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その日の正午頃、ついに雨が降り始めた。さらさらと、まだ細い雨だ。
リゼルヴィンは戦いを望むウェルヴィンキンズの住人を門の前に集め、意思を確認する。
「嫌だって人は帰っていいわよ。無理についてきなさいとは言わないわ」
そう声をかけるものの、集団から抜ける者は一人もいなかった。
老若男女様々な三百ほどの住人が、リゼルヴィンと共に行くことを望んでいた。その中には、リズはもちろん、ギルグッドもいる。リゼルヴィンの屋敷で働く侍女も従者もいたが、そこにジュリアーナはいない。
「一班はまずカーロ区、その後エンニ区へ。指揮はセブリアン、補佐はイグール。二班はミレーシア区からのレヴル区。指揮、アリスティド。ちょっと大変かとは思うけれど、補佐はルーツちゃんにお願いするわ。三班は……」
四つの班に分け指示をするリゼルヴィンは生き生きとしていた。
王都には十二の区がある。集まった者たちを四つの班に分けたのは、それぞれの区に設置された警察駐屯所をまず破壊するためだ。先王シェルナンドのおかげでここ数年ぐんと力をつけてきた警察庁は、軍事庁と協力し、駐屯所を配置した。よって、駐屯所には警察だけでなく軍人もいる。王城に攻め込む前に邪魔が入らぬよう、先に潰しておいた方がいい。
「リズとキャロルは私と一緒に王城へ。みんな、わかったかしら」
住人たちは頷き、各々武器を握りしめた。剣を持つ者、ナイフを持つ者、銃を持つ者など、愛用している武器を持ってきている。
「最後は必ず私が勝つわ。どんな不測の事態が起ころうと、どんな致命傷を負おうと、私と私の街の大切なあなたたちが、絶対に勝つのよ!」
自信たっぷりに微笑むリゼルヴィンに、住人はわっと盛り上がった。
『ウェルヴィンキンズ』は『狂った者たち』という意味を持つ。
その通りだと、リズは思う。住人たちもまた、皆がそう思っていた。
自分たちは死の恐怖すらも楽しんでいるのだ。それを人は『狂っている』というのだろう。
だがそれでいい。この街ではそれが当たり前だ。リゼルヴィンが許してくれている。だから、誰も常識を取り戻そうとはしない。
これから犯す大犯罪も、リゼルヴィンが許したのだから気に留めることもない。神に罰が与えられる、と恐れることもない。
住人たちにとって絶対的な存在は、王でも神でもなく、リゼルヴィンという女なのだ。
「さあ、いってらっしゃい、私の街の大切な住人たち。勇ましき狂った兵士たち」
転移魔法で班ごとに瞬時に移動させ、残ったのはリゼルヴィンと行動を共にするリズとキャロルのみ。
昼間というのに辺りは暗い。雨は先程より少し強まったようだ。
「私たちも行きましょうか。まずは、王女を騙る娘の元へ罰を与えに。そして、本当の王女さまをお迎えに上がりに。――ああ、でも、お客さまの相手をする方が先ね」
リゼルヴィンは門の鍵を片手で簡単に壊し、門を開け放つ。
瞬間、二本のナイフが放たれた。
しかし、それらはリゼルヴィンの顔の、ほんの爪の先ほどの宙で止まる。
「いい挨拶だわ。でもね、この私に、そんなの通じないわよ」
ぱちりとリゼルヴィンが左目を閉じると、ナイフは二本とも霧散した。だが、リゼルヴィンの左目から、血が流れる。
そのナイフには、魔法がかけられていた。
大したダメージではないため、気にしないでおくことも出来るが、リゼルヴィンは興味を持った。左目のダメージを解析すると、リゼルヴィンの知らない魔法だと判明する。
面白い。
リゼルヴィンはすぐに左目に治癒を施すと、ナイフを投げた人物を森の中から魔法で探し出す。見つけた、と呟いて、左手で宙を掴み、左腕を勢いよく引いて、その人物を引きずり出した。
「アルヴァー=モーリス=トナー。こんなところで何をしているのかしら」
地面に叩き付けられたその人物を見下しながら、リゼルヴィンは問う。
「あなたに、用はない」
「あらそう。私は何をしているのか訊いたのよ」
一応は加減をしたからか、アルヴァーは少し咳き込んだだけですぐに立ち上がった。敵意がむき出しのその目に、リズがリゼルヴィンを庇うように立つ。
アルヴァーは懐から二本、先程と同じ大きさのナイフを取り出した。げっ、と武器らしい武器を持たないリズは渋々持っていた刃物――大きめの裁ち鋏を手にし、嫌そうな顔をした。流石にこの鋏では、ナイフなんかに勝てるかは微妙なところだ。それでもまあ、身を挺して守るくらいは出来るだろう。リズはとにかく自分が死んででもリゼルヴィンは守るべきだと判断した。
ふと、リゼルヴィンが屋敷の方向に目をやって、溜め息を吐く。
「……ジュリアーナが、動いたわね」
「それはそれは……。主さま、私が彼女を見に行きましょうか」
「お願いするわ、キャロル。予定が変わってしまうけれど、仕方ないわねえ。ジュリアーナを守ってあげて。あの子は私の大切な人だから」
「ええ、このキャロル=ギルグッドが命に代えてでも」
