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  作者: 小林マコト
番外編 マティルダ・ドール
45/131

3

 使用人が出入りするためであろう裏口の鍵に、細い針金を差し込んで、かちゃかちゃと回すアリスティド。この程度の鍵、彼の手にかかればないも同然である。さしたる抵抗も出来ないまま、鍵はあっけなくアリスティドに敗北した。


 ルーツとアリスティドは二手に分かれ、屋敷中を探す。

 これまでの経験から、ルーツはなんとなくではあるが、その屋敷の主の部屋を探し当てることが出来る。どう歩けばそこまで聞こえなくなれるのか不思議なほどに足音を立てず進むと、ある扉の前で立ち止まった。きっと、ここが屋敷の主の部屋なのだろう、とドアノブに手を掛ける。証拠を残さないよう、屋敷に忍び込む前に手袋はきちんとはめてあった。


 これまたわずかな音も立てずに扉を開くと、その中の様子で、当たりだと確信する。エリストローラ当主の部屋はここだ。

 中には誰もいなかった。当然だろう、ルーツたちは事前に、この日に当主が出かけていることを知っていて今日にしたのだから。

 さっと中に入ったルーツは、部屋の中を見回して、そこに自分が作った人形がないことに溜め息を吐いた。ほんの少し期待している、という風を装っていたが、実際はかなり期待していた。


 それはそれとして、『マティルダ・ドール』についての何かがないかと部屋中を探し回る。もちろん、触った痕跡は残さない。

 手紙も一枚一枚手早く確認していく。すると、個人的なやり取りをしている手紙の中に、何やら怪しげな文章が混ざっていることに気が付く。

 セブリアンと会話したい、とピアスに頼むように指先でそっと撫でる。あちらも気付いたらしく、なんだ、と声が聞こえた。


「よくわからない手紙が見つかったの。本当に、よくわからないんだけど、読み上げるから覚えてね」

『はあ? 待て、俺が覚えられるとでも思ってんのか?』

「セブリアンなら覚えられるよ。毎回ちゃんと覚えてくれてるじゃない」


 囁くような小さな声で読み上げていくルーツに合わせて、セブリアンが繰り返す。それを二回やったところで、ルーツはその手紙を元の場所に戻した。

 他に関連するようなものもなく、セブリアンとの通信を切ろうとしたそのとき、セブリアンが声を上げた。


『おい! すぐに戻れ! あいつが戻ってきやがった! アリスティドには俺から伝える!』


 一方的にそう言って切られ、ルーツも表情を引き締める。

 この屋敷の主が戻って来たというのなら、すぐに出て行かなければならない。音を立てぬよう、気付かれぬよう気を付けながら、急いで部屋を出た。

 予定よりかなり早い引き上げに苛立ちつつも、脱出することに成功したルーツは屋敷の近くの路地に隠れるセブリアンの元へ走った。アリスティドも、少々遅れて合流する。


 そのすぐ後に、屋敷に馬車がやってくる。なんとか間に合ったことに、認めたくはないが安堵した。下調べもすべて完璧だったはずだ。リゼルヴィンから渡された情報からも、こんなに早くエリストローラが帰ってくる予定ではなかった。


「取引が上手くいかなかったとか、何かあったんだろう。くそっ、もう少しだったのに」


 アリスティドの不満に、ルーツも同意する。結局、他の部屋を調べる暇がなかった。他を探せば人形があったかもしれないのに。そう思いながら、エリストローラの屋敷から離れたところで待機させていた馬車に乗り込む。

 ウェルヴィンキンズに帰るまでに報告を済ませておくことになり、ルーツとアリスティドは自分が見たことを話す。


「私のところには、いいものはなかった。あったのはよくわからない手紙だけ。アリスは?」

「地下に行く道があった。扉すら隠されていた上に、階段を降りたらまた扉。こっちの扉はいくつもの鍵がかけられていて、最後の一つを開けようとしたら帰ってきた。中には人の気配があったから、きっとあの中に『マティルダ・ドール』があるんだろう」


 悔しそうに顔を歪めるアリスティド。ルーツも、その中だと確信した。

 ルーツがまだベンディクス・ドールの娘として生きていた頃、何度か得意先であるエリストローラの当主と会ったことがある。まだ、『薔薇の花園の乙女』を作る前のことだ。

 そのときの印象は、臆病な男。

 人形への愛はルーツも分かり合えそうな気がしたくらいだったが、エリストローラの慎重な性格は、ルーツには臆病にしか思えなかった。ルーツから買い取った人形は大切に鍵を掛けた部屋に置いている、と言っていたのを思い出す。大切なものを奪われることを、最も恐れているようだった。


