6-1 新たなる国へ
ウェルヴィンキンズに夜が訪れ、街中に灯りと喧騒が溢れる。
喧嘩でもしているのか、大通りから何やら怒声が聞こえてくるが、ジュリアーナは気にもせずジルヴェンヴォードの手を引いて門を目指した。
目立たぬよう、ジュリアーナは普段着よりも見慣れた仕着せを、ジルヴェンヴォードはジュリアーナから借りた質素な服を着て路地を進む。
今夜は、リゼルヴィンは帰ってこない。エグランティーヌが正式に王位を継承する許可が下りたということで、早急に片付けるべき仕事がいくつか出てきたらしく、随分と行っていなかった街屋敷に泊まると連絡が来ている。
そして、それはジュリアーナへの合図でもあった。
「いいですか、ジルヴェンヴォードさま。あの門番は昼間も起きていますが、夜であっても眠ることがありません。彼の目を盗んで門を抜けることは出来ないのです。ですから、ジルヴェンヴォードさま、彼に何か問われても、私が言うことに、すべて頷いてください」
門が見える路地から門番を指差し、ジュリアーナはそう言う。
ウェルヴィンキンズでリゼルヴィンの命令は絶対だが、リゼルヴィンは滅多に命令をしない。大抵は「お願い」であり、実質的には命じられたのと変わりないとしても、「命令する」と言葉にしていないため、いざという場合に力を発揮しないことが多い。
ジルヴェンヴォードを隠しながらここまで来たのは、それが理由だ。
リゼルヴィンは確かに「ジルヴェンヴォードには手を出さないでもらいたい」と住人たちに言ったが、それは命令ではなかった。住人たちも基本的にはリゼルヴィンの「お願い」に反する行動は取らないものの、王女相手となると話は別だ。この街で王族を嫌い、憎んでいるのはジュリアーナだけではない。衝動を抑えられない者も少なくないため、今回のリゼルヴィンの「お願い」は、屋敷内でしか効力を望めないのだ。これまで外に出さなかったのは、ジルヴェンヴォードの身を守るためだった。
門番のセブリアンは特別王族を憎んでいるわけでもないが、どこで誰が聞いているかもわからないため、リゼルヴィンの名前を出すだけで門を開けてもらうしかない。
ふう、と細く息を吐き出したジュリアーナに、ジルヴェンヴォードも緊張を解こうと深呼吸を繰り返す。
「行きますよ」
ジルヴェンヴォードの金髪を隠すためにフードを被せ、出来るだけ俯くよう指示し、ジュリアーナは不自然さがないよう平然としてセブリアンの前まで歩く。
「門を」
「珍しいじゃねえか、ジュリアーナ。こんな時間にどこへ行くつもりだ?」
「野暮用です。主さまの許可はいただいております」
「それこそ珍しい。お前、夜はあいつと代わるんじゃなかったのか」
「……あなたさまに関係のないことでしょう。門を開けてください」
セブリアンは探るように言葉を投げてくる。きっとジュリアーナが睨みつければ、声を上げて笑い始めた。
「別に隠すことじゃあねえだろう。この街にはもっとすげえ秘密を抱えたやつもいる。ただ興味が湧いただけだ、そう睨むな」
「興味本位で私の秘密を暴こうなど、命知らずにもほどがあります。あなたさまがそのつもりならば、私もあなたさまの秘密を探りますが」
「だーからそう睨むなっつってんだろ。もう何も聞かねえ」
「賢明な判断、感謝します。では」
「ちょっと待て」
昼間はリゼルヴィンが鍵を持っているが、夜間はセブリアンが管理している。開けてもらった門をジュリアーナたちが通り抜けようとしたところ、セブリアンはジュリアーナの手を引いた。
あと少しすれば、住人たちがもっと起きだし、外から「普通でない者」たちもやってくるだろう。もう時間がない。
またも睨みつけてやるが、それにセブリアンはにっと笑って返すだけ。
「まだ何かありますか」
「ああ、ある。ジュリアーナ、お前が連れてるその女は誰だ」
ジルヴェンヴォードがびくっと肩を跳ねさせた。
セブリアンの目は、ジルヴェンヴォードの正体を見抜いているのではと思うほど、しっかりとこちらを見ている。
主の名前を出すべきか、それともセブリアンには言ってしまうか。
数秒悩んで、ジュリアーナはそっとセブリアンの耳に口を寄せる。
「誰が教えますか」
「いっ!?」
囁いて、セブリアンの耳を思い切り噛んだ。
ジュリアーナは噛み千切ったセブリアンの耳をぺっと吐き出し、先程のセブリアンと同じように、にっと笑う。口の周りは血だらけだ。対してセブリアンは、痛みと驚愕で顔をゆがませたが、何が面白いのか腹を抱えて笑い始めた。耳は、もう治癒が終わっている。ジュリアーナとは違い、彼はまだ一回目も迎えていないため、治癒が早いのだろう。
「やってくれるじゃねえか、ジュリアーナ!」
「どうも。では、これで」
「ああ、いい、許してやるよ! 俺はお前が出ていくところしか見てねえ!」
笑みを消し、ジュリアーナは震えるジルヴェンヴォードの手を取って門を通り抜け、森の中の道から少し外れたところを歩く。セブリアンの笑い声はしばらく聞こえた。
