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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
17/131

3-5

 部屋を出ていくシェルナンドをジュリアーナは止めなかった。止める余裕がなかった。体に合わないわけではないが、魔力があると言ってもないに等しいほど微弱なものだったジュリアーナに、シェルナンドの強力な魔力を抑える力はなかった。抑えることさえ出来れば馴染み、自分のものに出来るだろう。

 嘔吐感に苦しみながら、ジュリアーナはリゼルヴィンに救われた日のことを思い出す。


 母と二人閉じ込められた薄暗い牢は、古びた毛布一枚すら与えられず、体の内側から体温を奪うように寒かった。暖を取るものなど存在せず、野菜の切れ端が欠片ほどしか入っていない冷え切ったスープ一杯と、拳ほどの大きさのパンが一日一個の食事を母と二人で分け合う。二週間に一度、掃除のために他の牢に入れられ、それまでは垂れ流された糞尿の鼻が曲がりそうな匂いが充満していた。服は体を隠すのがやっとのぼろ布で、体は常に汚れていた。


 家畜にも劣る、地獄のような場所で過ごしたあの日々の苦痛に比べれば、体内で暴れまわる魔力の苦痛など、どうということもない。


 希望など存在せず、生きながらに心を殺されていったある日、母がジュリアーナを残して死んだ。悲しみはなく、涙は一滴も零れなかった。ただ、母の分も食事が取れる、と感じたのは覚えている。

 母はジュリアーナのことを愛していなかったが、憎んでもいなかった。ただただ哀れみ、態度だけは母親そのものを演じていた。ジュリアーナが望まれずに生まれたのと同じく、母もまた望まずにジュリアーナを生んだのだ。苦しみの種類は違えど、苦しいことに変わりはない。


 そんな母が死んで一週間後、リゼルヴィンがジュリアーナの前に現れた。

 これ以上なく汚れ、酷く臭うジュリアーナの頭を、リゼルヴィンは手が汚れることも気にせずにゆっくりと撫でた。慈しむようなその手つきに、ジュリアーナは最後にいつ流したかもわからない涙を流した。


 そしてそのまた一週間後、リゼルヴィンはジュリアーナを引き取り、屋敷に連れ帰り、風呂に入れて清潔な服と温かい食事を与えた。

 それまで希望すら抱くことを知らずに生きてきたジュリアーナにとって、希望というものの存在を教えたリゼルヴィンは、神以外の何者でもなくなった。


 すうっと、魔力が馴染んでいくのを感じる。リゼルヴィンのためならば、何度でも死ねる。二度と朝を迎えられなくても構わない。そういった想いが、シェルナンドに分け与えられた魔力を抑えつけ始めていた。


 すべてはリゼルヴィンのために。


 魔力が完全に馴染んでから、ジュリアーナは顔を洗い、血の付いた服から着替え、髪を結いなおした。右目はまだゴロゴロと落ち着かない気持ち悪さがあるため、包帯を巻いて押さえつける。


 部屋から出たジュリアーナは厨房へ向かい、ジルヴェンヴォードのための食事を受け取った。きっかり正午にジルヴェンヴォードの部屋の扉をノックし、食事を取らせる。

 ジュリアーナの右目を覆い隠す包帯に驚いたものの、ジルヴェンヴォードはジュリアーナに心配のまなざしを向けるだけだった。

 窓の外にしきりに目をやりながら、どこかそわそわと落ち着きのないジルヴェンヴォードを不思議に思ったが、気にするほどのことでもないとジュリアーナは判断し何も聞かなかった。


「あ、あの、ジュリアーナさん」


 ジュリアーナの首にある絞められた痕を見つけたときから、ジルヴェンヴォードはジュリアーナを恐れている。びくびくしながら声をかけてきたジルヴェンヴォードに、何の感情も滲ませず、はい、とだけ答える。


「リゼルヴィンさまは……その、今日、ご用事があるのですか?」

「ええ。本日はどうしても外せないご用事がありますので、屋敷に戻るのは夜分遅くになるそうです」

「そう、なの……。門のところに、リゼルヴィンさまと、住人のみなさんが集まっているのが、見えたから」

「この街にとっても大切な事柄ですので、有志でお手伝いに行っております。ジルヴェンヴォードさまも、お食事が終わりましたらすぐに支度を始めますのでよろしくお願いします」

「私も、なの?」

「ええ。ジルヴェンヴォードさまは不可欠の存在です」


 まさか自分も含まれているとは思っていなかったジルヴェンヴォードが目を丸くする。間抜けな表情だった。

 手が止まったジルヴェンヴォードに、お食事が冷めてしまいます、と言えば、慌てて食事を再開する。しかし、すぐに手を止めて、


「……どうしても、行かなきゃだめかしら」


 などと言い出したジルヴェンヴォードに、ジュリアーナは大げさに溜め息を吐いた。


「ジルヴェンヴォードさま、あなたさまはすでにエンジットを発ったことになっております。あなたさまの輿入れによってセリリカ公国との交流を深めようというときに、花嫁が暗殺されかけたなどと言って延期は出来ませんから。我が主さまの魔法で到着予定日にセリリカ公国の首都まで転移させることに決定しましたが、出来るだけ魔法を使わずに向かった方がいいに決まっています。主さまはあなたさまが少しでも早く出発することが出来るように動いているのです。早ければ本日、あなたさまを城へ帰すことが出来るでしょう。そのためにはあなたさまの協力も必要なのです。おわかりですか」


