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ウェルヴィンキンズからリゼルヴィンがやってくる。どうやら王城へ向かうらしい。
どこから情報が漏れたのか、王都ではそう騒ぎになっていた。
夕方になって、森の方から馬車の音が聞こえてくると、住人たちは皆、家の中へ逃げ込んだ。まだ辺りは明るく、普段ならば市も開いている時間。遊び足りないと駄々をこねる子供の腕を、母親が引っ張っていく。
賑やかな王都は、まるでウェルヴィンキンズの街のように静まり返っていた。
リゼルヴィンを乗せた真っ黒な馬車が王城へ到着したのは、すっかり日が沈んでからのこと。
「久し振りだね、リゼルヴィン。急に来るなんて言い出すから、準備が大変だったよ」
王ニコラス自らの出迎えを、リゼルヴィンはさも当たり前のように受け入れた。挨拶もそこそこに、ニコラスが自分の執務室へリゼルヴィンを連れていく。向かい合って椅子に座ると、神妙な面持ちで口を開いた。
ニコラスから語られる話は、国を揺るがすものだった。
部屋には、二人の他に、リゼルヴィンについてきたジュリアーナと、真っ黒なマントに深くフードを被って顔を隠した王直属の有能な魔法使いである男、グロリアの四人しかいない。部屋は人払いをした上に、グロリアが魔法で部屋の外に話が漏れないようにしてあった。念のため扉の外で待機している護衛の者も、ウェルヴィンキンズに来ていたアルヴァー一人だ。
「それで、私に手を貸してほしいってことかしら」
「是非とも貸していただきたい。エンジット王国の平和のために」
リゼルヴィンが微笑みながら考える仕草をする。黒い手袋をした手を顎に当て、ニコラスから目を離す。その仕草は、断ることを前提にしているときの仕草だと、ニコラスは知っていた。
「……頼むよ。今、自由に動けるのは君だけなんだ。僕は君を最も信用しているんだよ」
溜め息交じりに肩をすくめて見せると、いらつきを隠そうともせず、リゼルヴィンが舌打ちした。
「そんな態度で他人にものを頼もうだなんて、王様は偉いのねえ」
「一国の王が、そう軽々と頭を下げるわけにはいかないんだよ。なあ、リゼルヴィン。本当なら僕だって地に這いつくばってでも頼みたいんだ。理解してくれ、――リース」
リゼルヴィンの愛称を口にした瞬間、ニコラスが勝ち誇った笑みを浮かべたのを、見逃さなかった。
リース、という愛称は可愛らしくて気に入っていない。
「……嫌な男。ずるい真似をしてくれるわね」
忌々しげに首輪に触れ、もう一度舌打ちした。
首輪をつけられたときの契約のせいで、ニコラスがその愛称で呼ぶと、リゼルヴィンは逆らえなくなってしまう。首輪はリゼルヴィンの力を抑制し、『王家の奴隷』になる誓いを示すもの。奴隷の持ち主であるニコラスが、リースと名を呼べば、奴隷はその命に従わねばならない。リゼルヴィンには、不愉快でたまらない話だ。
「こうでもしないと、君は僕の頼みを聞いてくれないじゃないか」
「国の暗い部分を見せられて、挙句それをなんとかしろって言われて、はいわかりましたと頷くほど、私は頭が悪くないのよ。失敗したら私の街がどうなるかわからないもの」
「でも、君は僕には逆らえない。頼んだよ」
「やればいいんでしょう、やれば。何があっても私の街に手を出さないと誓いなさい。毎度毎度こんな大変な仕事をさせられるんだから、それくらいは許されるんじゃなくって」
「もちろん。国王として、全力で君の街を守ると誓おう」
口元は笑みを浮かべていながらも、真剣な目をしたニコラスに、リゼルヴィンは溜め息を吐く。随分と厄介な男に信用されたものだ。そんな信用はいらなかった。
「腹違いとはいえ、妹が、殺されかけたんだ。国王としてより、兄として、なんとかしてもらいたいんだよ」
冷たくなった紅茶をすすりながら、リゼルヴィンはニコラスを見る。リゼルヴィンより深い溜め息を吐いたニコラスは、先程まで見せていた口元の笑みさえなく、疲れ切った様子で背もたれによりかかった。
一昨日の午後のこと。ニコラスの腹違いの妹、ジルヴェンヴォードが午後の紅茶を楽しんでいた際、突然意識を失った。共にいて同じものを飲んだジルヴェンヴォードの二人の姉、アンジェリカとエグランティーヌに異常はない。すぐに医者を呼び診せたところ、あまり強くない毒で、それも少量だったということで、一般的な、どこにでも出回っている解毒薬を飲ませると昨日の午後には目を覚ました。
