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  作者: 小林マコト
番外編 マティルダ・ドール
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8

「ちょっとこれは……見たことないくらい酷いよ」


 エリストローラから引き取った人形『ウェスパ』を診たミランダは、あまりの気味悪さに鳥肌をさすりながらそう言った。

 リゼルヴィンの屋敷は相変わらず、昼間に人の影がない。

 誰かに聞かれて困る内容でもないと判断したらしく、また聞いている人間もいないということで、壁に凭れたまま、リゼルヴィンはミランダに報告するよう言った。


 ウェルヴィンキンズには、薬師はおろか医者すらいない。大抵の怪我や病は、リゼルヴィンの魔法があればたちどころに完治してしまうからだ。それでも治らないものは、皆それを受け入れて一生付き合っていくか死を穏やかに迎え入れる。そもそも生きようという気持ちがない住人たちに、医者の方が逃げていく。

 ミランダは薬を研究しているとあって、一通りの医術は学んでいる。リゼルヴィンが保護してすぐのミランダに、学ぶ環境と費用を援助していたリゼルヴィンは、万が一のためにミランダに医術も学ばせたのだ。記憶力が悪いとはいえ、意欲は人並み以上のミランダは苦しみながらも習得した。リゼルヴィンに学費を払ってもらっていたというのもあって、断れなかったというのもある。


 そうして医者になろうと思えばなれるくらいにはなったミランダは、リゼルヴィンが魔法を使えない、あるいは使いたくない相手を見ることがある。

 リゼルヴィンに関わり、リゼルヴィンが治したくない怪我や病と言ったら、ごく一般的な医者が診ようとしないものばかりだ。ミランダも何度吐きそうになりながら診てきたことか。回数を重ねるごとに慣れ、多少のことには動じなくなったのは幸いか。リゼルヴィンと関われば関わるほど、自分の中の「普通」が薄れていくのをミランダは感じている。


 そんなミランダでも、今回ばかりは鳥肌が立つほどだった。見た目の惨さはない方だが、『ウェスパ』から感じられる人間の悪意が、あまりに気持ちが悪いのだ。

 メモを見ながら、ミランダはリゼルヴィンに診断結果を報告する。


「目を縫い合わせていた糸はすぐに外せたよ。痕は、残ってしまうけど。体のあちこちにある傷跡は鞭と鋭利な刃物でつけられたもの。こっちも痕は残るけど、骨や内臓にまで影響を与えるようなものはないよ。あとは……言いづらいんだけどさ」


 いい言葉が見つからず、ミランダは困った顔をした。

 誤魔化しも何もいらない、はっきり言ってくれとリゼルヴィンに言われ、迷いながらも口を開いたミランダの声は、重く苦しいものだった。


「堕胎が……何度も繰り返されている……しかも医者がやったものじゃない……」

「そんなことだろうと思ったわ。……まったく、これだから下級の魔導師は最低なのよ」


 呆れ果てた様子で、リゼルヴィンが溜め息を吐いた。


「実力はあるけど魔力が足りない、魔力はあるけど消費についていけない、なんて魔導師は山ほどいるわ。そんな魔導師たちは、自分の持つ力を最大限に活用しようとする魔導師と、足りない魔力をどんな手を使ってでも他から入手しようとする魔導師の二種類に分けられるの。基本的には前者に当てはまる魔導師が多いのだけれど、後者の魔導師も少なからずいる。魔導師は本来人間には使えない、魔法なんて大層なものを操ろうとする。その反動は人間本来の『欲』に出るのよ。人間の本能的な欲――食欲やら睡眠欲やら、性欲やら。だから魔導師には、食欲がありえないくらいに強い人だったり、一日中寝てるんじゃないかってくらい睡眠欲の強い人も少なくないわ。性欲も例外じゃない。『マティルダ・ドール』は、そんな魔導師には都合が良すぎたんでしょうね」

「……吐いていい?」

「ここじゃないどこかでならいいわよ」


 うわあ、とげんなりした表情になったミランダと、それを見てくすりと笑うリゼルヴィン。

 魔導師の間ではよくある話だ。『ウェスパ』のような例はあまりない、あってはならないことではあるが、何人もの娼婦を自分の屋敷に住まわせ、その女たちから魔力を補充する者も多いのだ。魔法式を組み替えられた『マティルダ・ドール』が魔導師に買われたのなら、そんな使い道をしない者はいないだろう。

 あえて死刑執行人になり、そこで流れた罪人の血を啜る狂人としか言いようのない魔導師もいるのだから、殺されないだけましだと考えるのはリゼルヴィンが長く魔導師をやっているからか。


