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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
31/131

5-3

 王城はいつもと何も変わらず、人が動き、昨日のことなどまるでなかったかのようだ。

 ニコラスは抵抗もせず大人しく地下牢に連れられていたが、王が自室にいないことを怪訝に思う者もいない。エグランティーヌの一言で、誰もニコラスを気にしなくなったのだ。

 身分や今までの実績のおかげで自分がそれなりの発言力を持っているとは自覚していたが、これではまるでリゼルヴィンの魔法ではないか、とエグランティーヌは思う。


 それが、本当にリゼルヴィンの魔法であると気付いたのは、ちょっとしたことで汚してしまった服を脱ぎ、鏡の前で背中から左肩、心臓のあたりまで伸びた奇妙な模様を見つけてからだった。


 その模様がどういうものなのか、エグランティーヌは知らない。

 知らないが、予想はつく。リゼルヴィンとの契約で現れたものだ。


 リゼルヴィンとの間に、他者には入り込めない繋がりが出来たようで、エグランティーヌは少しだけ嬉しく思った。同時に、自分は追い込まれてしまったのではないか、と思う。リゼルヴィンの企む何かに、もうすでに引き返せないほど深く関わってしまったのではないか、と。


 とにかく新たな王が立つまでは、自分がなんとか国を支えなければならない。普段よりも気を引き締め、エグランティーヌはリゼルヴィンとグロリアが来るのを待った。まずは彼女らに昨日の出来事を消してもらわねばならない。

 国王の急病を報せる嘘の文書を書きながら二人を待っていると、リゼルヴィンが先にやってきて、開口一番こう言った。


「嘘はね、一つ吐けば、矛盾を誤魔化すためにまた別の嘘を吐かなきゃならなくなるのよ」


 挨拶もなくそう言ったリゼルヴィンの表情は特に変化もなく、普段の何を考えているのかわからない笑みだった。

 それきり口を開くこともなくなって、エグランティーヌの部屋で、エグランティーヌをただ眺めながら壁に背を預けて立っていた。

 なんとなく気まずい空気が充満し、エグランティーヌは窓でも開けたくなる。


 そこへやってきたグロリアも、普段と何も変わらない。相変わらず顔を隠し、酷い猫背を装っている。実はエグランティーヌもグロリアの素顔を見たのは、昨日が初めてだった。まさかこのグロリアがクヴェートの者だとは思ってもなく、リゼルヴィンによって気絶させられたグロリアの顔をまじまじと見つめてしまい、リゼルヴィンに苦笑されてしまった。


 数人に魔法をかけるのではなく、国全体に魔法をかけるとなれば、流石のこの二人でも簡単にはいかない。強力な魔法を発動させるための魔法陣を描く必要があり、それを描くためには広い場所がなくてはならない。

 エグランティーヌは二人を玉座の間に連れ、人払いした。他に必要なものはあるか尋ねたが、二人とも首を横に振り、エグランティーヌも部屋の外に出るよう言う。少し残念にも思ったが、エグランティーヌは言われた通りに部屋を出た。魔法について詳しくもないのだから、その道に精通した二人に任せた方がいい。


 今は自分に出来ることをやっておこうと、エグランティーヌは自室に戻った。

 その足音が遠くなったのを確認して、リゼルヴィンは口を開く。


「本当、この国は嘘ばっかりね。もうどれが本当なのかわからないわ。近年国が吐いた嘘の大半は、あなたのせいよ、グロリア」


 いつまでそうしているの、誰もいないわよ、と楽しげなリゼルヴィンの声に、グロリアは耐え切れない嫌悪を顔に浮かべながらフードを取り素の態度になる。

 何が楽しいのか、リゼルヴィンはただ笑んでいた。


「王に命じられれば従うのみ。お前のような不義の鳥と一緒にするな」

「あら、鳥の末裔だという自覚はあったのね。そろそろ世代交代かしら?」

「誰があんな家を継ぐか」


 目を合わせることすらも嫌だ、といった様子で、グロリアはエグランティーヌが置いて行った国民全員の戸籍の写しをぱらぱらとめくる。

 グロリアは三年前も同じように、この魔法を使った。手順はよく覚えているが、何分今回は不本意ながらリゼルヴィンと共に発動しなければならない。手順を多少変えなければならないということで、採用したのがこの戸籍を使う方法だった。


 対象の名がなければ、リゼルヴィンの魔法を人間相手に使うことは出来ない。名さえわかればどんな魔法も簡単に使えるのだが、反対に、名を知らなければ何も出来ないのだ。

 グロリアは違う。名など必要ない。記憶を改竄する場合は、対象を絞り、誰か一人の記憶を書き換えてしまえば、あとは自動的にその他の対象の記憶も同じように書き換えられる。

