上げの状態だったのだ。
一番まずかったのは、本人の同意なしに行われた、惨すぎる魔法人体実験だ。ただでさえ魔法人体実験は魔導師以外からの批判が多く、民はすべて『黄金の獅子』の所有物であると考える一部の過激な聖職者からの目も厳しい。リゼルヴィンがエリストローラの罪を軽くし、生かしておこうものなら、きっとそれらから送られてきた暗殺者によって、あるいは堂々と殺されてしまう危険性があった。
それならば本人も望んでいるし、とリゼルヴィンは死刑に処すことを決定し、四大貴族とエグランティーヌに許可をもらった。
執行の日取りも決まり、残すところはエリストローラ邸の地下を調べるのみとなった。
本来ならばすぐにでも捜査すべきところ、リゼルヴィンは地下から人形と呼ばれた少女たちを救い出したあと、自分が調べ尽くしたと警察に報告した。警察は納得せず、地下へ降りて行ったが、そこには本当に何もなかった。もちろん、リゼルヴィンの魔法によって隠されていただけだ。
そのとき、リゼルヴィンも地下をしっかり調べたわけではない。曰く、エリストローラから地下を譲ってもらったのはルーツであるから、ルーツと一緒でなければ調べる権利はない、とのこと。
後に『マティルダ・ドール』事件とそのままの名前を付けられた一件の影響も落ち着き、警察もエリストローラ邸の捜査を終了したのを見計らって、リゼルヴィンはルーツを連れて地下室の前に転移魔法で移動した。
アリスティドが言っていた通り、面倒な仕掛けがいくつかあった。リゼルヴィンと警察によって鍵はすべて開けられていたが、他はそのままにしてある。
「まだ、空気が淀んでいるわね。漂っている魔力が濁っていて気持ち悪いわ」
中に入ると、リゼルヴィンが忌々しそうにそう言った。ルーツには魔力が濁っているかどうかなどわからないが、空気が淀んでいることには同意する。一刻も早く外に出たい場所だ。
檻によって仕切られているのは、人形たちを入れる部屋だからか。不快に思いながら、扉のある奥へ進む。
奥の部屋は、ごく普通に生活出来そうな部屋だった。
入ってすぐルーツの目に飛び込んできたのは、ずっと探し続けていた二体の美しい人形。
「『ウェスパ』! 『ラトラ』! 会いたかった……!」
丁寧に飾られたその二体の人形に駆け寄り、優しく抱きしめるルーツは涙すら浮かべている。
リゼルヴィンも何度か『薔薇の花園の乙女』シリーズの人形を見せてもらったことがあるのだが、この二体もそれと同じく、じっくりと観察しても人形とは思えない出来だ。事情を知らない者から見れば、ルーツが可愛らしい少女二人を抱きしめているように見えるだろう。
ルーツが人形たちと感動の再会を果たしている間に、リゼルヴィンはエリストローラの言っていた取引相手のリストを探す。置かれていた机の引き出しを開けてみれば、すぐに見つかった。その引き出しには鍵がかかっていたが、リゼルヴィンの前ではあってないようなものだ。
「主さま、二人を連れ帰ってもいいですよね。私のドールなんですから」
「ええ、もちろんよ。そのために警察にも入らせなかったの。こんな不愉快な場所から、早く出してあげなきゃね」
許されずとも持ち帰る気しかなかったルーツは、許可をもらったことで心底幸せそうに笑った。しばらくは機嫌が悪くなることもないなと、リゼルヴィンも嬉しくなる。
その部屋から見つかったものは、取引リストだけではなかった。少女たちに無理に組んだ魔法式の仕組みが書かれた資料や、協力者たちとの手紙など、発見されたのが刑が決定される前であったらエリストローラ伯爵家の爵位取り消しだけでは済まなかったであろうものばかりだ。魔法式の仕組みを見て、自分もなかなか酷い魔法を操っていると認めていたリゼルヴィンですら、やはりこれは酷いと吐き気がしたほどだ。まともな魔導師なら思いつきもしない。
ふと、床のある一部が気になった。少しばかり周りと色が違う。
明らかに隠し部屋があるとわかるそれに、リゼルヴィンは魔法でその下を見た。
瞬間、リゼルヴィンの表情が驚愕に染まる。
「ルーツ! あなた先に帰ってなさい!」
半ば叫ぶようにそう言ったリゼルヴィンの様子に、思いもよらない出来事が起きたのだと察したルーツは何も言わずにリゼルヴィンの転移魔法を受け止める。転移の瞬間に、リゼルヴィンの体が小さく震えているのを、見てしまった。
はっと気付けば、ルーツは人形を抱えて、自分の家の中に立っていた。
あれほど動揺しているリゼルヴィンは初めて見た。心配になりはするが、リゼルヴィンのことだ、きっと大丈夫だろう。これまでの経験でそう考えて、リゼルヴィンも感情的になり冷静さを失うことがあるとは知らないルーツは、取り返した人形を見せびらかすために家を飛び出した。
まだ昼間ではあるが、アリスティドとセブリアンは起きているはずだ。アリスティドの家を訪ねたが、扉を叩いても出てこなかった。不在であることにいらついて、少しばかり強めに扉を蹴る。思っていたより強く蹴ってしまったのか、なんだか嫌な音がした。
「まあ、アリスがいないのが悪いよね」
責任はすべてアリスティドにある、と反省することなく、次は門へと向かった。
セブリアンは昼も夜も関係なく、ほとんど年中無休二十四時間営業で門番の仕事をしているため、きっと門の近くにはいるだろう。
確かに、セブリアンは門にいた。アリスティドも一緒だった。
「なーんだ、アリスここにいたの。扉壊したの無意味じゃん」