調べたところ、ジルヴェンヴォードが使っていたカップと、一緒に出された菓子の一部に毒が盛られていたとわかった。最も疑うべきは、用意しその場にいた侍女二人だ。しかし、その侍女たちは長年王宮に仕えている侍女であり、最近の行動にも怪しいところがない。裏切りの容疑が掛けられた者を一時的に閉じ込めておく部屋に置いているものの、問い詰めてみても冷静にやっていないと主張しているという。
そうなれば、次に怪しいのはアンジェリカとエグランティーヌとなる。アンジェリカは数年前に隣国に嫁ぎ、エグランティーヌはエンジット王国で王家の次に力を持つ二大侯爵家の一つ、アダムチーク侯爵家に降嫁した。エンジットにいるエグランティーヌよりは、アンジェリカの方が疑わしい。
だが、菓子にも混ざっていたということで、あまり強く疑われることはなかった。華やかで純粋なアンジェリカと、厳粛で賢明なエグランティーヌの人柄もあるだろう。ニコラスも、二人を完全に疑うことはできなかった。
「疑ってはいるんでしょうけれど、甘いんでしょうね。未熟な証拠だわ」
「わかってる。厳しく調べるよう言ってはいるが、どうにも心の底では疑えないんだ。アンジェの嫁ぎ先との関係もいいし、エーラは今でも宮廷で政治に携わっている。どちらも疑おうと思えば疑えるが、決定打となるものがない」
「エグランティーヌの方は、あなたと同じ先王の正妃フロランスが母親だものね。余計疑えなくなるわね」
「ああ。アンジェはどうにか疑えても、エーラは駄目だな。……自分の未熟さが嫌になる」
この件は宮廷内でもごく一部の者しか知らない。表沙汰にしてしまうと厄介だ。特に、国外には絶対に知られないようにしなければ。
三人の王女が集まったのは、他国に嫁ぐことが決まったジルヴェンヴォードを祝うためだった。しかもその嫁ぎ先は、数年前までエンジットとあまり関係がよくなかったセリリカ公国。
エンジットの先王とセリリカの現公が、互いになんとかしたいと思っていたと国王同士が意気投合し、以前より関係はよくなったものの、あちらの宮廷内ではまだまだエンジットを受け入れた雰囲気ではないという。そこで、ジルヴェンヴォードをセリリカに嫁がせることで仲を深めることとなった。ジルヴェンヴォードの夫となるのはセリリカの次期公、つまりは現在の公の嫡男であり、その彼がまた気難しい性格だという。ジルヴェンヴォードの命が狙われたと知られたら、断られてしまうかもしれない恐れがあった。
「ジルヴェンヴォードをウェルヴィンキンズに寄越しなさい。私の街には誰も近付かないもの。誰も手を出せないはずよ」
「それじゃあ、国から反感を買ってしまうよ」
「私の街に、あなたのように演技の上手い、文字通り化けたみたいに化粧が得意な女がいるわ。丁度ジルヴェンヴォードと同じくらいの体格よ。エルっていうんだけど、あの子の化粧は一級品で、誰にでもなれるのよ。それこそ、家族に化けられたってわからないくらい。ジルヴェンヴォードは体が弱いでしょう。それに結婚間近と来たわ。結婚前の緊張で部屋に引きこもっていることにしておけば、大丈夫よ」
そんなもので誤魔化せるか、とニコラスは言うが、リゼルヴィンは大丈夫だと繰り返す。リゼルヴィンが大丈夫だと言って大丈夫でなかったことは、一度もない。けれど流石に、あのウェルヴィンキンズに王女が滞在していると知れたら、それこそ王家に冷たい目が向けられる。あの街とリゼルヴィンは、それほど不気味に思われているのだ。
「明後日、エルをこっちに寄越すわ。そのまま交代して馬車に乗せて。服も何もかもこっちで用意するから、エルに化粧をしてもらうだけでいいわ」
「……やはり駄目だ、賛同できない、と言ったら?」
「あなたと国を騙してでも連れてくるわ」
「……わかったよ。言われたとおりにする。絶対に、なんとかしてくれよ」
「私を誰だと思っているの。ウェルヴィンキンズの偉大なる魔法使いさまよ。あまり舐めないでくれるかしら」
不敵な笑みを浮かべて見せたリゼルヴィンに、ニコラスはまた溜息を吐いた。