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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
36/131

5-8

 牢の中だというのに、ニコラスはどうしてか、今まで生きてきた中で一番安心して眠ることが出来た。

 ベッドは固く、石の壁は冷たい。それなのに、体は痛くとも爽やかに目覚めた。不思議に思う反面、当然だとも思う。


 王であったニコラスは安眠など出来るはずもなかった。だが、今のニコラスは王でもなんでもない。ただの処刑を待つ罪人だ。気を張る必要などないのだ。


「気分はどうかしら、ニコラス」


 ニコラスが地下牢に入れられていることはごく一部の人間しか知らないため、警備の者も配置されていない。リゼルヴィンが地下全体に結界を張ったので、万が一にも逃げられることがないのもあるだろう。

 心地の良い足音を立てながらやってきたリゼルヴィンに、ニコラスは笑みを向ける。


「最高だよ。とてもよく眠れた」

「そう。おかしな人ね。怒りもせず大人しく捕まって、あげく最高だなんて。普通じゃないわ」

「普通だったら、どんな反応を?」

「我を忘れて怒鳴り散らして無実を叫んで私を不敬罪で殺すんじゃない?」

「はは、そんなことをする王は愚王にも程があるね」


 ニコラスの笑みに普段の疲れはなく、無邪気とも言えるほど、爽やかで裏のないものだった。

 今すぐとは言わずとも、近く殺されることが決まっているというのに、ニコラスはそれすら喜んでいるようだった。狂っている、とリゼルヴィンですら思う。死を無邪気に喜ぶなど、狂っているとしか思えない。

 そんなリゼルヴィンの思いを感じ取ったのか、ニコラスはおかしくてたまらない、といった様子で声を上げて笑った。


「まさかあのリゼルヴィンに、狂人を見る目で見られる日が来るなんて、夢にも思ってなかったよ。最後にいい思い出が出来た」

「……まあ、いいわ。あなたと話をしに来たの。あなたの話を聞くためと、私の話をするために。嫌かしら?」

「全然。むしろ嬉しいよ。君の話を、ずっと聞きたいと思っていたんだ」


 傍にあった古い椅子を檻の前まで持ってきて、腰掛ける。

 ベッドに座ったままこちらを見るニコラスに絶望の色はなく、どこまでも希望に満ち溢れた表情をしていた。リゼルヴィンには、到底理解出来ないだろう。死を恐れてはいないし、憧れがないと言っては嘘になるが、それでも今のところは、この状況でこんな表情が出来るほどではない。


「どうしてエグランティーヌを女王なんかにしようと思ったの? あなたが賢王になればよかっただけじゃない」


 まずはニコラスの話を聞こうと、リゼルヴィンの質問に答える形で、ニコラスは話し始めた。


「エーラが女王になることが、国のためなんだ。僕なんかじゃ、賢王どころか平凡な王すら務まらない」


 曰く、即位してすぐにニコラスはそれを悟ったという。ニコラスは王となるべく育てられ、問題なく即位したが、その後が駄目だったと。

 最初こそニコラスは並々ならぬ努力をしたが、それも無駄だと痛感させられる出来事があった。


 三年前の、内乱である。


 民は先王シェルナンドを求め、よく言えば平穏を保った、悪く言えば栄えることのないニコラスの政治に不満を持った。先王の死の直後、どういうわけかエンジットは食糧難や貧困に苦しみ、民は飢えていた。それらはすべてエンジットから賢王と呼ばれたシェルナンドがいなくなってしまったからであり、ニコラスが『黄金の獅子』に相応しくない王であったからだと民は判断したのだ。


「君と、グロリアがいなければ、僕はいなかったはずだ。本当に感謝してる。もしかしたら、あのときさっさと退位していればよかったのかもしれないけど。そうすればこんなことにはなってなかったはずだし」


 まるで子供の頃の懐かしい思い出を話すかのように、ニコラスは軽い声で話す。

 リゼルヴィンはただ黙ってその話に耳を傾け続けていた。表情は一切変わらず、何を感じ、何を思っているのかは想像もつかない。


「君たちには申し訳ないことをした。君たちの人生を狂わせてしまったこと――特に君を根本から狂わせてしまったこと。申し訳なくて、何度死のうと思ったかわからない。今でもたまに、夢に見てしまうんだ。君が帰還して、王城へ報告にやってきたあの日を。表情のなくなってしまった君を見て、僕はなんてことをしてしまったんだと後悔した。君をこんな風にしてしまったのは、僕だ」

