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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
42/131

6-5

 ニコラスを殺す。そう決めたのは自分だというのに、エグランティーヌは震えていた。


 とうとう今日、ニコラスがリゼルヴィンによって殺される。

 それを命じたのは他でもない、エグランティーヌだ。直接手を下すことはないとはいえ、エグランティーヌが殺すのだ。


 本当にこうするしかなかったのか、と後悔すらしそうになる。半ば嵌められた形ではあるが、女王になると決めた者が、後悔して動揺する様を見せるのは周囲に不信感を与えてしまう。

 四大貴族からの推薦とニコラスからの指名で、予想していたほどの反対はなく、エグランティーヌが次期女王になることが承認された。お世辞にも『黄金の獅子』とは言えない容姿のエグランティーヌだったが、今まで築き上げてきた実績と評判に救われた。


 実はウェルヴィンキンズに滞在していたらしいジルヴェンヴォードも、昨日無事セリリカに到着したとリゼルヴィンから報告が上がった。まさかそんなことになっていたとは思ってもいなかったが、リゼルヴィンと顔を合わせたくなくて多忙を理由にまた面会を拒否した。リゼルヴィンとどう接すればいいのかわからないのだ。


 それでも、今日はどうしても会わなければならない。


 派手とは言わずとも、アダムチーク侯爵夫人として生活していたときとは比べ物にならない服を着せられ、地下へ向かう。切ってしまった髪にこんな服は似合わない。そもそも、王女としてこの王城で暮らしていたときでもこんな服は着なかった。これでも地味な方だというのだから、これから先の生活が心配になる。


 先にリゼルヴィンは地下牢に下りたらしい。人払いをして、グロリアだけを連れて下りる。

 薄暗く、背筋がぞわぞわと泡立つような不気味な雰囲気の中、ニコラスのいる牢の前でリゼルヴィンがたったロウソク一本の灯りでニコラスと談笑していた。


「あら、女王陛下。久し振りね」

「……まだ戴冠式を済ませていない。そう呼ぶのはやめてくれ」

「ほんの冗談よ。怒らないで」


 変わらない笑顔でそう言うリゼルヴィンに、エグランティーヌはぎこちなく返すことしか出来なかった。


 リゼルヴィンはいつもの喪服ではなく、四大貴族の騎士服にも似た正装を身に纏い、腰に剣を提げていた。全体的に黒いのは変わらないが、きちんとした服装をするリゼルヴィンは滅多に見れるものではなく、余計にエグランティーヌを気まずくさせた。リゼルヴィンは「四大貴族であるリゼルヴィン家の当主としての仕事」として今回のことを処理しようとしているのだ。友人の頼みでやるわけではない。


「お久し振りです、国王陛下。このようなことになってしまったこと、大変申し訳なく存じます。どうかエンジットの将来のため、了承いただけると幸いです」

「これからはあなたが女王です。私などを国王とは呼ばず、ただ、ニコラスとお呼びください。女王陛下の御世の栄光のため、私などの命、いくらでも差し上げます」


 険しい顔のエグランティーヌに、穏やかに笑んだままのニコラス。笑ってしまいそうなのをこらえながら、リゼルヴィンはちらりとグロリアを見た。

 グロリアもまた、四大貴族の正装を身に纏っていた。これはリナとの世代交代も近い、と楽しみに思う。正装を身に纏うのが許されているのは、当主かその跡継ぎのみだ。グロリアも家を継ぐことを覚悟したのだろう。


「女王陛下、私は施政者として、多くの過ちを犯してきました。罪は裁かれて然るべきです。たとえ死んでも許されない罪を、私は多く犯しました。それを死ぬだけで許すと、女王陛下は言ってくださっているのです。あなたが苦しむことはありません。これから先、国を治めていく道すがら、たくさんの死を見届け、時に多数の命を奪うことになるでしょう。国の頂点に立つということは、その足元を血で濡らし、その身を血で濡らし、それでも前を向いていなければならないということです。私のような愚王にこのようなことを口にすることは許されないでしょうが、ただ一つ、遺言とでも思って、耳に入れてください」


 ニコラスは牢に入れられ、これから殺さるにも関わらず、エグランティーヌが見てきたどんな姿よりも誇らしい笑顔を浮かべ、どんなときよりも国王らしく、兄らしい目をしていた。

 目が熱くなるのを感じながら、エグランティーヌはニコラスの言葉に耳を傾けた。


「自分に自信を持って。君はとても美しくて、とても賢くて、とても優しい子だ、エグランティーヌ」


 にっこりと優しく笑み、手を伸ばしてエグランティーヌの頭を撫でたニコラスを、エグランティーヌは初めて兄だと思う。そこにいたのは、国王でもなんでもない、ただ妹を想う兄だけだった。