 そういえば、あの手紙にあった文章を、エリストローラから聞いたことがあるような気がする。随分と前のことで、興味もなかったものだから思い出せない。


「どうにか思い出せねえのか? 俺はいつまであの意味わからねえ文章を覚えときゃいいんだよ。めんどくせえ」

「うーん、ちょっと思い出せないんだよなあ。あのよくわからない手紙にあった文章、あの男が何か言ってたような気もするんだけど……。もうちょっと待ってて、セブリアン。頑張って思い出すから」


 ベンディクスであった頃のことなど、本当は思い出したくもないが、リゼルヴィンのためだと記憶を探ってみる。

 結局、ウェルヴィンキンズに着いても思い出すことは出来ず、今日は解散することになった。

 セブリアンは門番の仕事をしに行き、アリスティドはリゼルヴィンの屋敷へ報告に行った。ルーツは家に帰ってベンディクスから持ち出したものの中に手がかりがないか探すようセブリアンに言われ、渋々アリスティドについていくことを諦めて帰路につく。


 いつものように賑やかで、またどこかで喧嘩が起こっているらしい遠くの怒号と悲鳴を聞き流しながら、自宅のある路地に入る。

 路地の奥に、ルーツの家はある。リゼルヴィンから与えられた家だ。初めは一人暮らしに慣れていない上にこんな昼間でも薄暗い路地に扉があるということから、不気味に思ったり不安に思ったこともあったが、今ではもうあまり気にならない。


 ここを曲がれば自宅まであと少し、というところで、足を止める。

 見知らぬ男が、ルーツの家の扉の横に立っているのだ。フードで顔を隠し、俯いているが、さらりと一房だけフードから零れた髪は長く、白い。

 ルーツの知っている白髪を持つ人物は、リゼルヴィンの友人であり、最近ルーツとも仲良くなったミランダ=フェルデラッドだけだ。だが、彼女は女性である。男性で白髪を持つ人物と知り合った記憶はない。

 普段から持ち歩いているナイフを手に取り、背後に隠しながら、曲がり角から出てその男に近づく。あちらも、ルーツの存在に気が付いたようだ。


「私の家に何か用ですか?」


 出来るだけ明るく、警戒してはいない風を装って声をかけると、男はフードを取り払って顔を晒した。

 男はルーツをじっと見て、ハッと鼻で笑った。


「ごく普通の対応を装っているようだが、敵意が隠せていない。不自然にならないようにと両手を背に回しているのも逆効果だ。何かを握りしめているのがありありとわかる。この俺にそんな下手な誤魔化しはきかない」

「……何か用ですか。そこ、私の家なんですけど」


 完全にルーツを馬鹿にした言い方に、ルーツも隠さずにナイフを男に向ける。

 ミランダと同じ色を持ったその男は、懐から一通の手紙を取り出し、ルーツに差し出した。


「お前などに名乗るのは本来なら御免だが、仕方がない。ファウスト=クヴェートだ。ここにお前がいることは、リゼルヴィンに教えられたんでな。これを渡すために待っていた。この中に俺が何故ここに来たかも、これからの指示も書いてある」


 警戒しつつ、ひったくるように受け取ったルーツを、ファウストと名乗った男はまた鼻で笑った。

 クヴェートといえば、四大貴族の一つ、南の『白い鳥』だ。一般市民の、しかもウェルヴィンキンズに住む、死んだことになっているルーツに用はないはずだ。

 そう思うも、リゼルヴィンの名が出たことで納得する。ルーツたち三人に仕事を任せたことを、ファウストにも伝えたのだろう。次期クヴェート当主と共に担当することになっているというのは、ルーツたちにも伝えられていた。


「何か思い出せないことがあるようだな。こちらとしても早く仕事を片付けたい」


 すれ違いざまにファウストがルーツの肩をぽん、と叩いた。

 何か魔法を掛けられた。ばっと振り返りファウストの姿を探すが、そこにはもう、その姿はなかった。

 そして、ルーツは突然、エリストローラとの会話を思い出した。





 ルーツの作業室に入ったエリストローラは、作りかけの人形やその材料に興奮し、目を輝かせていた。

 純粋に人形を愛する人間の目だと、ルーツも気分がよくなる。作業室に他人を入れるのは不快だったが、このエリストローラならばルーツの気持ちを理解してくれるだろう。客であるエリストローラにルーツが何か失礼なことをしないかと一緒に入ってきた両親は、入ってきてほしくなかったが。