 心底呆れた風で一気に捲し立てたジュリアーナはもう一度溜め息を吐いて見せた。するとジルヴェンヴォードも反省したのか、小さくごめんなさい、と呟くようにして、またゆっくりと食事を口に運んだ。

 その姿から、反省はしているものの、不満を残していることは明らかだった。

 子供を相手にしているようで苛立ってくるものの、落ち着いた声で、出来るだけ怯えさせないよう、ジュリアーナにしては優しい声音になるよう努力して尋ねてみる。


「何か、残ってやりたいことでもありましたか」


 聞き入れてもらえる余地があるかもしれないと、ぱっと表情を明るくしてジルヴェンヴォードはジュリアーナを見た。弾んだ声で、「人が来るかもしれないの」と言う。


「お友達がね、様子を見に来てくれるって……。でも、この街はリゼルヴィンさまのものでしょう? リゼルヴィンさまの許可がなければ入れないっていうから、きっと会えないわって言ったのだけれど、絶対に会えるからって。私、嬉しくて……」


 いつの間に外と連絡を取っていたのか、問い詰めようかとも思ったがやめる。

 連絡を取っていたとして、今、リゼルヴィンは門の前にいる。余程のことがなければ街に入れはしないだろう。こっそり入ろうにも、首輪を外されたリゼルヴィンに気付かれないように入ることなど不可能だ。


「申し訳ありませんが、こちらの協力からしてもらいます。そのご友人がいらっしゃったら、また考えますので」

「……そう、ですよね。ありがとうございます、考えてくれて」


 しょんぼりと項垂れるジルヴェンヴォードはやはり子供にしか見えない。歳の近いジュリアーナとは大違いだ。

 食事を終え、すぐに支度を始めたジルヴェンヴォードは気落ちしたままだった。そんなにその友人と会えるのを楽しみにしていたのかと、あまりそういった楽しみを持つことがないジュリアーナは理解出来なかった。


 白い質素で上品な服に着替えたジルヴェンヴォードを部屋から連れ出し、ジュリアーナは廊下を歩く。

 一階に下り、ある扉の前で壁に掛けられた灯りを取り、そのロウソクに火をつける。ポケットから鍵を取り出し、扉の鍵を開けた。


 その扉は、地下へ続く階段への入り口だった。

 漂う薄気味悪さに怯えたジルヴェンヴォードが、階段を一段一段下りていくうちに、ジュリアーナの服をつまんでいた。あんなにジュリアーナを怖がっていたというのに、やはりこの娘は他人を恐れきることが出来ないようだ。その動作に気付きながら、ジュリアーナはあえて歩みを早める。


 突き当りの一際大きな扉の前で、ジュリアーナは灯りをジルヴェンヴォードに持たせた。

 ジュリアーナも、リゼルヴィンと一緒ではないときにこの部屋を訪れるのは初めてだった。出来れば入りたくもない部屋だが、ジルヴェンヴォードに見せなければならない。


 リゼルヴィンはこの部屋をジルヴェンヴォードに見せないつもりでいた。ジルヴェンヴォードに真実を知らせるのは他の手段を使うらしい。

 だが、ジュリアーナはあえて見せるべきだとリゼルヴィンに言った。あえて今この状況がどうして起きたのかを思い知らせることで、ジルヴェンヴォードに罪を自覚させるべきだ、と。

 リゼルヴィンは考える様子をした後、ジュリアーナに判断を任せた。見せるならば、すべてが終わった後に、リゼルヴィンと共に見せに来る予定だった。


 それはジュリアーナが無力に近かったからだ。ジュリアーナに何かあれば面倒なことになると、ジュリアーナもわかっていたため頷いた。

 だが、力を手に入れた今ならば、多少怪我をすることはあっても死ぬことはまずない。ならばリゼルヴィンが手を離せない今のうちに見せておいて、少しでもリゼルヴィンの仕事を減らした方がいいだろう。そう考えての行動だった。


 ゆっくりと、扉を開け放つ。


 部屋の中が見えた瞬間、ジルヴェンヴォードが甲高い悲鳴を上げた。

 正面にある横長のテーブルに並べられた、たくさんのある共通点を持った生首。並べる場所がなくなったのか、床にも置かれたそれらと、放り投げられたままの首のない体。老若男女さまざまなそれらがテーブルの周りに積まれているという、異様な光景が広がっている。臭いがなく、それらの死体がまるで生きたまま持ってきたかのように綺麗な状態であるという違和感が、更に不気味さを盛り立てていた。


「これらは、主さまがこの一週間で集めたコレクションです。――あなたさまそっくりでしょう?」


 ジュリアーナの言葉に、ジルヴェンヴォードは声も出せなくなって、腰を抜かした。落としたロウソクの火は不思議とどこにも燃え移らず、倒れてもゆらゆらと炎が揺れている。


 その生首たちは、多少色味の違いはあれど、どれもこれも金髪碧眼という見た目のものだった。


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