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予想以上に簡単に事が進んでいくことに、エグランティーヌは違和感を覚えていた。どうしても三つの区を乗っ取るくらいの人数しか集まらなかった。他の区から兵が寄越され、苦戦すると予測し私兵も用意していたのだが、そういったものが何もない。手放しで喜べるはずもなく、何か大きなことが起きるのではと怖くなる。
「エーラさま、ご報告が」
部下の一人である、屈強な男がエグランティーヌに近付いてそう言った。この男は、代々軍人を輩出してきた由緒ある貴族ながら、地位を捨ててでもエグランティーヌについていくと言って聞かなかった男だ。
この男に愛称で呼ばれることにまだ慣れない。身元が知られぬよう、愛称で呼ばせているが、彼も言い慣れないようだ。
「現在、王都全区の駐屯所が何者かに制圧されているようです。その者たちは民の集まりではあるようですが、漆黒の旗を掲げていることから、あのリゼルヴィンの差し向けた私兵ではないかと」
「リィゼルが……? 私が何をするかは彼女には言っていないのに。彼女に限ってたまたま、ということはありえない、被せたとしか……」
待てと頼んだのはエグランティーヌだ、雨が降れば動き出すことはよくわかっていた。だが、まさかこんなことをするとは思わなかった。リゼルヴィンがシェルナンドの治めたこの国を深く愛していることは、友人でなくとも理解するほどだった。自ら兵を挙げ、国を混乱に陥れようとはしないと思い込んでいた。
それが間違いだったと、気付く。きっとリゼルヴィンは許せなかったのだ。ニコラスが、シェルナンドの治めた国を傾けようとしていることが。
一週間、民衆の力を借りるために動きながら、ニコラスの行ってきた政治の詳細を調べつくした。いくらその下で働いていたとはいえ、同じ王族、兄妹だ。近くで働き、重要な仕事を多く任されるとその間に怪しい関係があると思われてしまう。更にはエグランティーヌは四大貴族であるアダムチーク侯爵家に降嫁した。四大貴族は直接政治に関わってはいけないという決まりのために、近頃は新入りと同じような仕事ばかりしていた。
故に、調べなおして、愕然とした。
国をあえて傾けようとしているとしか思えない数々の決定に、エグランティーヌは怒りすら湧かなかった。ただひたすら、ニコラスが何を考えているのかわからなかった。
その決定をしても急激に国が傾くことはなく、気付かれないほど徐々にそうなるように仕向けられているような、よく考えられているそれらに、何故今まで自分の目で確かめてこなかったのかと恥じた。このくらい、少し考えれば見抜くことが出来たはずだ。そして、止めることだって出来たはずだ。臣下として、それほどのことに進言せずにいるのは職務怠慢といっても過言ではない。それが許されなかったとしたら、あまり使いたくはないが妹の立場で言っていただろう。今更どうこう考えても、もう遅すぎるが。
「リィゼルなら……きっとこちらには手を出さない。確かな証拠はないけれど、リィゼルならきっと、私の考えを理解してくれる」
「ならば、このまま」
「このまま進んで、早く終わらせよう。こんなこと、長引かせるべきじゃない」
エグランティーヌは制圧し終わった駐屯所の所長に礼を言って、部下と共に外へ出ていた。部下はリゼルヴィンを信用出来ていないようだが、エグランティーヌは確信していた。リゼルヴィンは、きっと理解してくれると。だからこそ、自分に協力するようなことをしてくれているのだと。
用意していた馬に跨り、民衆には待機しておくよう言い、私兵だけを引き連れて王城へ馬を走らせる。私兵と言っても、エグランティーヌの私兵はたったの五十人だけだ。部下の男が危険を冒してまで連れてきたのは二十人。昨年縮小された騎士団からの流れ者たちで構成されており、誰もかれも戦闘に慣れている者だが、やはり数が少なすぎる。だが、エグランティーヌは勝つしかない。勝たなければ、この反乱に参加してくれた民衆や、この部下の男や、兵たちが罰せられてしまうかもしれない。それだけは避けなければならない道だ。