「リゼルは?」


 ふとした興味でミランダがそう尋ねてみれば、リゼルヴィンは更に笑った。訊いてはならないことを訊いてしまったかと後悔したが、リゼルヴィンは笑いながらも答える。


「私の魔力なんて有り余ってるもの。今のこの枯渇している状態なんて、滅多にないことなのよ? 魔力の少ない魔導師の欲が強くなるのとは反対に、魔力の多い魔導師は、欲が少ない傾向があるわ。私だって例外じゃなく、欲が少ない魔法使いなの。本能的な欲求は、ね」

「へえ……」


 最後の一言が意味することは深く考えないようにしつつ、ミランダは感心した。


 毎年増えつつあるものの、まだまだエンジットに魔導師は少ない。遠い異国、それこそリゼルヴィンの祖母の故国では、そこらを歩いている人間を適当に指させばその人は魔導師であるほど、魔法はあって当たり前だという。ちなみに、その国では魔法のことを魔術、魔導師のことを魔術師と呼ぶらしい。

 王立魔法学校なんてものも存在するが、先々王シェルナンドによって作られた歴史の浅い学校である。生徒数も三百を少し超えたくらい、教師の数は三十に満たないはずだ。ファウストが所属していた王立魔導師団は、ファウスト含めたったの五十人。

 その上、エンジットの魔導師は何故だか大抵短命であるときた。

 探せばそれなりに存在するのかもしれないが、歴史ある国にしては魔導師の少ない国、として有名でもあるエンジット。故に、民も魔法や魔導師についての知識をあまり持たない。


「それで、あの『ウェスパ』って子、一体どうするつもりなんだ。あちこち魔法陣だらけだし、免疫力も下がってるだろうし、栄養失調の傾向もみられる。見えるところは綺麗だけど、あの服の下、あばら骨が浮きすぎて言っちゃ悪いけど気持ち悪いよ。たぶん長くもたない」

「売り手にもそう言われたわ。もう直せない人形なんですって。でも、そこはほら、私の魔法があるじゃない?」


 ふふん、と得意げなリゼルヴィンに、少しばかりいらっとする。

 知り合ったばかりの頃のリゼルヴィンは、自分の持つ力を自慢するようなことは絶対になかった。いい方向にも悪い方向にも変わってしまったリゼルヴィンを嫌ってはいないが、子供のように他者を馬鹿にする癖がついてしまったのは少々いただけない。悪意はないとわかっていても、ほんの少しだけ腹が立つのは仕方のないことだろう。


「ご自慢の魔力は、女王陛下に制限されてるんじゃなかったけ?」

「今日、王城へ行くのよ。売り手を捕まえるために魔力が必要だわ、許可を下ろしなさいって言いにね。そうしたら魔法が使えるわ。今夜のために、あんまりたくさんは使えないけれど、お人形一人の治癒くらい魔力なんてそう必要ないわよ」

「そうですか。力のある人はいいね、才能ある人は」

「あら、ミランダ、あなたも才能ある人間じゃない。あなたほど腕のいい薬師はそうそういないわ。力はあっても才能はない私なんて、あなたの足元にも及ばないわよ」

「それ全然嬉しくないからね。リゼルに才能がないなんて、嫌味にも程がある」


 リゼルヴィンの周囲にいる人間の誰もが思うであろう言葉を言ってみても、リゼルヴィンは気分を害した様子もない。

 こうして会話をしているだけでも、リゼルヴィンの持つ独特な雰囲気にのまれてしまう。付き合ってもう長いミランダでもそうなのだから、リゼルヴィンと関わりの少ない人間は、いいように操られてしまうはずだ。『ウェスパ』をリゼルヴィンに譲ってしまった今回の標的がどんなに悪人であろうと、これからリゼルヴィンがどんな風に処刑するのか想像するだけで可哀相になってくる。


「リゼル、もう一つ、言いづらいことがあるんだけど」


 溜め息を飲み込んで、そう切り出すミランダ。

 『マティルダ・ドール』は、ミランダも無関係ではない。


「そろそろ『ウェスパ』って子の目が覚める頃だと思うんだけど……。覚悟しといてね」


 何を、とリゼルヴィンが尋ねようとした丁度そのとき、部屋の中から、何かが割れる音が聞こえた。


 すぐさまミランダが扉を乱暴に開けて駆け込む。開かれた部屋の中から、おびただしい量の魔力が流れだし、リゼルヴィンは鼻を覆った。その魔力は、とても純度が高いとは言えない、下水のような、吐き気を催すほどの悪臭だった。