後で追うわ。そう言ってギルグッドを屋敷へ転移させ、リゼルヴィンもアルヴァーへ向かう。
ゆっくりと話を聞くつもりはなかったが、少し遊んでやろうとは思っていた。しかしジュリアーナが動いたとなれば、そんな時間もない。
さっさと目的を吐かせて次の行動に移ろう。
こういうとき、他者の意思を読み取る魔法が使えたら便利だろうとは思うが、それはどんな魔法も軽々と使いこなしてしまうリゼルヴィンの唯一不得意な魔法である。魔法をなしにしても他者の心を読み取ることが苦手なのだから、もう苦手は苦手として、力技で聞き出すしかない。
それに、だ。アルヴァーから魔力は感じられないのに、先程のナイフには確かに魔法がかけられていた。リゼルヴィンの知らない魔法だなど、興味が湧くに決まっている。
「リズ、そんなので大丈夫なの?」
「大丈夫に見えたらあなたは本当に素晴らしい人ですよ、主さま」
「素直に言ってくれたらすぐに用意するのに。変に格好つけようとしたら、負けちゃうわよ」
「格好つけようなんて思ってませんよ。こんな素人みてーなのに負けませんし。本当にあなたは人を苛立たせるのがお上手だ」
「あら、褒められちゃった」
「ほんと死ねよ我が主。……おっと」
アルヴァーを前にしながらも、平然と普段通りの会話をする二人にしびれを切らしたアルヴァーがナイフを一本投げつけると、リズは軽々と鋏でそれを叩き落とす。
が、やはりバチッと激しい音を立てて、リズの右手に衝撃が走る。雷に打たれたようなその痛みに顔を歪めると、リゼルヴィンは興味津々といった様子でリズの手に触れた。落としてしまった鋏はまだ電気を帯び、バチバチ音を立てていた。
「どうです、仕組み、わかりました?」
「うーん……駄目ね。さっぱりだわ!」
呆れるほど爽やかな笑みを浮かべてこちらを見るリゼルヴィンに、リズは本気で契約を解除しようかと悩む。右手にぐっと力を入れてみて、痛みはあるが動くのでよしとし、鋏を拾い上げてリゼルヴィンを後ろに下がらせた。期待よりリズにダメージを与えられなかったのか、アルヴァーはその顔を緊張で更にこわばらせる。恐怖が混ざったのも見逃さない。
何の細工かは知らないが、この程度ならいくら食らっても大丈夫だろう。
リゼルヴィンがぶつぶつ何かを呟き、リズの鋏にアルヴァーのナイフから移ったものではない電流が流れる。振り向いてみれば、得意げなリゼルヴィンの笑顔が。苛立ちが増したがなんとか自分を落ち着かせ、一度鋏を振ってみる。使い手がしびれることはないらしい。
「言っておくけれど、リズはこの街でも一番か二番か、それくらい強いから気を付けてね。普段は裁縫店なんて可愛らしいことをしているくせに、戦闘力だけは高いんだから」
リゼルヴィンの言葉に、アルヴァーがぐっと息を飲むのが見えた。対して、リズは抑えきれなくなりそうな苛立ちをアルヴァーに向ける。さっさと終わらせて、リゼルヴィンを一発殴ってやりたかった。
一歩、アルヴァーが足を踏み出す。
それに合わせてリズもアルヴァーに駆け寄る。手に持ったナイフをはじき飛ばしてやると、驚愕がアルヴァーの顔に浮かんだが、すぐにまた新たなナイフを取り出し、リズに突き出した。軽々と避けそれもはじいてやろうとするが、ナイフと鋏とがぶつかって火花が散る。競り合いが始まり、ギチギチと嫌な音がした。
攻防を繰り返しながら、リズは着実にアルヴァーの隠し持つナイフの数を減らしていった。どこに持っているのか、いくつ持っているかもわからないものだからとにかくはじき飛ばしていってしばらく、とうとう最後の一本をはじくことに成功した。
だが、アルヴァーも諦めない。地面に落ちたナイフを拾い上げながら、そのナイフにかけられた魔法でリズの体に傷を増やしていく。
そのナイフはなかなか面白いものだった。二人の戦いを眺めながら、リゼルヴィンはナイフの魔法を解除しようと観察を続けていた。
あるナイフは振りかざすと風の刃が生み出され、あるナイフは鋏とぶつかった瞬間に炎を纏った。
すべて鋏にかけられたリゼルヴィンの魔法にある程度威力をそがれていたが、それでもリズの右腕は傷だらけになっていく。
魔法自体の再現は出来るだろうが、かけ方も、魔法から感じられる魔力も、今までに見たことのないものだ。完全な再現はリゼルヴィンには不可能だろう。アルヴァーをここで殺すには惜しい。この魔法を一体誰にかけてもらったのか、ゆっくりと聞き出したい。
そう、のんきに考えながら、そろそろ終わらせようとリズへ言葉をかけようとしたそのとき。
「リゼルっ!」
「……ミランダ? どうしてここに」
訪れるはずのないミランダが、息を切らせて姿を現した。
嫌な予感に眉を寄せると、転んだのかあちこち汚れているミランダがリゼルヴィンに縋り付くように抱きついた。
リズはこちらの異常を気にしたようだが、攻撃を続けるアルヴァーから手を離せない。
「たっ、助けてくれっ! あいつが、あいつが私のとこに……!」
ミランダの目に浮かぶ恐怖と絶望に、リゼルヴィンはただならぬ事態を悟った。