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  作者: 小林マコト
番外編 マティルダ・ドール
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 エリストローラとの関わりを思い出してからというもの、ルーツはなかなか落ち着けないでいた。エリストローラに対する感情まで、一緒に思い出してしまったからだ。

 彼の人格から考えても、『マティルダ・ドール』なんてものを売るような人ではないと信じたい思いが膨らんでいく。そもそも彼は、どうしてルーツの名前を使ったのか。他に黒幕がいるのではないか。混乱と困惑で、ルーツは考えることをやめたくなり、人形作りに没頭した。


 そうこうしているうちに、あの日から三日が経っていた。

 気分が沈んでいるまま、リゼルヴィンの屋敷に足を運ぶ。ルーツが工房に籠っていたのと同じく、リゼルヴィンもあれからずっと地下に籠っていたらしい。三日ぶりに地下から上がってきたらしいリゼルヴィンは、珍しく疲れを滲ませていた。そんなリゼルヴィンとルーツの様子に、セブリアンは気にする素振りすら見せず、反対にアリスティドは過剰に心配していた。アリスティドの心配は、主にルーツに向けられていたが。


 この日は、エリストローラが裏で行う取引に参加する日だ。

 リゼルヴィンが夜会に出てまで参加する機会を得ようとしていた『マティルダ・ドール』の取引。結局参加出来なかったのだが、ルーツたちがエリストローラの屋敷に忍び込んだ日の夜、ウェルヴィンキンズにやってきたファウストが、取引に参加するには必須の手紙を持ってきた。今回のものはこれまでにない大規模なものになるらしく、人も多く、紛れ込んでしまえばまず見つからないとファウストが言っていたという。

 ルーツに渡された手紙にも同じことが書いてあり、リゼルヴィンと共に参加することになった。危険もあるからとリゼルヴィンはルーツを連れて行くことを渋っていたが、ファウストからの指示では「共に行け」とある。最後はリゼルヴィンが折れ、セブリアンとアリスティドを連れて行くという条件で話が纏まった。リゼルヴィンはリズを連れて行くらしい。


 まさか身分や正体をそのままに行くわけにもいかないので、皆別の人間を演じなくてはならない。リゼルヴィンから国外からやってきた裕福な女商人、ルーツはその女商人の姪という設定だ。この取引では、参加者は皆仮面をつけることになっているが、二人とも顔が割れているため、エルに化粧を施してもらう。特にリゼルヴィンは、絶対に正体を悟られないようにしなければ。

 ジルヴェンヴォードを演じ切り、その後しばらく王宮で侍女に紛れ込んでいたというのに、誰にも不審に思われることがなかったエルは、今まで以上に自分の腕に自信を持つようになっていた。そして、その自身はエルの腕に磨きをかけ、リゼルヴィンでありながらリゼルヴィンでない、本人の面影を残しつつ絶対にその人だとわからないような化粧にする技術を身に着けていた。別人に化けさせられたリゼルヴィンは、ルーツたちでも誰だかわからない。これならば、誰も二人の正体を見破ることは出来ないだろう。

 リゼルヴィンが魔法を使えば、こんなことをしなくてもいいのだが、何分今のリゼルヴィンは不調だ。これから先のことも考えると、魔力を温存しておかなければならない。


 馬車でウェルヴィンキンズから出、王都の隅で乗り換える。ウェルヴィンキンズから出てきたと知られないようにするためだ。

 取引は夜の闇に隠れて行われる。今回の会場となるのは、王都の南側に位置するエンニ区にある花街の、とある娼館だ。リゼルヴィンも数回訪れたことがある店である。もちろん、『黒い鳥』としての調査のためだ。

 ここら一帯の花街で二番目の規模を誇るこの店は、以前から黒い噂の絶えない店だ。裏の世界との繋がりが強く、リゼルヴィンもこの店を警戒している。僻地から娘を買って働かせているだとか、誘拐されてきた娘がいるだとか、そんな話がよく耳に入るのだ。

