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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
40/131

6-3

 上には王や国の重役がいるということで、いくら警備が厳重だとはいえ安全面から滅多に使われなくなった地下牢は、手入れもあまりされていない。牢の鍵が錆びついていた。

 二人を待っていたかのように、ニコラスは寝ずにぼんやりと宙を見つめていた。その目には何も映っていないが、すべてに絶望しているようでもない。足音に気付き、こちらに顔を向けたニコラスは、にこりと笑った。


「君は……確か、リゼルヴィンの侍女の」

「ジュリアーナ=フィアードと申します。国王陛下」

「ああ、そうだ、ジュリアーナだ。覚えるべき人間の名前が多すぎて忘れてしまっていた」


 へらりと笑うニコラスに、ジュリアーナは不快感を隠さず顔に出す。


 まずはジュリアーナがニコラスの様子を見て、どう行動すべきか判断するということで、ジルヴェンヴォードは物陰に隠れさせられた。身を小さくしながら、二人の会話に耳をそばだてる。その間にも、治まっていたニコラスへの憎悪が、またふつふつと湧いてきた。どうにか落ち着かせながら、ジュリアーナを待つ。


「それは嘘だ。貴様は、この名を憶えている」


 吐き出すようにジュリアーナが言った言葉に、ニコラスは笑みを消した。

 どうしてそれを知っている、とでも言いたげに、眉を寄せ、しかしすぐにまた頼りない笑みを浮かべた。


「……ああ。知ってるよ。僕が国のために犠牲にした少女の名前だ」


 あっさりと認めたニコラスは、立ち上がってジュリアーナのくすんだ金髪に手を伸ばす。

 当然、その手から逃げたジュリアーナに、いっそう笑みを深くした。


「この国に、第三王女はいないんだ。僕が王になってからずっと探しているけれど、ずっと消息不明のまま。でもそれじゃあ、民にどう説明すればいいのかわからない。下手をすれば混乱が起こる。そうなるくらいなら、偽物を立てて、国交のために役立ってもらった方がいいじゃないか。君はどうしてその名を名乗っているのかな? そんな名前はもう、誰も知らないはずだけど」


 そう言うニコラスは、不気味だった。狂気じみていた。

 ジュリアーナは理解する。ニコラスは何もかも己の信じる善に沿って判断していたのだ。リゼルヴィンが己の悪に沿って行動するように、ニコラスもまた、すべての行動に後悔などしていない。たとえ「後悔している」と口にしたとしても、本心ではきっと何が悪かったのかわかろうともしないのだろう。


 だからこそ、ニコラスは今、笑っている。


 どうせこの男は死ぬのだ。言いたいことは全部言っておこうと、ジュリアーナは自分の背よりいくらか高い位置にあるニコラスの青い目を見上げる。


「私が何者か、知りたいか」

「もちろん。教えてくれるなら」


 すぐさまそう返してきたニコラスを、睨むような真似はしない。

 あくまで余裕を持って、ニコラスに負けず、笑う。


「私が、私こそが、この国の第三王女、ジルヴェンヴォード=ルアーナ=エンジットだよ。お兄さま?」

「――君が」


 ニコラスの顔が驚愕で染まった。信じられない、とでも言いたいのだろう。

 この二年ほど、ジュリアーナはリゼルヴィンについて、ニコラスと何度か会っているのだ。

 まさかこんなに近くにいたとは想像もしていなかったのだろう。まさかリゼルヴィンと共にいるとは思わなかったのだろう。まさか、王女でありながら侍女として働いているとは、信じられないのだろう。

 ジュリアーナはおかしくなって、くすくす笑ってしまった。


「ご安心ください、国王陛下。私は侍女をやっていますが、苦ではありませんし、自ら望んでやっているのです。そもそも初めから、私は王女として扱われていませんでしたから」


 どこから話すべきか考えて、口を開こうとしたが、それだけ言って閉じてしまう。言うべきではないように思えた。真実を教えれば、きっとニコラスは自分の滑稽さ、愚かさに絶望するだろう。その顔が見てみたいが、何も知らずに死なせてやっても、それはそれでいいだろう。真実を知らず、自身の犯した過ちのどこが悪かったのを知ることも出来ず、そうやって死んでいくのは不幸ではないだろうか。

 完全なる主観だが、ジュリアーナならば、真実を知り絶望の中で死ぬより、知らずに死ぬ方が嫌だ。


 口を閉ざして、ジュリアーナはニコラスの前から一度いなくなる。物陰に隠れさせていたジルヴェンヴォードを連れ、またニコラスの檻の前に立つ。

 ジルヴェンヴォードは涙を流していた。悲しいのではなく、憎いから流れる涙だ。


「どうして……っ」


 何から言えばいいのかわからなくなっているのだろう。ジルヴェンヴォードは声を震わせながら、言葉を探す。

 ジルヴェンヴォードの登場に、ニコラスは一瞬、ジルヴェンヴォードの影武者をやったエルではないのかと疑ったが、すぐさま本物であり偽物であるジルヴェンヴォードだと認めた。