「扉って、俺の家の扉ですか! なんで壊したんです!」
「せっかく私の最高傑作の愛娘たちを見せてやろうと思ったのにアリスがいなかったから」
悪びれずそう言ったルーツに、アリスティドは涙目だ。理不尽な理由で扉を破壊されるのは、これで何度目だろう。そんな二人を、セブリアンは笑った。
「ほら、見てよ! 私の愛娘、『ウェスパ』と『ラトラ』! 今日、エリストローラの屋敷から取り返してきたんだ!」
「おー、これまた高く売れそうな……」
「それ次にまた言ったら殺すからね、セブリアン」
セブリアンにしてみれば最上級の褒め言葉だったのだが、実際に売られてしまったルーツからしてみればこれ以上なく不快な言葉だったらしい。本気で人を殺しそうな目をしたルーツに、セブリアンは慌てて謝って宥めた。
なんとか立ち直ったアリスティドも、その美しさを褒め称えた。的確にルーツが喜ぶ点を褒めるため、ルーツも照れ隠しにお礼の言葉と共に拳を一発食らわせてやる。理不尽極まりない。
「にしてもさ……。今回の件で、ちょっと主さまとミランダの気持ち、わかったような気がするんだよね」
急に沈んだ声を出したルーツに、アリスティドとセブリアンも笑みを消す。
「主さまって、前の王さまの……えっと、ニコラスだっけ。その人を殺したじゃない? 主さまは認めてなかったけど、どう聞いてもその人と友達だったのに、自分で殺しに行った。ミランダはその人と恋人だったにも関わらず、自分が作った毒を飲ませた。それってすごくつらいよね。普通に考えて」
表向きには病死とされている先王、ニコラスだが、ウェルヴィンキンズではリゼルヴィンによって毒殺されたのだと真実が広まっている。王族を憎みこそすれ、好意を持つ者など存在しないため、真実を語って喜ばれることはあっても、基本は無反応で終わる。
実際、まだ一月しか経っていないのに、ニコラスが毒殺されたことはもちろん、ニコラスという王がいたことさえ忘れている者がほとんどだろう。
ぎゅっと人形を抱きしめて、ルーツは俯く。
「ルーツ……」
「あの主さまが辛い苦しいなんて感じるか?」
アリスティドは心配そうにしたが、セブリアンは怪訝そうにそう言った。それが気に食わなかったのか、足元にあった小石をセブリアンに向けて蹴る。脚に当たりはしたものの、セブリアンは大して表情を変えなかった。
「まあいいけど。私は私で今幸せだし!」
顔を上げて笑顔を見せたルーツに、アリスティドもほっと胸を撫で下ろす。
それにさあ、と家へ帰るためアリスティドたちに背を向けたルーツが、思い出したように振り向いて言った。
「私のこと、アリスが幸せにしてくれるんでしょ!」
少しばかり頬を染めて笑うルーツに、アリスティドはらしくもなく顔に熱が集まるのを感じた。
「当たり前です! 俺以外にルーツを幸せに出来るはずがありません」
これでは立場が逆だが、これはこれでいいのかもしれない。
今にもいちゃつき出しそうな二人の背中を見送りながら、セブリアンが失笑して呟いた言葉は、二人には届かない。
「あいつらの式挙げる準備、してやらねえとな……。リルに相談すっか」
見た目もその言動も怖そうなセブリアンは、実は結構な世話焼きである。
ルーツを転移させて、リゼルヴィンはすぐさま外せるようになっていたその床の一部を外し、躊躇うことなく飛び込んだ。
梯子は隠し部屋の内部に置かれていた。上からしか開けられないというのに、下からしか上れないようになっているらしい。
「……だれ」
中には人がいた。飛び降りてきたリゼルヴィンに気付かないわけがなくそう声をかけられたが、その声からは警戒も怯えも感じられない。ただ反射的に、そう問うてみただけのような、感情のこもっていない声だ。
「どうして……どうしてあなたがここにいるのよ……!」
対して、リゼルヴィンは驚愕を声に乗せている。
リゼルヴィンの頭上からしか光は入って来ず、そこ以外は塗りつぶしたような暗闇だった。だが、リゼルヴィンは声の主の姿が見えていなくとも、それが誰だか知っている。
「リゼ、ル……?」
あちらも、リゼルヴィンが誰だか知っているらしい。声を聞いて、リゼルヴィンの愛称を呼んだ。
それを聞いた途端、リゼルヴィンに迷いが生じた。
この人を助けるべきか、このままにしておくべきか。
「助けなきゃ、駄目なんでしょう!?」
迷いを振り切るように、リゼルヴィンは叫んだ。助けなくてはならない。こんな場所に置いていてはいけない。
だがその一方で、リゼルヴィンの心はどろりとした醜い感情で埋め尽くされていく。こいつがすべてを奪ったのに、助けなくてはならないのか。自分の不幸はすべてこいつのせいだというのに、このまま捨て置いてはいけないのか。
ぎり、と歯を強く噛みしめる。
助けるにしろ見捨てるにしろ、この場に置いてはおけないのは変わらない。
半ば飛び掛かるような勢いで近付き、声の主の手を掴む。驚いて引っ込めようとしていたが、そんな弱い抵抗ではリゼルヴィンを止められない。
「何をしてるのよ、レベッカ!」
光の当たる場所まで引きずり出せば、顔がはっきりと見える。
落ち着いた茶色の髪は薄汚れ、見る者を魅了する美しい顔にはインクで魔法陣が描かれた跡がある。
その人は、間違いなく、リゼルヴィンがどうしようもないほどに憎んでいる、三年前に絶縁したリゼルヴィンの姉、レベッカ=リゼルヴィンであった。
「これって番外編なのか?」な内容と長さでしたが、これで終了です。
次回からは第二部へと入ります。年が明けてからの更新です