 この取引の場もなかなかに酷い匂いがしたものだが、これほどではなかった。吐き気と眩暈がリゼルヴィンを襲うが、なんとか気をしっかり持って、部屋の中へ入る。

 サイドテーブルに置いていた水差しが、床に転がっていた。破片がそこらに飛び散っている。


「……これはどういうこと?」


 『ウェスパ』がベッドの上で暴れていた。ミランダが馬乗りになりながら、なんとか抑えている。

 状況が飲み込めないまま、落ち着けと叫びながら必死になって布を『ウェスパ』の鼻と口を覆うミランダに手を貸す。

 次第に『ウェスパ』の体から力が抜け、気を失うように眠りについた。

 ほっと息を吐いたミランダは、ベッドから降りて割れた水差しを拾おうと手伸ばす。その手を掴んでやめさせて、椅子に座らせた。


「改めて聞くけど、これはどういうこと?」

「……察してるだろうけど、私が作った毒を飲まされてるんだ、この『ウェスパ』は。この症状は、私の毒の、麻薬として流通してるものの一つ。たぶん、自分から進んで服用していたわけではないと思う」


 身を小さくしながら話すミランダに、リゼルヴィンは溜め息を吐いた。そういうことか、と納得する。

 生きた人形、『マティルダ・ドール』。本物の、生身の少女たちだ。どれだけ魔法でその精神を縛り、どれだけ魔法式を組み替えても、精神の強い者は少なからずいるはずだ。


 人の精神、想いというものは時に、魔法をも超える。どんなに強力な魔法を使っても、ふとした拍子に正常な精神を取り戻すことがあるのだ。

 きっと、『ウェスパ』は強い精神を持つ娘だったのだろう。魔法とは違い、確実に人格や脳そのものを破壊する麻薬を吸わせることで、その精神をねじ伏せ、人格を崩壊させ、『人形』にされてしまったのだろう。

 そこまで推測し、リゼルヴィンはミランダの目をまっすぐに見た。


「治すことは可能かしら?」

「……難しいかなあ。かなり危ない毒だから、厳重に保管していたはずなんだけど。依存から脱出させることは出来ても、破壊された脳はもとには戻らないよ」

「そうよねえ、そんなものよね。仕方ないわ。傷を治してあげるついでに、壊れた脳も治せないか見てあげることにしましょう」

「いつも迷惑かけてすまない……。今度からもっと保管に気を付けないと」

「あなたが依存させたわけじゃないでしょう、謝らないでいいわ。そもそも、私じゃ気付けなかったもの。あなたがいて助かったわ。よく覚えていたわねえ」


 しょんぼりと肩を落としていたミランダに、そう言ってやると、打って変わってぱあっと明るい表情になる。物忘れの酷いミランダだ、覚えていたことを褒められてうれしいらしい。


「ここ最近、なんだか調子がいいんだ。同居人が増えたら、なんだか忘れちゃいけないものも増えて、朝起きて自分が誰だかわからなくなることもなくなった」

「同居人なんていたの?」

「もともとは被験体だった女の子なんだけど、関わってるうちに情が湧いちゃって。処分されそうになってたところを、私が引き取ったんだ。といっても、私の家は研究所の寮の一室だから、所長に頭下げて、私の部屋に住まわせて、私が面倒見ることになっただけ」


 初めて聞く事実に目を見開いたリゼルヴィンに、ミランダはまるで自分の娘を自慢しているかのように照れくさそうに笑った。

 呆気にとられた表情をしたものの、リゼルヴィンもつられて笑顔になり、友人が身を置く環境の良い変化を素直に喜んだ。


「そう、それはよかったわ。あなた、一人だとずっと研究に没頭したままだろうし、物忘れが減ったならこれ以上いいことはないじゃない」


 ニコラスのこともあり、普段と変わらない風を装っていたミランダだが、しばらくは明らかに落ち込んでいた。いくら自分で決めたとはいえ、人生を捧げていると言っても過言でもないほどに力を入れている研究で、愛する人間を殺したとなれば落ち込まない人間はいない。

 そんなミランダを立ち直らせたとあれば、その同居人とやらに感謝しなければならない。ミランダがニコラスを間接的にとはいえ殺したことに罪悪感を抱いているように、リゼルヴィンもまたミランダにニコラスを殺させてしまったことに罪悪感を抱いている。その罪悪感が邪魔をして慰めることも出来ず、いつ立ち直るかと不安だったが、こうも明るい表情が出来るならもう安心だ。


 いつかその同居人とやらに会いに、研究所に行こう。ミランダにも同居人を紹介してもらう約束をした。


「『ウェスパ』は私が見とくから、リゼルはエーラのとこに行ってきなよ。しばらくは私がなんとか押さえとく」

「ジュリアーナを呼んでおくわ。何かあればすぐにジュリアーナに頼って」


 先程の暴れように、ミランダを一人で残していいものかと心配になりジュリアーナを呼び出す。

 ジュリアーナには『マティルダ・ドール』の件も話してあるため、事情を話せばすぐに頷いてくれた。ジュリアーナなら、暴れる少女を押さえ込むことなどたやすいだろう。

 ミランダに見送られながら、リゼルヴィンは屋敷を出、王城へと向かった。


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