「違うわ、ニコラス。あなたのせいだなんて、自意識過剰もいいところよ」


 それまで黙っていたリゼルヴィンが、ニコラスの話を遮った。

 声には怒りと、ニコラスへの少しばかりの哀れみが滲んでいる。

 表情にいつもの笑みはなく、ただ、宝石と見紛うほど美しい琥珀色の瞳が爛々と輝いているだけ。


「グロリアは知らないけれど、私はこうなるべくしてなったの。三年前のあれは、ただのきっかけに過ぎないわ。いずれ私はこうなるように育てられたのよ。だから今の私がいるんだし、今の幸せがある。そう、幸せなのよ、私は。あなたのせいだなんて思ってないわ。あなたなんかに私の性質が根本から変えられることなんて絶対にない。仮にそんなことが起こってしまったとしても、それはもはや私じゃない。私はあなた程度の人間に変えられるほど、自我が確立していない人間じゃないのよ」

「……そう、か。そうだね。僕なんかが君を変えられるはずがない。やはり、父上か」


 また、ニコラスは声を上げて笑う。何が面白いのかは、リゼルヴィンにはやはり理解出来なかった。


 三年前の内乱の制圧は、リゼルヴィンに任されていた。

 王より任された軍を率いていたにも関わらず、そこでリゼルヴィンは右腕を失くし、指揮していた軍は全滅した。

 簡単な話だ。兵士たちが『黒い鳥』かもしれないリゼルヴィンを信用出来なかったのだ。

 リゼルヴィンの指示は的確なものだった。兵士たちがリゼルヴィンの命令に素直に従っていれば、きっと右腕を失くすことはなかったはずだ。軍も、民衆相手に全滅するようなことはなかった。


 それがきっかけだったのは認める。今のリゼルヴィンがあるのは、あの内乱があったからだ。ただしそれはあくまできっかけで、その後の出来事が、完全にリゼルヴィンを変えてしまったのだ。

 あなたの気にすることではないわ、続けて、とリゼルヴィンは溜め息と共に促し、ニコラスもあえて深く追求せず、話に戻る。


「内乱の制圧が終わって、必死に働いたよ。どうすれば飢えがなくなるか。どうすれば民の生活が豊かになるか。考えて考えて、寝る間も惜しんで考えた。でも、僕にはいい案が思いつかなかった。つくづく王に向いていないと、正直少し落ち込んだ」


 そんなときに、エグランティーヌが提案した政策を実行すると、瞬く間にエンジットはかつての豊かさを取り戻し、民もそれまでの不満が嘘のように解消され、市場は賑わった。

 エグランティーヌは言った。「あくまで自分は提案しただけで、それを採用なさったニコラス陛下が最も賢明だったのです」と。

 そう言うエグランティーヌの表情は気高く、金髪も碧眼も持たないというのに、彼女こそが『黄金の獅子』だと、脳で理解するよりも早く心で理解した。


 エグランティーヌこそが、王に相応しい。だが金髪も碧眼もないエグランティーヌが王位を得るのは大変なことだ。


 二年。二年もかけて、ニコラスはエグランティーヌだけが王位継承権を持つよう、陰で動き続けてきた。

 幸運なことに、シェルナンドが生きていた頃に、アンジェリカはヴェレフへ、エグランティーヌは国内のアダムチーク侯爵家に嫁がされていた。アンジェリカが他国へ嫁いでくれていたのは計画を進めやすい。すでに王位継承権を返上した、ということだからだ。


 問題は他者の目の前に出ることのない、第三王女ジルヴェンヴォードだった。

 ジルヴェンヴォードは表に出されることがなく、どこかで隠れて暮らしていた。その居場所は亡き先王シェルナンドしか知らず、ジルヴェンヴォードを探し出せなかったニコラスは、身代わりを立てることにした。エグランティーヌのみが国に残っている、すなわち王位継承権を保持しているのはエグランティーヌだけだと誰にでもわかるようにしてあった。そして身代わりのジルヴェンヴォードをも嫁がせることで、まだ一人残っている、という淡い期待を抱かせないようにする。


 ニコラスの計画は穴だらけで、あまりに短慮なものだった。

 けれど幸運にも、誰にも邪魔されず、思惑通りにエグランティーヌが女王になる。エンジットの頂点に立つ。

 これまでの努力が報われて、ニコラスはこれ以上なく幸せだ。


「エーラが一番嫌がることをさせてしまう。僕だって妹が嫌がることはさせたくない。けれど、仕方ないんだ。僕でも、アンジェでも、ジルでもなく、エーラこそが女王になるべきだ。彼女の頭脳は素晴らしい。そして、国と民を一番に考えられる。きっと父上のように、賢王と呼ばれるようになる」


 ニコラスは最後にそう言って、口を閉じた。これ以上を話す気はないらしい。

 そうなれば次はリゼルヴィンの番だが、リゼルヴィンは少しの間、何かを考えているような様子を見せ、溜め息を吐いた。


 嘘と諦めで成り立つ国。リゼルヴィンがそう呟いたのを、ニコラスは聞き逃さなかった。

 的確な表現だ。エンジットというこの国――ニコラスの治めていた国は、何かを隠すために嘘を吐き、何かを諦めることで何かを得て今日この日まで進んできたのだ。


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