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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
12/131

2-8

 そこは廊下よりもいっそう暗く、埃臭い部屋だった。


 扉を開けてまず目に入ってくるのは部屋に相応しく大きい暖炉。その上の壁の、布で隠された絵画のようなもの。暖炉の前には揺り椅子と、二人掛けのソファーが二つ。暖炉はもうずいぶん使われていないようだった。本がぎっしりと詰まった本棚や、二人同時に寝転んでもまだあまるのではと思う程の大きさのベッドがあり、決着がつく前に終わったままのチェス盤が乗ったテーブルセットがあったりするが、そのどれも埃が積もっている。

 人が掃除にすらも来ていない部屋だと一目でわかる。


 女の頭を軽く投げるように揺り椅子の上に置いて、リゼルヴィンは部屋を見回した。


「やっぱりちょっと移動させなきゃいけないわよね。リズ、扉の近くに居て」


 言われた通りにリズが移動したのを確認すると、リゼルヴィンはおもむろに左手の指をぽきぽきと鳴らした。


「さあ、動いてくれるかしら」


 そう言った途端、リゼルヴィンの周りの埃が舞った。

 直後、二つのソファーがほんの少しだけ浮き上がり、部屋の隅まで移動させられた。テーブルセットも本棚の前まで動かされ、埃はぱっと消えてしまう。暖炉の前には揺り椅子だけになる。

 派手さはないものの、それは確かにリゼルヴィンの魔法だった。


「無駄なことに魔法なんて使わないでくださいよ」


 誰かを呼んで動かさせたらよかったのに、と呆れて言うと、リゼルヴィンは得意げに、


「使える魔法は使っていた方がいいのよ。便利よね、魔法って」


 と、何の反省もなく笑った。

 リゼルヴィンが空中をなぞるように左手の指先を動かすと、触れた部分から木材で作られた重たそうな横長のテーブルが現れる。脚まで創りだされたのを見、今度はそのまま手首をくるりと回して真っ白な布を創り出した。ばさり、とその布をテーブルに被せ、中央に女の頭を揺り椅子から置き換えた。


「どうかしら。これでも無駄なことだと言う? こんなこと、人の手だとすぐには出来ないでしょう」


 得意げにこちらを見るリゼルヴィンに、リズは溜め息を吐きつつ歩み寄り、


「ワタシは魔法なんて使えないんで、すごいとは思いますけどねえ」


 肩の女の体をテーブルに叩き付け、大きな声でこう言った。


「体を置く場所はどこなんです!」


 しばし間をおいて、リゼルヴィンはたった今気付いたように間抜けな顔のまま、答える。


「考えてなかったわ……」





 アダムチーク侯爵家の街屋敷にて。

 一夜で自身の潔白を証明してみせたエグランティーヌは朝早くに王城を出、屋敷に還っていた。


 あまり目立たないよう控えめな格好をしたエグランティーヌは、夫であるミハル=アダムチークにすべてを話した。

 もちろん、濁した部分もある。ジルヴェンヴォード暗殺を企てたのはニコラスであり、実行犯はアンジェリカであり、協力者はあの四大貴族の一人、リゼルヴィンである、などということは一切隠した。だが、話せる範囲ですべてを話す。これから、自分が何をしようとしているかも。


 アダムチーク侯爵家もまた、四大貴族の一角を担っている。東の青い鳥の末裔で、『黎明』を司る。普段は主に貿易に関する仕事を行っており、国の政治方針に従って他国との交渉はアダムチークの役目だ。

 驚いたのは、四大貴族にもジルヴェンヴォード暗殺未遂が話されていなかったことだ。本当にニコラスは、リゼルヴィンだけを頼っていたということになる。


「それで、本当に行くんだね」

「……はい」

「そうか……。力になれなくて、申し訳ないよ」

「いえ、これはきっと、私が乗り越えなくてはならないことですから」


 ミハルはその人の良さそうな顔に困ったような緩い笑みを浮かべ、エグランティーヌを見つめる。


 エグランティーヌとミハルは七つ歳が違う。二十三歳のエグランティーヌと、三十歳のミハル。政略結婚の多い貴族の中には更に歳の差のある夫婦もいるのだから、このくらいの年の差は珍しくはない。あのリゼルヴィンも、夫とは六つ違いだったはずだ。

