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  作者: 小林マコト
番外編 マティルダ・ドール
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7

 『マティルダ・ドール』の特性上、あまり丈夫なものではない。使い方にもよるが、短ければ一月、長くても一年ほどしかもたない。壊れたとしても人知れず処分することは難しいため、壊れた『マティルダ・ドール』は売り手に返却され、売り手によって処分される。直せるものは直して、また安値で売りに出すことも。

 そう説明したエリストローラに、ルーツの知る声色はない。かつて心を通わせることが可能だったはずのエリストローラはもういないのだと、ルーツは割り切ることにした。彼の変わりようにいちいち傷ついている場合ではない。


 エリストローラに奥へと案内され、灯りのない部屋へ連れて行かれた。

 微かな灯りを持ち込んだエリストローラによって、部屋が照らされる。


「……これは酷いわね」


 エンジットの古語でそう呟いたリゼルヴィンの表情は、あまりに明るい笑顔だった。この場でそれを浮かべるには明るすぎ、無邪気さすら見えるそれは、不気味でしかない。

 リゼルヴィンの視線の先に目をやると、思わず後ずさりそうになってしまった。動じていない風を装わなければと、なんとか踏みとどまり、表情を無にする。


 その部屋には、きっと美しかったはずの少女があった。


「丁度、今日返された人形です。直せる見込みもなく、せいぜいあと一週間もつかもたないかですが、これなら持って行かれても構いません」


 淡々とした、何の色もない声で、エリストローラは言う。

 その少女は、力なくぐったりと横たわっていた。死んでいるようにさえ見えるほど。

 服から露出した肌にはあちこちに魔法陣が刻まれており、身に纏う質のいい真っ白なドレスだけが、異様に目に飛び込んでくる。

 極めつけはその目だ。目は、糸で縫い合わされ、外界を映すことすら禁じられていた。


 吐き気すらする光景に、ルーツは耐えようと必死になった。この少女さえ手に入れ、回復させ、証言を得ることが出来たなら、エリストローラの逃げ道はなくなる。一目見ただけでエリストローラがどのようなことをしてきたかわかるこの少女を、なんとしても手に入れなくてはならない。ここでルーツが怯えた様子を見せれば、無償で譲り受けるどころか、どんなに大金を積もうとも売ってはくれなくなるだろう。


 目を逸らすことも出来ず、ルーツはその少女を見た。エリストローラによれば、この少女の名は『ウェスパ』――ルーツが唯一名前をつけて制作した人形、最高傑作『薔薇の花園の乙女』シリーズの、六番目の人形の名前だった。

 瞳の色は見られないものの、確かにその顔の造形はルーツが作った『ウェスパ』そのものだ。柔らかな薄い茶髪に、雪のように白い肌。忠実に再現されたその容姿は、ルーツでさえ気持ち悪いと思うほどだった。


 もうすでに察してはいる。エリストローラが何故、『マティルダ・ドール』などというものを作り始めたのか。そしてそのきっかけは、紛れもなくルーツによるものだと。

 察していても、認めたくないものは認めない。気持ち悪さを通り越して、怒りすら湧いてくるのをルーツは感じた。


「あなたさまがよろしいのでしたら、お言葉に甘えて、いただこうかしら」


 我慢出来ず、声を出そうとした瞬間、リゼルヴィンがそうエリストローラに向かって言った。

 リゼルヴィンがわざと被せたのだとすぐにわかった。あのまま感情に任せて言葉を発してしまえば、ルーツはすぐにぼろを出していた。はっきりと「私の人形とこんなものを一緒にするな」と叫んでしまっていたことだろう。

 まさか壊れていることがはっきりとわかる人形を欲しいと言うとは思わなかったのか、エリストローラの指がぴくりと動いた。


「壊れたのなら直せばいいだけのこと。幸いにも、私の知り合いに魔法使いがいますの。治らないなら処分すればいいでしょう? しばらくしたら国へ刈りますので、エンジットにいらっしゃるあなたさまには、ご迷惑はおかけしませんわ」


 リゼルヴィンの堂々とした態度は、その言葉の真偽はどうであれ、頼もしさを表すには最も効果がある。

 少々迷った様子を見せていたが、そんなリゼルヴィンの態度に気圧され、エリストローラは頷いた。


「では、私から引き取ったことはくれぐれも内密に」

「ええ、商人たるもの、取引相手に不利益なことはいたしませんわ」


 エリストローラを罰する気しかないというのに、リゼルヴィンはしれっとそう言ってみせた。ごく自然で違和感のない演技に、ルーツもリズも感心を通り越して呆れてしまう。この国でリゼルヴィンほど、息をするように上手く嘘を吐く者はいないだろう。


