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エグランティーヌ=ルント=エンジット。
幼少期より他とは比べ物にならないほどの頭脳を持った、エンジット王国第二王女。
先王シェルナンドと王太后フロランスの間の子にして、深い茶色の髪を持つ女。
エグランティーヌはその容姿から、彼女が王位を継ぐことは決してないと言われ続けていた。群を抜いて優秀な頭脳も、博識からくるその言葉の重みも、女王となるにはこれ以上ないほど十分なものだ。しかし、エンジット王国は神話によって成り立つ国。金髪も、青い目すらも持たない者が王座に就いたことは一度もない。
だが、エグランティーヌの頭脳を易々と手放すのはあまりに惜しい。
故にシェルナンドはエグランティーヌを、行く行くは王の支えとなるよう臣下として育て上げた。エグランティーヌは王女として生活していたが、まるで王女に対する待遇ではなかった。兄である王太子ニコラスに妹として接すれば、シェルナンド自らが鞭を取った。
「常に国のためにあれ」
シェルナンドは何かにつけてそうエグランティーヌに言い聞かせた。フロランスもまたシェルナンドに従い、エグランティーヌへの態度を臣下へのそれとした。
ただ、何かの祭典のときだけは、エグランティーヌも王女として民に向かった。そのときだけ、わがままを言うことを許された。エグランティーヌがわがままを言うことは、一度もなかったが。
十を迎える頃にはもう、エグランティーヌは自身を王女だとは思っていなかった。王のために、民のために生まれたのだと認識し、仲良くしようと話しかけてくる姉の第一王女アンジェリカと距離を置き、勉学に励んだ。シェルナンドももう「常に国のためにあれ」とは言わなくなった。その言葉がエグランティーヌに深く刻まれたと知ってのことだろう。
エグランティーヌが臣下としての自分を崩すのは、アンジェリカだけが唯一だった。どんなに距離を置こうとも、アンジェリカは姉ぶってエグランティーヌに構った。
「命令よ、エーラ。わたくしをアンジェと呼んで。姉として接して」
そう、エグランティーヌに命じ、アンジェリカはエグランティーヌに家族というものを教えた。
命令という形ではあったが、物心ついたころにはすでに臣下として教育されていたエグランティーヌにとって、家族というものはどういう状況でどういうことをするのか、アンジェリカとのごっこ遊びのような関わりの中で学んでいった。
アンジェリカは人を惹き付ける。一言二言会話をすれば、誰もがアンジェリカの虜になる。
エグランティーヌはそんなアンジェリカに憧れを抱いていたし、他者を純粋に信じるアンジェリカが好きだった。
だから、まさかアンジェリカが妹のジルヴェンヴォードを殺そうとしたなど、信じたくなかったのだ。
重たい雲は太陽を隠し、今にも雨が降り出しそうだ。風も強まってくる。フードが風に揺れ、ちらちらと仮面が見え隠れする。
「誇り高きエンジットの民よ! 今こそ悪に染まった王を倒すときである!」
エグランティーヌがそう声高く叫ぶと、広場に集まった民衆は熱狂した。
彼らが手に持つのは、思い思いの武器だった。剣や銃を持つ者はごく一部で、あとは農具や工具を握りしめている。
王都中の民とは言えないが、なんとか反乱のための人数は揃っているようだ。広場を見渡して、エグランティーヌは眉を寄せる。本来の計画ならば、もう少し集めるつもりだった。
戦闘に慣れていない民衆が出来ることなどたかが知れている。しかもこれから雨が降る。あまり期待は出来ないが、それでも宮廷を混乱させるには十分だろう。
何よりも、ニコラスを混乱させるには、反乱という行為だけで十二分に足りる。
三年前の反乱の惨さを、エグランティーヌは知らない。当時エグランティーヌはミハルと共に外交のため国外にいた。帰ろうにも国内の混乱のためなかなか帰れず、エグランティーヌがエンジットへ戻ったのは、すべてが終わった後だった。リゼルヴィンが何らかの活躍をしたとは耳にしたが、詳細を聞くことはミハルに止められてしまった。四大貴族は徹底して反乱の詳細を隠すことに決定し、いつしか反乱のことは誰も口にしなくなり、エグランティーヌも尋ねることをやめた。
それでも、反乱後のニコラスの変わりようといったら。
過剰に民を押さえつけ、過剰に民の顔色を伺い、不満を口にした者には必要以上の罰を与える。三年経った今こそ落ち着いてきたものの、当時はエグランティーヌの忠告も耳に入れず、愚王とすら呼ばれたものだ。
エグランティーヌはそれを利用としている。ニコラスがかつてのような行動を取ってくれさえすれば、国中が反ニコラスに傾くだろう。ニコラスがこれまでやってこられたのは、『黒い鳥』であるリゼルヴィンを従える程の力があると思わせてきたからだ。言ってしまえば、神話とリゼルヴィンがいなければ、絶対にやってこられなかったはずだ。
国中を味方にすれば、その後は。
そっと、エグランティーヌは王城の方向を見る。すでにこの地区の警察は買収済みだ。エグランティーヌが合図をすれば、民衆が警察官たちを縛り上げるふりをし、数人の警察官が王城へ助けを求めに馬を走らせる。
「我に続け! エンジットの民よ! 清き黄金の獅子の治世を取り戻すのだ! 穢れた獅子を倒そうではないか!」
ジルヴェンヴォードにエンジットを託そう。ジルヴェンヴォードがどうしても嫌だと言うのならば、アンジェリカでもいい。
新たな王を立て、神話に拘らない国に再建する。
エグランティーヌは剣を天に掲げた。その姿はとても臣下などではなく、民を導く王そのものであった。