5-9
「次は私の番ね。何か聞きたいことは?」
リゼルヴィンに訊きたいことは、たくさんある。聞きつくせないほどのそれに、ニコラスは何を優先的に訊くべきか考えて、やめる。
話を聞きたいと思っていたが、リゼルヴィンの話も、質問もいらない。
「リゼルヴィン、エーラに、忠誠を誓ってくれ」
ニコラスの願いはたった一つ。それだけだ。
まさかそう来るとは思っていなかったリゼルヴィンは、きょとんとした後、にんまりと笑った。不気味ながら、いたずらを思い付いた子供のような無邪気さもある笑みだった。
「当たり前でしょう。あの子が悪しき王にならない限り、私はあの子と共にいるわ。頼まれたもの。断れるはずがないでしょう」
「よかった……。僕のときのような誤魔化しはしないでくれよ。エーラが女王になるには、リゼルヴィンを従えなくてはならないんだから」
「大丈夫よ、今度はちゃんとするわ」
ニコラスは安堵の溜め息を吐き、リゼルヴィンから目を離した。
本人の意思も確認せず、逃げ道を塞ぎ、最も避けたかった道を歩ませるのだ。せめてエグランティーヌがリゼルヴィンを従えることが出来るようにしてやりたい。
「隠していたようだけれど、気付いていたよ。君は僕を信頼していなかった」
「ええ。これっぽっちも信じてなかったわ。王だなんて、認めたくなかったのよ」
「素直だなあ。少し傷つくよ」
「あら、でもあなたにとってはよかったんじゃない? あなたと私がちゃんとした契約を結んでいたら、今回の件がこんなにすんなり進むことはなかった。契約を結んでいて、私があなたの奴隷になっていたら、私はあなたをこうして閉じ込めることは出来なかった。もちろん、退位させることも」
それもそうだ、とニコラスは納得する。きっとリゼルヴィンは、いつかこんなことが起きると知っていたのだ。ニコラスを信頼していなかった、王にしたくなかった、というのが主な理由なのかもしれないが、こうなることを見越して契約したふりをしていたのだろう。
やはりリゼルヴィンには敵わない。何もかもを知っているようにすら思える。
ふりとはいっても、リゼルヴィンと契約していたニコラスだ。リゼルヴィンの強さ、恐ろしさは、十二分に思い知っている。
国中の魔導師が力を合わせても敵わない。リゼルヴィンは死を恐れないからこそ強く、死ぬことがない。味方でいればそれ以上の頼もしい味方はおらず、敵であればそれ以上に恐ろしい敵はない。
魔法は万能ではないが、万能に限りなく近い。リゼルヴィンほどの力があれば、出来ないことなどほとんどないのだろう。
言葉だけで心もとない口約束だが、リゼルヴィンを信じるしかない。
そして、エグランティーヌがニコラスと同じように愚王とならないよう、祈るしか。
「選ばせてあげるわ、ニコラス。あなたは病死したことにするから、毒でそれを装うの。どんな毒がいいとかあれば、出来る限り応えてあげるわよ」
「ミランダの毒を」
リゼルヴィンの申し出に、ニコラスは咄嗟にそう答えていた。
「ミランダが作った、毒がいい。それならどんなに苦しくても、血を吐いても、いい」
「……ほんと、あなたたちってどうして別れたのかしら」
予想はしていた、といった風に、リゼルヴィンは呆れたように微笑んだ。
来る死を受け入れているニコラスの、唯一の未練が、ミランダのことだ。
国王と一介の研究員。身分がまるで違う二人だったが、ニコラスはミランダを愛していた。
王宮にもっと優秀な薬師が欲しいと、半ば無理矢理リゼルヴィンに紹介してもらったのが、内乱が起こる直前のことだった。
お互いどこに惹かれ合ったのかはわからない。けれど、確かに愛し合っていたと、ニコラスは信じている。
別れを告げたのはミランダの方だった。やはり、身分が違いすぎると。
ミランダがクヴェートの人間であるということに薄々気付いていたニコラスは、身分が違うのならばクヴェートに戻ればいいと言った。そうすれば、隠れなくてもよくなる。正式に妃に迎えることが出来ると。しかし、ミランダはそれを断った。
当時は怒りすら感じたものだが、今でもニコラスはミランダを愛している。出来ることなら、ミランダの作った毒で死にたい。
「あなたって不思議よね。愛する女が作った毒で、愛する妹を殺そうとしたんだから」
「正確には、ヘレナが作った毒だ。ミランダの毒で人を殺すなんて、ミランダが悲しむだろう?」
「それでも、愛する妹を殺そうとしたことに変わりはない」
「所詮偽物だ。手にかけることくらいたやすいよ。まさか、あこそまで人を惹き付ける才があるとは思わなかったんだ。あのままだと、僕が死んだあと、エンジットに連れ戻されて女王にならされる。エーラがそうしていたはずだ。だから殺すしかないと思ったんだよ」
「そう。自分勝手な男ね」
なんとでも言うがいいさ。そう言うニコラスは、やはり笑っていた。
ミランダに掛け合うことは出来るが、そのためには事情を説明しなくてはならない。ミランダは毒を作るのは好きだが、それで人が死ぬのはよしとしない人間だ。殺すための毒など、そう簡単には作ってくれない。
ニコラスはそれでもいいと言った。すべてを知られ、心底軽蔑され嫌われたとしても、ミランダの毒で死にたいと。
「ねえ、ニコラス。死ぬのって、怖い?」
リゼルヴィンがらしくない質問をした。声も沈んだもので、ニコラスは不思議に思ったものの、素直に答える。
「前は怖かったけど、今は全然。死ねることが嬉しい」
「それは、どうして?」
「どうしてかなあ……。目標を達成出来たからかな。逆に言えば、もう目標がなくなったから、生きていても仕方ないと思うんだよ」
「そう……そういうものなの」
「君は、死ぬのが怖いのかい? ……いや、そんなわけないか。忘れてくれ」
興味本位でそう問うと、リゼルヴィンはすっかり考え込んでしまった。
これから死ぬ人間が相手だからか、いつものリゼルヴィンとはどことなく違う。いつもの堂々とした、尊大な態度ではない。ごく普通の人間にさえ見えてしまう。
しばらく沈黙があって、口を開いたリゼルヴィンは、ニコラスが今まで見てきたリゼルヴィンからは想像もつかない、弱々しい笑みをしていた。
「怖くはないわ。……でも、生きているのが怖い。生き続けることが、怖くて仕方ないわ」