 妻であるエグランティーヌがアダムチークに降嫁すると決まった際、ミハルは信じられない思いでいっぱいだった。当時十九歳だったエグランティーヌは、その頃からすでに、母親であるフロランスによく似て厳粛な性格だと言われていた。どちらかというと気の弱い方であるミハルは、自分に厳しく他人にも厳しいらしいエグランティーヌと上手くやっていける自信がなかった。しかし、実際のエグランティーヌは、大人しく聡明で、良き妻であろうと様々な行動を取ってくれた。いつしかエグランティーヌはミハルにとってなくてはならない存在になっており、その支えなければミハルは今、アダムチーク侯爵家の当主ではなかったはずだ。


「僕は君のためなら、何でもするよ」


 口から零れたミハルのそんな言葉に、エグランティーヌはきょとんとした表情をする。


「君はいつも一人で背負いすぎなんだ。僕にも君を支えさせてほしい。君が僕を支えてくれるように」


 詳しいことは話してくれなかったが、エグランティーヌの覚悟から、何か大変なことをやろうとしているのはわかった。下手をすれば、エグランティーヌが殺される。

 ミハルの部屋を出るエグランティーヌの背中は、ぴんと伸ばされているが、華奢でどこか頼りなくも見える。その背中には重すぎるものを、エグランティーヌは背負おうとしていた。手を貸すことすらも許さない妻に、ミハルは寂しさのようなものを感じた。


「エーラ」


 では、と扉を閉めようとしたエグランティーヌを呼び止め、ミハルは喉元までせりあがってきた言葉を押さえつけ、優しく微笑んだ。


「いってらっしゃい。気を付けて」


 エグランティーヌは目を見開いたあと、少女のように顔を綻ばせ、


「いってきます。必ず、帰ってきます」


 そう返し、扉を閉めた。

 入れ替わりに執事を呼び、弟をここに連れてくるよう命じる。

 ミハルのその目にもう人の良さそうな色はなく、エグランティーヌと同じ強い意志を宿していた。





 エンジット王国王都、王城の一室にて。

 未だ潔白を証明出来ていないアンジェリカは、侍女を控えさせることもなく一人部屋にこもっていた。


 潔白ではないのだ、証明出来るはずもない。


 アンジェリカはこれまで何度も自白しようとした。そして、そのすべてに失敗した。

 罪を告白したかったが、口から言葉が出てこなかったのだ。自分がどれだけ卑しい人間が思い知らされる。罪が罰がと言っていながら、結局自分の身が大切なのだ。


 リゼルヴィンと話せてよかったと、今は思う。

 話せていなければ、きっとアンジェリカはまだ何も出来ていないままだったはずだ。いつ自分のやったことが世間に知られてしまうか、と怯えながら、自白しようと何度も試みながら、それでも先へ進めず覚悟も決められないままだったはずだ。


 しかし、リゼルヴィンと話したことで、自白は出来ずとも、行動を起こすことは出来た。

 控えめなノックの音が部屋に響く。入室の許可を願う声は、待ち望んでいたその人の声だった。


「ああ、グロリア。来てくれたのですね」


 扉を開けて、死神を思わせる黒を身に纏った男を招き入れる。

 兄、ニコラスに従う魔導師の男。

 深く被ったフードで顔を隠しているグロリアは、リゼルヴィンと同じように常に黒を纏っている。背の高い男だが、猫背のおかげで不気味さが増し、リゼルヴィンからは『死神のよう』だと例えられ、なかなか的を射た表現だとアンジェリカは思っている。この男とアンジェリカは幼馴染とも言うべき関係にあった。エンジットに帰ってきて再会したグロリアはあまり変わっていなかった。