当然ながら、王城の門は閉じられていた。
使用人用の裏口に回り、そこにいた二人の門兵がこちらに気付くと、何も言わずにさっと開けてくれた。この二人もエグランティーヌは買収済みだった。案外、ニコラスの政治に不満を持っている者は多い。
今のエンジット国内の状況が近隣諸国に知れ渡れば、きっとジルヴェンヴォードのセリリカへの輿入れはなかったことになるだろう。セリリカの不興を買い、宣戦布告されてしまうかもしれない。それらの可能性も含めて考えて、エグランティーヌは動いている。ジルヴェンヴォードが国から出ることがないのなら、女王に。セリリカに宣戦布告されたのならば、受けて立とうと。
それがどれだけ難しいことかはわかっているつもりだ。だが、このままのエンジットでは駄目なのだ。腐りきってからでは遅い。
エグランティーヌは、何もかもをなげうってでも、守りたいと思ったものを守ろうと決めた。身分も何もいらない。そのためならば自分の命すら、差し出そうと。
ゆっくりと、しかし機敏に入り込んだ王城内は、拍子抜けするほど静かだった。まず、誰一人として見当たらない。それにより避けられないはずの戦闘はなく、不気味なほど静まり返っている廊下を、エグランティーヌたちは警戒しながら進む。
「エーラさま、あれを」
部下が指す方向に目をやると、そこには、廊下に倒れるように寝転がっている侍女の姿があった。
慌てて駆け寄り、息をしているか確認する。脈もしっかりしており、呼吸も落ち着いていた。
「眠っているだけ……?」
「こちらにも数人、同じような状態の人々が倒れております」
人が集まるところに近づくにつれ、倒れている人数が増えていく。
明らかに作業途中に倒れたとしか思えない者も多く、エグランティーヌは確信した。
これは、リゼルヴィンの仕業だ。
「……私は先に行く。皆は、どこかに意識のある者がいないか探してくれ。私は一人でも大丈夫そうだ」
「しかし」
「大丈夫、リゼルヴィンがいるなら、危険なことはない。リゼルヴィンこそが一番の危険なんだ、他の小さな危険なんて、あってないようなものだよ」
そう言って見せ、先へ足を進ませるものの、恐怖がないとは言い切れない。現に、足に力がしっかりと入らず、体が小さく震えている。
部下たちが見えなくなってから、エグランティーヌは一度その場にしゃがみ込んで自らの体をぎゅっと抱きしめた。
友人であるとはいえ、リゼルヴィンに恐怖してこなかったわけではない。むしろその逆だ。あまりに恐ろしいからこそ、仲良くし、その内面を知り、恐れるべき人格の持ち主ではないと確認することで安心していたのだ。あんなにも強いリゼルヴィンに、魔力を持たないエグランティーヌでも感じるほどの魔力の強さに、恐怖を抱かない者などそうそういない。
敵対していたとしたらどうすべきだろう。戦う術はない。こんな剣一本では、リゼルヴィンの前では赤子同然だ。抵抗すらも出来ないだろう。エグランティーヌが縋れるのは、リゼルヴィンの友人であるという、何よりも不確かで、何よりも強固な絆しかない。
友人なのだから、と自身を奮い立たせ、体に力を入れ、走り始める。早くニコラスを見つけなければ。今日一日で終わらせられれば、反乱が起きたなどと情報が知れ渡るのを食い止められる可能性が上がる。
私室にも執務室にもその姿はなかった。思い当たるところは地下の避難所だが、そこは中から鍵がかけられており、確かめることは出来なかった。
となれば、後は玉座の間だ。ニコラスはこういうとき、きっと玉座の間で待っているだろう。
その予測は、当たっていた。
「あら、思ったより遅かったわね、エーラ。先に叩かせてもらってるわよ」
ただ、最悪なことに、リゼルヴィンがグロリアとニコラス、二人と対峙していた。