「国を任せるとは言わないのねえ。驚いたわ。あなたなら絶対に言うと思っていたのに」


 グロリアと共に出て行ったエグランティーヌを見届けて、リゼルヴィンはニコラスに水を手渡す。

 恥ずかしそうに笑いながら受け取るニコラスは、それが毒であることを知っている。


「これ以上期待するのは可哀相だ。これから先、嫌というほど苦しい道を歩み、嫌というほど言われるんだから、僕からまた言うのは気が引けるよ」

「そう。まだ飲まないでよ、言わなきゃなんない面倒な言葉がいくつかあるの」


 心底面倒そうに眉を寄せ、エグランティーヌが去ったことで戻った素の表情を引き締めようとするも、なかなか上手くいかず溜め息を吐く。

 そんな様子がおかしくて、ニコラスは小さく噴き出してしまった。


「何よ、何かおかしなことをしたかしら」

「いやあ、あのリゼルヴィンでもそんな表情をするんだなって。いつも皮肉っぽい笑顔だったり、悪い顔しかしないじゃないか」

「失礼な男ね。私はもともと表情豊かな方よ」

「二年前から、だろう? その前はずっと表情が硬かった。エグランティーヌみたいにね」

「冗談言わないで。あの子と私は違うわ。あの子は才能があるからこそ、あんなに表情が硬いのよ。劣等感も強い」

「そんなこと言ったら君そのものじゃないか。君だって、唯一の才能があって、いつも何かに悩んでいるような表情ばっかりで、困ったような笑顔ばかり浮かべて、劣等感を隠すように働いていた。ほら、そっくりだ」

「……そんなんじゃないわよ。ただ、私は弱かっただけ。あの子は強いわ」


 表情が暗くなったリゼルヴィンに、怒らせてしまったかと不安になったが、そうではないようだ。また溜め息を吐いて、ニコラスの方を向く。


「ミランダが作ってくれた毒よ。大切に味わって飲みなさい」

「僕の願いを叶えてくれたんだね。ありがとう、リゼルヴィン」

「これから死ぬって人に礼を言われたって嬉しくなんかないわ」


 ようやく引き締めることが出来た顔で、リゼルヴィンはニコラスの罪状を並べていく。

 どんな場合であっても、リゼルヴィンは罪なき人間を裁くことは出来ない。証拠がある者はそれを明らかにし、証拠がない者はでっちあげる。そうやって裁くことが、リゼルヴィン子爵家の使命だ。

 探せば探すほど出てきたニコラスの罪は、やはり事情を知っている者から見たらエグランティーヌを女王にするためだとはっきりわかるものばかりだった。


 最後に、言い残すことはないか尋ねる。どんな罪人にも、最後の一言はどのようなことを言ってもいいことになっていた。


「ミランダに、伝えてくれ。今でも愛してると」

「……必ず」


 幸せそうに、ニコラスは毒を飲み干した。


 明日の朝になれば、冷たくなったニコラスをグロリアが運び出すだろう。病死と判断され、葬儀が行われ、墓に入れられる。


 そこにリゼルヴィンはいたとして、ミランダがいることはないだろう。


「さようなら、ニコラス。いい王とも、いい主とも言えなかったけれど……私を理解してくれている、友人だと、思っていたわ」


 ゆるやかに眠りに誘われるニコラスの手を、リゼルヴィンはそっと握ってやった。


「僕もさ、リース……。君がいてくれて、本当によかった」


 ニコラスが倒れ、完全に眠りについたことを確認し、牢の中に入ってその体をベッドに寝かせてやる。

 今はまだ心臓が動いているが、一晩のうちに止まってしまう。

 苦しまないようにしてやったのは、ミランダの愛だ。ミランダもまた、ニコラスを愛している。


「次は二人とも、幸せに結ばれるといいわね。私もそのときそこにいれたなら、きっと守ってあげると約束するわ」


 さようなら、ともう一度口にして、転移魔法でその場から去った。






 翌朝、国王の訃報に、国民は涙する。

 愚王であると自称していたが、ニコラスは民に対しては立派に、王としての務めを果たしていた。


 そしてそれから一週間後、新女王エグランティーヌの戴冠式が行われる。


 その日に東の『赤い鳥』アダムチーク侯爵家当主ミハル=アダムチークが侯爵家を離れることを宣言し、その弟、エリアス=アダムチークが当主と認められ、更には年内に南の『白い鳥』クヴェート伯爵家当主リナ=クヴェートも引退すると宣言した。次期当主はファウスト=クヴェート、王宮魔導師グロリアだと公表された。


 民に寄り添い、父である先々王シェルナンドに匹敵すると言われるほど良政を敷いた、後の世では賢女王と呼ばれることになる茶の髪と瞳を持つ女王、エグランティーヌ=ルント=エンジット。

 金髪碧眼を持たぬ『黄金の獅子』が立ったのは、エンジット王国の歴史上、後にも先にもこのエグランティーヌのみであった。


第一部、終了となります。

この後は番外編を挟んで第二部へ進む予定です。


ここまで読んでくださってありがとうございました。

またお付き合いいただけると嬉しいです。

誤字脱字、ご意見ご感想、お待ちしております。

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