 広間に戻るというエリストローラを見送り、三人はそのままそこに留まった。エリストローラが残していった灯りがぼんやりと薄く照らす中、扉が閉まった瞬間にリゼルヴィンはその場にへたり込む。


「主さまっ! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫よ、ルーツ。心配しないで。ちょっと疲れただけ」


 慌てて近寄るルーツに笑みを向けたが、リゼルヴィンは立ち上がろうとしない。

 こうなることはわかりきっていたとでも言いたげに、リズが大げさな溜め息を吐く。


「あーあ、ジュリアーナに怒られてしまう……」


 そんなことを言っている暇ではないでしょう、とリズに言ってやりたくなったが、リズが怒ればルーツに勝ち目はない。もともと戦闘はルーツの専門外だというのに、リゼルヴィンにも信頼され、ウェルヴィンキンズでも三本の指に入る戦闘力を誇るリズに楯突く勇気がルーツにあるはずもない。リズが怒ったところは見たことがないが、噂によるとそれはそれは恐ろしいという。


 ただおろおろするしかなくなってしまったルーツの目に飛び込んできたのは、『ウェスパ』だった。

 生きているか死んでいるかもわからない『ウェスパ』だが、もしかしたら、少しは魔力が残っているかもしれない――。

 そう考え、リゼルヴィンの傍から離れ『ウェスパ』の手を握り、魔力が感じられるか意識を集中してみる。『ウェスパ』の手は柔らかく、微かに温かかった。だが、魔法の使えないルーツにわかるはずもなく、諦めて今度はまたリゼルヴィンの手を握った。


 すると、リゼルヴィンがルーツの手を握り返してくる。


「ルーツ、このまま私の手を握っていてちょうだい。……あなたの魔力はとても心地が良いわ。私と契約していなかったら、きっといい魔導師になれたでしょうね」

「このままで、いいんですか?」

「このままがいいのよ。ちょっとだけ、魔力をもらうけれど、許してね」


 リゼルヴィンの力になれていることが嬉しくて、ルーツは思わず笑みをこぼした。

 魔力をもらわれる、という感覚は、不思議なものだった。握った手から段々と力が吸い取られていき、自分の中身がからっぽになるようだった。

 ちょっとだけ、との言葉に違わず、そんな感覚はすぐに終わる。たったこれだけで足りるのかと不満に思ったが、リゼルヴィンは立ち上がり、顔色もよくなっていた。


「ありがとう、ルーツちゃん。とっても助かったわ」


 先程までの疲れ切った様子のリゼルヴィンはもうおらず、そこにはいつも通りの笑みを浮かべたリゼルヴィンがいた。まだ無理をしていることに変わりないのだろうが、それでも、ほんの少しでも元気になってくれたというのは嬉しい。

 それに比べて、とリゼルヴィンが責めるようにリズを見る。


「リズ、あなたって人はどうしてそうなの? 主である私を心配する気持ちはないのかしら? そんなんじゃ、私からもジュリアーナに叱ってもらうよう頼んじゃうわよ?」

「やめてくださいよ、そんなことされたら本気で殺される。ジュリアーナがどれほどワタシを嫌っているか、わかってて言ってるんですか」

「わかっているから言っているのよ。信頼している相手に欠片も心配されないなんて、私でも流石に傷つくわ。直接言わなくても、ジュリアーナならこの気持ちをわかってくれるはずよね」

「あーもう、わかりましたよ。次からちゃんと心配しますから。子供みたいなこと言わないでください」


 こんな薄暗い部屋で、こんな悪趣味な人形がある場所で、二人の普段と変わらない軽い会話につい笑ってしまった。

 気にしないようにしていても、傷ついていた。化粧をしていても、ルーツに気付いてくれると無意識に期待していた。

 暗くなっていたルーツの気持ちを晴らすために、リゼルヴィンはわざとリズを責めることで明るくしてやろうとしたのだと、わかっているからリズもそれに乗った。

 そして、ルーツもまた、わかっていた。二人の気遣いに深く感謝しながら、ルーツもいつも通り、明るい笑顔を浮かべる。


「さあ、こんなところさっさと出ましょう。セブリアンはこっちに呼んで、アリスティドは先に馬車に行ってもらって。リズ、あなたはミランダをウェルヴィンキンズに連れてきなさい」


 リゼルヴィンの指示に従い、『ウェスパ』を出来るだけ人目につかないよう運び出す。


 外は、もうすぐ夜明けを迎えようとしていた。


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