 部屋に入ったグロリアは、外で見せるような猫背にゆったりとした動きではなく、ぐっと背筋を伸ばしてスタスタと促してもいないのにソファーの方へ向かった。上品さの欠片もない動作で座り足を組む姿に、アンジェリカはやはり変わっていないなと懐かしさを感じる。


「この俺に頼みたいことがある、と」

「ええ。魔法が使えるあなたにしか出来ないことよ」

「ハッ、そんなもの、あのリゼルヴィンに頼めばいいだろう。俺より実力があると言いふらして回っているのはあの女だ」


 アンジェリカの言葉に鼻で笑ったグロリアは、向かい側のソファーに座ったアンジェリカを指さす。


「お前も、王族の血を引いている。それならばあの女を従えることが出来るだろう。あの女に命じ、富でも国でも世界でも手に入れればいい」


 人を馬鹿にした言葉使いに、アンジェリカは腹を立てることも眉を寄せることもしなかった。この男の性格は、よくわかっている。


「富も国も世界もいりません。わたくしは何もいらないわ。今ある身分だって、持っているものすべてだって捨てられる。だから、お願いだからわたくしの頼みを聞いて」

「甘やかされて育った王女サマがそんなこと出来るわけがないだろう。何もかも捨てられる覚悟があるのなら、俺が一番欲しいものを寄越せ」

「……あなたの欲しいものは、わかっているわ。それも用意してあります」


 グロリアが欲しているもの。それはグロリアの素を見ているアンジェリカだからこそわかったものだった。他人にはわからない、わかってもグロリアのことを馬鹿にするようなものだ。


「あなたの、姉のことでしょう?」


 グロリアは姿勢を直し、アンジェリカを見た。目は見えなくても、探るように見ているのだろうと想像がつく。

 正直に言ってしまえば、この男のことは苦手だ。どう相手をすればいいのか理解するのに、ずいぶんと時間がかかった。今でもたまにわからなくなる。

けれど、グロリアが自身の姉を求めていることは、すぐにわかった。


「……何故わかった」

「小さい頃、あなたのことが苦手だったからよ。どうにか弱みを握ってやろうと観察していたの。だから、あなたのお姉さまをどれだけ慕っているかもわかった。そして、失踪したと聞いたとき、あなたはお姉さまを探しているのではないかと思えたのよ」


 アンジェリカは、グロリアと再会したときに少しだけ話をして、彼の口から姉の話が出なかったことに違和感を感じたのだ。尋ねてもはぐらかされてしまい、これは何かあったのではと従者に調べさせたところ、グロリアの姉は丁度アンジェリカが国を出てしばらくしてから失踪したという。今はもう、死んだことになっているらしいとも。

 死んだなら死んだで、グロリアならはぐらかさずにはっきり死んだと告げるはずだ。グロリアは、姉が死んだなどという話は信じていないのだろう。彼はきっと、今でも姉を探しているはずだ。


 優秀な従者はアンジェリカが命じる前に、グロリアの姉についての情報を集められるだけ集めてきた。そこから、人探しとは悟られないようにゲームのようなふりをしてそれとなくエグランティーヌに協力してもらった。


「あなたのお姉さまがどこにいるのか、大まかな位置を、わたくしは知っているわ」

「……それに見合う働きはすると約束しよう。何をして欲しい」


 グロリアがフードを外す。

 そこから現れたのは、絡まることを知らないさらりとした白い長髪と、透き通るように白い肌、光の角度で赤くも見える瞳だった。

 相変わらず恐ろしく顔の整った男だ、とアンジェリカは感心しつつ、グロリアに命じる。


「国中に、ある噂を流してほしいの。誰もが不自然に思わないように」





 この日、エグランティーヌとアンジェリカは動き出した。

 エグランティーヌはその頭脳を駆使して。

 アンジェリカはその人を惹き付ける魅力を駆使して。


 ただ一人、ジルヴェンヴォードだけが、何も出来ずただ自分の不運を呪っていた。


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