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魔力は大きく分けて二種類のものがある。
一つは、魔導師自身が持つ魔力。それぞれ持って生まれる量は違うが、この魔力がなければ魔法は使えない。魔力の量が尋常ではないほどに多く、なおかつ魔法の腕がずば抜けたものであるか使う魔法が唯一のものである者が、リゼルヴィンやファウストのように魔法使いと呼ばれる。リゼルヴィンもファウストも、魔力の量が尋常ではないのはもちろんのこと、魔法の腕は国一番、使う魔法も誰も真似出来ないものだ。リゼルヴィンに関しては、国一番というのでは足りない。王との契約さえなければ大陸一、と言っても過言ではないほどだ。
この場合の魔力は、例えるならばグラスの大きさだ。それぞれ大きさが違い、入れられる量が違う。個人差はあるが時間を置けば回復するものの、一度にそのグラスに入った魔力以上の魔法を使うことは出来ない。なくなってしまえば、ただの人間だ。それでも無理をしてしまうと、精神力や生命力と呼ばれるようなものを魔力に変換してしまうため、下手をすれば精神崩壊や命を落とすこともある。他者から魔力を奪い取ることも可能ではあり、魔法での強制的な魔力譲渡だけでなく、血を啜るなどといった、魔力の含まれた体液を交換することによって回復させることも出来る。
もう一つは、大気中に漂い、自然界から放出される、いわゆる天然の魔力だ。
この魔力に人間が関わることは基本的に不可能だ。例外もあるが、ここから自らの魔力のグラスに補充することは一般的な魔導師にはまず不可能だ。この魔力は神聖なものと考えられており、魔力が多く含まれる空気だと、少しだけ魔法の発動が簡単になる。ただし、意図的にこの魔力を操ることは、どうしても出来ないのだ。それでいて、この魔力は魔導師に大きな影響を与えるのだから面倒だ。その場所に漂う魔力がどのようなものかによって、使える魔法が限られてしまうことがある。
リゼルヴィンはやはり、例外の中に含まれる。ただし、意識しているわけではなく、あくまで無意識のうちにやっていることだ。自身の魔力の回復を上回る勢いで魔力を使っているときに、負担がかかりすぎないよう、そこらに漂う魔力を巻き込んでいる。そのためリゼルヴィンは例外でありながら、意識的に操ることは出来ないため、実質的には一般的な魔導師とあまり変わらない。
そして何より、リゼルヴィンは魔力に影響されやすい上に魔力を溜めこみやすいたちの魔法使いだ。溜め込みすぎた魔力は、所有者に害をなす。
地下へ降りるにつれ、リゼルヴィンの顔色が悪くなっていくことに気付いたルーツは、アリスティドの服の裾をつまんで、リゼルヴィンの異変を知らせる。
アリスティドはハント・ルーセン出身の男だ。ルーツもセブリアンもルシート語など話せないが、アリスティドにとっては母国語である。ハント・ルーセンから来た設定になったとリゼルヴィンから聞かされ、急遽リゼルヴィンとの会話はアリスティドを挟んで行うことになってしまった。
「主さま、どうなさいましたか」
ルシート語でそう話しかけたが、俯きがちなリゼルヴィンはゆったりと首を横に振っただけで、言葉を発しなかった。
これはまずい、とリゼルヴィン以外の同行者皆が悟る。あの饒舌なリゼルヴィンが、言葉を発しなかったのだ。役になりきっているわけではないというのに。
「主さま」
「大丈夫よ、どうってことないわ。もう慣れた。むしろこれは好都合よ。――ここ、魔力が異常なくらいに漂っているの。それも、吸収することが出来る。どうしてそんなことが出来ているのかはまだわからないけれど、私の魔力が尽きても補充出来るわ。いざというとき、戦いやすいじゃない」
ばっと顔を上げ、にぃ、と笑みを見せたリゼルヴィンの声は明らかに無理をしている。言っていることは嘘ではないのだろうが、大丈夫とまでは言えないのだろう。
後半はルシート語ではなく、エンジットの古い言葉だったため、聞き取れたのはリズだけだった。そうは見えないが、リズは語学に優れている。ルシート語もエンジットの古語も、大差なく使いこなせるのだ。
無理をしていようとも、リズには関係がない。リゼルヴィンが大丈夫だと言うのならばきっと大丈夫なのだ。死ぬようなことはなさそうだと、リズが他の三人に伝えると、三人ともが溜め息を吐いた。相変わらず、リズはリゼルヴィンに対する気遣いがない。本人たちの契約がそういうものであるために、誰も何も言えないのだが。
リゼルヴィンはああ見えてかなり頑固な方だ。こうと決めたら、それが間違いだと気付いてもやめるべきだと判断するまで止まらない。他者の意見も取り入れはするものの、根本から変えることはほとんどない。特に『紫の鳥』としての仕事になると、梃子でも動かなくなってしまうのだ。仕事に対するこだわりがあるようにも思えない。しかし、リゼルヴィンは、リゼルヴィン子爵家を何よりも大切にしている。
家と、街。そのどちらかが危機にさらされない限り、リゼルヴィンは自分の行動を悔やまない。後悔を知らないがために、どんなことでも躊躇いがなく、そして一人で背負い込み、無理をする。
「主さまが大丈夫だって言ったら、大丈夫なんですよ。ワタシが一番それを知っています」
リズもリズで呆れているようだが、溜め息と共にそう言った。
そうなれば、余計に何も言えなくなる。ルーツはまだウェルヴィンキンズに来て一年半ほどだ。正確な時期は教えてくれないためわからないが、リズはずっとリゼルヴィンと共に歩いてきたのだ。そんなリズにルーツが勝てるはずがない。
広間はいかにも、といった怪しげな雰囲気を醸し出していた。舞台があって、その前に椅子が並べられてある。後ろの方の椅子に並んで座り、始まりを待つ。
リゼルヴィンの顔色は更に悪くなっていた。隣に座ったルーツからは、仮面があってもその顔色の悪さがよく見える。心配になって、主さま、と小さく声をかけてリゼルヴィンの手を握る。確かリゼルヴィンは、ルーツには魔力を打ち消す才能があると言っていた。魔法式を持たないルーツだ、魔法を使うことは出来ないが、魔力は持っているらしい。手を握っただけでその力が発揮されるのか、そもそもルーツが自分の意思で使える力なのかもわからないが、とにかく何かしてやりたかった。
すると、リゼルヴィンがこちらを向いて、無理をした笑顔ではなく、優しい笑みを浮かべた。肩の力を抜いたのがわかる。少しは役に立ったようで、ルーツも嬉しくなった。
「さあ、お集まりの皆さま、今夜もよい人形ばかりでございます。皆さまがお気に召す『マティルダ・ドール』があらんことを」
あくまでこの娼館の従業員を前に立たせるつもりらしい。主催らしき男は、そんな従業員の口上を、舞台の隅で見ているだけだった。
主催らしき男は、背格好はエリストローラと一致している。その髪の色も、体格も、リゼルヴィンが記憶するエリストローラそのものだ。
取引は競売形式であると従業員が言う。前回の最高落札額はどのくらいだとか、今回の商品はどのようなものだとか、そんな話をしていた。
そうして、一通り話し終えたらしい従業員が、よりいっそう声を張り上げた。
「さあ! それでは始めましょう! 美しき『マティルダ・ドール』、運命の一体を、あなたは手に入れることが出来るのでしょうか!」