 戸籍さえあれば名が手に入る。幸い、リゼルヴィンがその名を知っていなくても、本来の魔力を取り戻した今のリゼルヴィンの魔力に名が触れさえすれば発動出来るというので、この方法で失敗することはないだろう。


「それじゃあ、準備を始めましょう」


 徐に、リゼルヴィンは自らの左腕をナイフで傷つけ始めた。血管を切るほど深く切り付け、床に血だまりが出来上がる。痛みを感じていないのかと思うほど、表情は変わらない。

 声にはせず、唇を動かすだけで何か短い言葉を発すると、歪な円の形をしていた血だまりが、まるでそこに溝があるかのように形を変えていく。時に細く、時に太く変形して、大きな魔法陣が描き出された。

 それが終わって、リゼルヴィンは傷を治癒した。一瞬で傷は塞がり、通常なら重度の貧血になるところ、リゼルヴィンはそんな素振りも見せない。

 グロリアは一連の流れをしっかりと見ていた。魔法陣に誤りがないことを確認し、そこへ指を切って自らの血液を一滴だけ混ぜる。


 体液は魔力を含んでいる。血液や精液はもちろん、唾液や汗にさえ魔力は含まれ、その含まれる量こそ違えど、今回のような強力な魔法を発動させる際には、よく発動する魔法使いの体液を使用する。今回はリゼルヴィンの高純度な魔力の含まれた血液を、魔法陣を描くほど多量に使用しているため、グロリアはごく少量で構わない。


 充満する甘い匂いに、グロリアは顔をしかめた。体液に含まれる魔力の純度が高ければ高いほど、その匂いは甘ったるいものになっていく。リゼルヴィンものは、普段嗅いでいるグロリア自身の匂いより断然甘く、少しでも油断してしまえば何もかもを忘れてこの血を啜ってしまいそうだ。純度の高すぎる魔力は、魔法使いを狂わせることも少なくない。


「お前はこの魔法陣から魔力がなくならないよう、ただ補充し続けていろ。俺が操る。無駄なことは絶対にするな」

「わかってるわよ。あなたの魔力がなくなったときも、言ってくれていいのよ。特別に魔力を分けてあげるわ」

「馬鹿にするのも大概にしろよ。この程度でなくなるようなら魔法使いにはなれていない」

「そう。ならいいわ。三年前は三日もかかったって聞いたから、一日で終わらせるのはつらいかしらと思っただけよ」


 口ではそんなことを言いながらも、リゼルヴィンは真面目に魔法陣に魔力を籠め始める。

 リゼルヴィンの近くの血液がぼんやりと発光し、その光が魔法陣全体に広がったとき、グロリアは魔法を発動させた。


「――『    』」


 聞いたこともない言葉を口にしたグロリアを、リゼルヴィンは手を休めないままじっと見つめた。


 グロリアの家系、クヴェート一族は、建国以来ずっと続く魔導師一族である。その魔法は一族の者だけが受け継ぐことになっているため、エンジットで最も使われている魔法式とはまったく異なった魔法式になっている。


 魔法式とは、呪文や魔法陣といったものや、魔導師自身が持つ魔力の仕組みのようなものをひとまとめにした名称で、何か強大な力で強制的に変えられることがなければ、生まれ持った魔法式は変わらない。

 ほとんどの場合、血筋で受け継がれる魔法式は、多少の違いはあってもほぼ同じものだ。血筋の中で初めに魔導師となった者は魔法式が完全ではなく、他の魔導師に魔法式を組んでもらうことが多いため、自然と皆似たような魔法式になっていくのだ。だからエンジットの魔導師は、得意不得意が分かれていても、皆同じ魔法を使えるのである。


 クヴェート一族は違った。一族の者だけに受け継いできたため、他とは変わった独自のものになっている。使う魔法もそれに合わせて違う組み方をされている。


 リゼルヴィンは前々からクヴェートの魔法に興味があった。グロリアは一族の中でも特に秀で、一般的な『魔導師』ではなく、更に力を持ったリゼルヴィンと同じ『魔法使い』と呼ばれるほどなのだ。クヴェート独自の魔法も自分が使いやすいように組み替えることもしている。これほど興味深いものはない、とリゼルヴィンは思っているのだ。


 リゼルヴィンもまた、独自の魔法式を持つ魔法使いだ。リゼルヴィンの一族の中で魔法を使えた者は皆『黒い鳥』であり、それ以外の者は血筋に魔導師がいない者を迎え入れているのもあって、独自の魔法式を持たない。だからといってエンジットで最も使われている魔法式に組み替えることも出来ない、たった一人だけの、固有の魔法式だ。生まれ持ち、絶対に組み替えられることのない、一種の呪いのような魔法式。


 だからこそリゼルヴィンはクヴェートの魔法式に興味がある。魔法全体に興味があるのもそうだが、長い時をかけて作り上げてきた魔法式が、どのようなものなのか知りたいのだ。


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