「どうして、わたしを王女さまなんかにしたの……!」


 絞り出せたのはそれだけだった。言いたいことはたくさんあるのに、ニコラスを責めたいのに、言葉が出てこない。怒りと憎しみで、涙だけはとめどなく流れてくる。

 ニコラスもニコラスで混乱し、何も言えずにいる。

 一人冷静さを保っていられているジュリアーナは溜め息を吐いて、崩れ落ちそうなジルヴェンヴォードを支えてやり、ニコラスを見た。


「こちらの方が、国王陛下の用意した私の偽物、『ジュリアーナ=フィアード』で間違いありませんね」


 状況を理解したのか、ニコラスは脱力し、座り込んだ。

 頭を抱え、頷くニコラスに、ジュリアーナは頬が緩むのを抑えられなかった。ニコラスが苦しんでいる様子が、愉快でたまらない。


「君が、本当の僕の妹……。こんなに近くにいたのに、妹と気付けなかっただなんて、僕は兄失格だな、はは……」


 もう笑うしかないのだろう。乾いた笑いが響いた。

 ジルヴェンヴォードはもう何も言えないと判断し、彼女が言いたいだろうことは何があるか考える。ここまで来たのはジルヴェンヴォードのためだ。ジュリアーナはついでに言ったに過ぎない。

 ジュリアーナの話を先にしたのは失敗だった。どちらにせよジルヴェンヴォードが泣きじゃくるのは避けようのないことだっただろうが、それでもニコラスまでもが混乱することはなかっただろう。これはジュリアーナが悪い。少しだけ反省した。


「私は陛下を兄と思ったことはありません。兄がいることも知らない時期が長かったので。ですからお気になさらず。気付いてほしかったなどとは思っていませんし、仮に気付いていただけたとしても、少しも嬉しくありませんでしたから。むしろ苛立って仕方なかったと思います。私は半分とはいえ、あなたと同じ血が流れていると思うと、吐き気と苛立ちで気が変になってしまいそうなくらいですから」


 そう返しても、ニコラスは顔も上げない。ジュリアーナにとっては励ましや慰めといったもののつもりだったのだが、ニコラスにしてみればとどめを刺されたようなものだ。

 落ち着いてきたジルヴェンヴォードが、ちらとニコラスを見る。その目には憎悪ではなく、怯えが滲んでいた。


「陛下……どうして私を選んだのですか。どうして、どうして父や母を巻き込んだのですか」


 ジュリアーナに支えられながらではあるが、ジルヴェンヴォードはしっかりとニコラスの目を見て、そう問う。

 どうせ納得の出来る答えは返ってこないのだろうと思いつつ、ジュリアーナが黙っていると、ニコラスが何やらジルヴェンヴォードではなくジュリアーナを見ていた。何を求められているのかわからず、わからないと伝えるつもりでふいっと視線を逸らすと、深い溜め息を吐かれた。


 それで、気付く。ニコラスはジュリアーナに助けを求めていたのだ。


 気付いても助ける気などさらさらないので、気付いたが助けません、という意味を込めて睨みつけると、今度は溜め息を飲み込まれた。それはそれで腹が立つ。


「その金髪碧眼が、丁度よかったからだよ。旅商人、というのもいい。いつ死んでもおかしくないから。君の両親はそのまま旅を続けさせてもよかったけど、旅先で娘がいたのではと尋ねられる可能性を考えて、記憶を消し改竄し、国に留まっていただいた」

「……ひどい、ひどいわ。だったら誰でもよかったんじゃない! どうしてわたしを選んだの! わたしの家族と幸せを返してよっ!」


 ジルヴェンヴォードの叫びが響いたが、ニコラスはさして気にもしていなかった。

 つくづく最低な男だ。自分で偽物を用意したというのに、本物が見つかれば興味もなくす。

 これではジルヴェンヴォードがあまりに可哀相だ。珍しくそう思ったジュリアーナは、ジルヴェンヴォードの肩を優しく抱いて、支え、来た道を戻る。ニコラスがまだジュリアーナと話したそうにしていたが、見ていないふりをした。ジュリアーナから話すことはもうない。


「ジルヴェンヴォードさま、落ち着いてください。明日はエンジットを発つ日です。そして、あの男は三日後に死にます。大丈夫、もう二度と、永遠に会うことはありませんから」


 慰めはジルヴェンヴォードに届いただろうか。本当に珍しく、ジュリアーナはリゼルヴィン以外の誰かを心配した。


 ジュリアーナの心は晴れやかだった。ニコラスは予想以上に最低な男で腹が立ったが、それでも彼の不幸をこの目で見ることが出来たのはよかった。

 ジルヴェンヴォードも、きっといつかわかるだろう。今は泣くしかなくとも、ニコラスが苦しんだのだと気付けば楽になるはずだ。

 出来ればでいいが、ジルヴェンヴォードには幸せになってもらいたいと、ジュリアーナは思った。


 ジルヴェンヴォードと関わる中で、ジュリアーナが少し丸くなったのは紛れもない事実だった。


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