 嬉々としながらもおずおずとルーツに質問を繰り返すエリストローラ。それに答えながら、ルーツはエリストローラに好感を持つ。本当に人形を愛しているのだと、彼の様子や質問からはっきりとわかるのだ。歳こそ二十近く離れているものの、エリストローラとはいい話が出来そうだ。


「マティルダさんの人形は本当に美しい……。いい表現は出来ないのですが、繊細で、今にも動きそうで。他の人形にはない魅力がある」

「……じゃあ、この人形は?」


 恥ずかしくなってくるほど褒めてくるエリストローラに、ルーツはつい先程完成した人形を見せる。

 金の髪に、金の瞳を持つ少女の人形。悲しみに満ちた儚げな表情は、涙を流しそうなほど。

 エリストローラの後ろで両親がほうっと息を吐いた。美しい、と漏らす。

 誰がどう見ても、美しい人形だ。これを見た者は皆、ルーツが人形作りの天才であると思い知らされるだろう。

 だが、エリストローラは微かに眉を寄せ、困ったように笑った。


「正直に言って、どう」


 言いあぐねているエリストローラが、正直な感想を言えるよう、もう一度ルーツが促す。

 すると、意を決したようにエリストローラは言った。


「完成されすぎている。……これでは、私があなたから買った人形と、比べ物にならない」

「……驚いた」


 エリストローラの言葉に、ルーツは驚き、素直に感心した。

 きっとエリストローラも、この人形を美しく思うのだろうと期待はしていなかった。ルーツが求める言葉はくれないのだろうと。

 しかし、エリストローラは「完成されすぎている」と言った。ルーツがこの人形に対して思ったことと、同じことを言ったのだ。


 ルーツが人形に求めるのは、未完成で不完全な美。整っているのに、どこか歪で、だからこそ美しいと感嘆してしまうような、そんな美を求めているのだ。

 今まで作ってきた人形は、ルーツにとっては完成された完全の美だ。いくつか理想に近いものを作ることが出来たが、それでも、理想と一致するものは作れたことがない。だからこそ、両親に勝手に売られてしまっても、諦めがついた。


 エリストローラの見る目は確かなものだと、ルーツは両親に見つからぬよう隠していた人形を取り出す。黒髪に、青い瞳の少女の人形。ルーツの理想に最も近付いた人形だ。


「これをあげる。……あなたが、この工房の人形師だったらよかったのに。あなたなら、きっと私と同じ理想を抱ける」


 エリストローラが人形師だったらよかったのに、と、本気でそう思った。

 この人ならば自分の作った愛する人形を、何があっても大切にするだろう。両親に勝手に売られるくらいなら、この理想への一歩となった人形は、エリストローラに持っていてもらいたい。

 人形を受け取ったエリストローラは、信じられないといった様子で人形を見つめる。


「いいのですか、このような、美しい人形を……」

「あなたならいい。どうせ、そこの後ろの二人に、この子も売られるんだ。人形の扱いがなってない人間の手に渡るくらいなら、あなたが大切にしてくれる方がいいに決まってる。この子、大切にしてくれる?」


 ルーツの言い方に両親が怒りを露わにしたが、少しも気にせずにエリストローラの返事を待つ。


「当然です。何があってもこの人形を大切にすると誓います」


 そう言ったエリストローラの表情は、頼もしかった。

 その後しばらく話をし、見送りのために久々に部屋の外へ出た。両親は出したがらないようだったが、エリストローラにほぼ軟禁状態であることを知られたくなかったのか、何も言わなかった。


「この子に名前はありますか?」


 エリストローラの質問に、ルーツは首を横に振る。名前は、理想の人形だけにつけると決めていた。

 自分が名付けてもいいだろうか、と遠慮がちに尋ねるエリストローラに、どうぞと許可する。ルーツの許可に喜びながら、エリストローラは帰って行った。

 数日後、エリストローラからルーツに手紙が届いた。あの人形に、『ノーラ』と名前を付けたらしい。


 それから、ルーツは理想に近い人形を作ったはいいが両親に見つかってしまうと、エリストローラに売るよう頼むようになった。毎回買ってくれるエリストローラに、両親も文句を言わなかった。

 人形を彼に売るたびに、彼はルーツに、人形につけた名前を報告する手紙を送ってきていた。


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