早足で歩きながら、口の周りの血をハンカチで拭っていると、ジルヴェンヴォードがジュリアーナと繋いでいる右手に力を入れた。左手に感じる体温はジュリアーナとは違って温かく、ジルヴェンヴォードが生きている人間だというのが嫌でもわかった。
「どうかなさいましたか、ジルヴェンヴォードさま」
「い、いえ、ちょっと驚いただけです……」
「セブリアンのことですか。彼は確かまだ一回目を迎えていないはずなので、治癒が早いのですよ。この街の住人は回数で治癒力が決まります。私はもう二回迎えていますので、この通り、まだ治っていないのです。まあ、これはどこぞの誰かの魔力が治癒を邪魔をしている、というのもありますが」
ジルヴェンヴォードが驚いたのはそこではないのだが、それに気付かずジュリアーナは説明する。
この街に暮らす人間はリゼルヴィンの魔力を分け与えられており、「三回迎える」まではすぐに傷が治るという。病にも罹らない。
ジュリアーナは治癒力が低くなってしまったため、まだ右目の包帯を外せないのだと。
何を迎えるかというのは、言わなかった。ジルヴェンヴォードも聞かない。
道の傍を離れ、森の中を灯りもなしに進んでいく。先も見えず、足元も見えない闇に恐怖するものの、ジュリアーナがしっかりと手を握ってくれているため、転ぶことはなかった。
しばらく進むと、開けた場所に出た。微かな光が漏れる小屋が建っており、その傍に井戸がある。
ジュリアーナは迷わず小屋の扉をノックした。まず三回、間を置いて、二回、三回。
中で誰かが扉へ近づく音がした。ジルヴェンヴォードは、童話の主人公になった気分になる。悪の魔女の家に連れてこられた、少女の童話だ。
小屋から出てきたのは、赤毛に琥珀色の瞳の、四十に届くかどうかくらいの男だった。
「ルアーナ、ティナ=メンレット、イストワール」
「……認めよう」
ルアーナ、とはジルヴェンヴォードの名だ。ジルヴェンヴォード=ルアーナ=エンジット。
そして、ティナ=メンレットとは、ジルヴェンヴォードを生んだ側妃の名。
どうやら、それらは合言葉であるらしい。それを聞いた男はジュリアーナを頭からつま先まで眺め、頷く。
「井戸の使用を許可してください」
「あの女にここは知られていないな?」
「ええ。歩いて行くと伝えてあります。どの道を行くかはお伝えしていません」
「ならば、許す」
そう言って男は一度中へ戻り、ジュリアーナは井戸へジルヴェンヴォードを導いた。
井戸の底を覗きこむジュリアーナにつられてジルヴェンヴォードも覗いてみるが、すぐに後悔する。
ただでさえ暗い夜だが、それにしても深く暗い。落ちたらひとたまりもないだろう。
「怖がる必要はありません。それに、今からこちらに入るのですから、怖がっていてはどうにもなりませんよ」
「こっ、この中に!? 無理よ、死んじゃうわ!」
「死なないと信じれば簡単には死なない。それとも、お前は死にたいのか。ならば死ぬと思い続けていろ。きっと死ねるぞ」
いつの間にかジルヴェンヴォードの背後に立っていた男に驚き、井戸に落ちそうになってしまった。咄嗟に男が支えてくれなければ、今頃ジルヴェンヴォードは井戸の底だ。
ほっとすると同時に、ここに入るのだと言われたのを思い出し、血の気が引いていくのを感じる。暗い、底も見えない井戸へ入るだなんて、自殺行為にもほどがある。
「アンバーさま、時間がありません。私が先に降りますので、縄を貸してください」
ジュリアーナは恐怖を感じている様子もなく、平然とアンバーと呼んだ男から縄の一端を受け取る。
それを腰に巻きつけ、きつく結び、井筒に腰かけた。
「後で私の後を追ってください。大丈夫です、万が一落ちてしまわれても、下で私が受け止めますので」
ジルヴェンヴォードにそう言って、ジュリアーナは慣れた様子で降りていく。無理だ、と思ったが、縄のもう一端を持ってジュリアーナが降りやすいよう調節しているアンバーの隣でそんなことを言うのはためらわれた。
これは覚悟を決めなければならない、とぎゅっと目を瞑り、一番辛かったことを思い出す。
両親が殺されたと知ったとき。あのときが一番辛かった。悲しみを感じないほど、怒りと憎しみがジルヴェンヴォードの心を焼いた。それに比べれば、井戸の底へ降りることなどなんてことないはずだ。
ジュリアーナが降り切ったのを確認し、アンバーは縄を素早く引き上げた。そのままジルヴェンヴォードを井筒に座らせ、腰に縄を結んでやる。とん、と人差し指でジルヴェンヴォードの額を突くと、ジルヴェンヴォードの体は勝手に井戸を降りていく。
何が何だか理解出来ていないまま、ジルヴェンヴォードは井戸へ降りる。混乱し、恐怖で体が硬くなって動けなくなってしまう。
だが、そうすれば落ちてしまうと気が付き冷静になる。
死んだら死んだでそれだけだ。そうなったら自分は王女を騙った罪で死んだだけ。そう自分に言い聞かせ、ジルヴェンヴォードはぎゅっと縄を握りなおした。