 だからこそ、この店で取引を行うのだろう。予想以上に裏の世界に入り込んでしまっているエリストローラに、リゼルヴィンは溜め息を吐いた。ここまで入り込んでしまえば、たとえリゼルヴィンや四大貴族に目をつけられずとも、そのうち使い捨てられるはずだ。それをわかっていてやっているのならば、リゼルヴィンも文句はない。だが、きっとエリストローラはそれほどに重大なものだとは思っていないだろう。裏の人間の駆け引きは裏の人間でなくては対処出来ない。一見対等な立場でいるように見えても、その実どちらかが主導権を握り一方を利用している、なんてことがよくあるのだ。


 店は貸し切りになっていた。仮面をつけ、従業員に手紙を見せて中へ入る。

 すでに何人もの仮面をつけた参加者たちがいた。ルーツをセブリアンとアリスティドに任せ、リゼルヴィンは人の間を通り、その服装や体型、髪色や仕草、声などから、知っている者がいないか調べに行った。

 裏の世界で見かける人間がいくらかいることに気付く。それもそうだろう、こんな取引に参加するのが表の人間ばかりであるわけがない。幸いと言うべきか、リゼルヴィンと協力関係にある裏の人間は一人もいなかった。こういったものをリゼルヴィンが許すはずがないとよく承知してくれているらしい。


「おや、見ない顔ですな。取引は初めてですか?」


 腹の突き出た男が、不自然でない程度にうろうろと動き回っていたリゼルヴィンに声を掛けてくる。ごてごてした仮面は随分と趣味が悪い。そう思いつつ、リゼルヴィンはにっこりと笑って見せ、リズを情報収集に行かせて、異国の女という設定から少しばかりたどたどしいエンジットの言葉で返してやる。


「ええ、今回が、初めて、です」

「もしや、異国の方ですかな。どちらのお方で?」

「ハント・ルーセンから」

「ほう、そちらの言葉ならば日常会話程度には出来ますが、そちらでお話ししましょうか」


 得意げにそう申し出た男に、リゼルヴィンはひきつった笑みしか向けられなくなってくる。この男、先程から握手のために出したリゼルヴィンの手を握ったままなのだ。見たところ貴族なのだろう。ただの女商人という身分設定であるため、リゼルヴィンは強気に出ることが出来ない。こんなところで正体が知られてしまっては、ここまで来た意味がなくなってしまう。手袋をしていてよかったと、日頃の習慣に感謝する。


 ハント・ルーセンはエンジットとの交易が盛んな国だ。エンジットでも、ハント・ルーセンの言葉、ルシート語を使える者は多い。

 リゼルヴィンはあちこち飛び回っていた前アダムチーク侯爵家当主、ミハル=アダムチークに太鼓判を押されるほどには流暢なルシート語が使えるため、咄嗟にあちらから来たと言う。使えもしない言語の国から来たと言っては、ぼろを出してしまう可能性がある。


「助かりますわ。エンジットの言葉は、難しいもの」


 なんとか笑顔を作り直し、ルシート語でそう言う。この男にも聞き取りやすいように、気持ちの分ゆっくりと。

 男はやはり得意げに、ルシート語を話した。


「お名前は?」

「あら、こちらでは個人を特定するようなことを聞いてはいけないのではなかったかしら」

「そうでした。私としたことが、あなたがあまりに美しいもので、つい」

「お上手ですわね。ところで、この取引には何度か参加していらっしゃるのですか?」


 そう尋ねると、男は上機嫌にベラベラと話し出した。

 曰く、この『マティルダ・ドール』の取引が初めて行われた際、一番に応じたのが自分だとのこと。昨年行われた第一回目の取引ではあまり人が集まらなかったが、そのときから『マティルダ・ドール』の質は最高なものだったと。

 聞いてもいないことまで話す男から、リゼルヴィンは多くの情報を得た。もともと、リゼルヴィンは聞き上手で、相手の本音や隠し事を聞き出すのは得意だ。『黒い鳥』、『断罪のリゼルヴィン家』と、広く知られていなければ、だが。

 この男がどこの誰かも思い出し、今回の件を解決する際、礼として一緒に罰を与えてやろうと決める。


 従業員が参加者たちを一か所に集め始めた。どうやら、取引は地下の広間で行うらしい。連れがいるからとリゼルヴィンを気に入ったらしいこの男から離れ、ルーツたちのもとへと戻る。


 リズも合流し、さて地下へと階段へ向かったその時、リゼルヴィンはようやく違和感に気付いた。


 この建物全体に、主に地下の方から、尋常ではない魔力が漂っていることに。


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