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  作者: 小林マコト
第一部 愚王 
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1-1 ウェルヴィンキンズ

 エンジット王国の王都の北側に、誰も近付かない森がある。


 定期的に使われている形跡のある、苔の生えた石畳の道を辿り森の奥へ進むと、少し錆びついた、内側から大きな鍵が掛けられた頑丈な門が佇んでいる。門の向こうには、昼間だというのにしんと静まりかえった街が。

 街は石の壁で囲まれていた。一目見て受ける印象は、閉鎖的な街。

 その街は、ウェルヴィンキンズという。


「今日は嫌な天気ねえ」


 領主であるリゼルヴィン家の女主人は、屋敷の自室で窓を開けながら呟いた。

 曇りの多いこの辺りでは稀なほどの晴天。普通なら喜ぶはずのところを、リゼルヴィンはつまらなさそうに空を眺めていた。


「入っていいわよ、ジュリアーナ」


 背後の扉を見ることなく、扉の向こうに立つ使用人へリゼルヴィンが声をかけた。


「失礼いたします。王都より使いの方がいらしておりますが、門を開けていただいてもよろしいでしょうか」


 驚いた様子もなく、無駄のない動きで入ってきたジュリアーナ=フィアードは、軽く頭を下げてリゼルヴィンにそうたずねる。

 そうねえ、と窓から街の唯一の入り口である門を眺め、馬に乗っているらしき人間と、自らが雇っている門番を認め、口元に笑みを浮かべた。そして、ようやくジュリアーナに向き合う。


「もう開けたわ。すぐにこちらに来るでしょうから、あと二人メイドを起こして、一緒にお茶の支度をしていて」

「主さまのご支度は」

「自分でするわ」

「承知しました」


 ジュリアーナが部屋から出ると、リゼルヴィンは窓の外に視線を戻す。急に開いた鍵を見て、使いの者はさぞ驚いているだろうと想像し、


「今日はいい天気になりそうねえ」


 と先の呟きを訂正した。





「ようこそ、我がウェルヴィンキンズへ。領主のリゼルヴィンですわ」

「王都より王の使いとして参りました。アルヴァー=モーリス=トナーと申します。急な訪問、申し訳ありません」

「構わないわ。あなたが来ることは一昨日からわかっていたもの。連絡はなかったけれど。若いのねえ、あの男も自分で人を雇えるくらいの立場は持てたってことかしら」

「……魔法が使えるという話は、本当でしたか」


 アルヴァーが心底驚いたように呟いた言葉に、リゼルヴィンは微笑むことで肯定した。

 エンジット王国でリゼルヴィンの名を知らぬ者はいないというほど、このリゼルヴィンは有名だった。この国では珍しい魔法使いであり、没落寸前の子爵家をほんの数年で立て直した女。魔法の腕は素晴らしく、王にも信頼を置かれるほどの実力者であると。


 しかし、そんないい意味での有名さより、悪い意味での有名さの方が勝っているだろう。

 国民の多くはリゼルヴィンに恐れを抱き、子供が悪さをすれば「リゼルヴィンの女主人さまに連れて行ってもらうわよ」と母親が叱るほどである。リゼルヴィンの治めるウェルヴィンキンズは、先代が治めていたときより閉鎖的になり、近寄りがたい雰囲気を纏うようになった。国民も魔法の存在は認めており、王立の魔法学校も存在するが、国の歴史を見てもリゼルヴィンほど強力な魔法使いはいない。祖母が遠い異国の移民であることもあって、いつか国を乗っ取るか滅ぼすかするのではないかと噂されている。魔法使いは軽々と名前を教えてはいけない、と家名のリゼルヴィンだけを名乗り、滅多なことがない限り喪服を身に纏っていることから、魔女と指差されることも多い。


 そして何より、この国の神話のために恐れられていた。

 この国の者なら子供でも知っているであろう、『黒い鳥』の神話。

 かつてこの地に降り立った神の使いである、黄金のたてがみと青い瞳の獅子が国を作ったのが我が国、エンジット王国であるという。

 戦乱に巻き込まれ焼けたこの地を繁栄させ、獅子は国を守護する四羽の鳥を四方それぞれから呼び寄せて各方角を守らせた。


 東の青い鳥、西の赤い鳥、南の白い鳥、北の黒い鳥。


 あるとき、黒い鳥が獅子に刃向かい、獅子はそれに激怒し黒い鳥を噛み殺しその一族を根絶やしにしてしまった。獅子は開いた穴を埋めるために紫の鳥を呼び寄せ、北を守らせた。しかし、地にしみついた黒い鳥の血が紫の鳥を呪ったという。

 獅子は鳥たちがそれぞれ街を持ち国を支えるのを見届け、後にエンジット最初の王となる人間と同化し、以来王族だけが金髪碧眼を持って生まれるようになった。鳥たちも獅子に倣い、各家の最初の当主と同化したが、鳥たちは獅子ほどの力を持っていなかったため、人間の色を変えることはなかったという。

 いつからか、その神話になぞらえて、こう言い伝えられるようになった。


『産まれてはならない黒い鳥。恐れるべき者であり、無視してはならない者。

 黒い鳥が己の不幸を呪ったとき、大きな力を持って王に反旗を翻す』


 当の本人は、根拠のない言い伝えである神話のことすらも、間違ったことではないからと何も言わないが。


「魔法が使えると言っても、今はそうそう大きな魔法は使えないから、安心なさって。この首輪のおかげで、王の許しがなくては本来の力を使えないのよ」


 リゼルヴィンの肯定に少しばかり警戒したアルヴァー。苦笑したリゼルヴィンは、自らの首元を見せた。一見ただの飾りに見える黒い首輪。右側の髪を上へやると、首輪には確かに王家の紋章が刻まれていた。


「この紋章、あんまり好きじゃないから隠してるの。嫌よねえ、お陰で左は切りそろえてるのに右はこうやって伸ばさなきゃいけないんだから。とっても格好悪い髪形でしょう。ああ、右も切ってしまいたいわ」

「いっそのこと、髪を伸ばしてしまえばいいのでは」

「それじゃあ、結い上げなきゃいけないときが来るでしょう? 結うのもあんまり好きじゃないの」


 噂通りの変わった女だ、とアルヴァーは思った。この国では、身分の高い女は皆そろって髪を伸ばす。短髪の貴族の女など見たことがない。ある女は顔と髪は女の命だと言っていたほどだ。それなのに、このリゼルヴィンは本気で切りたいと思っているらしい。


「どうせ貧相な体ですもの。魅力などないに等しいのだから、好きにした方が楽しいと、私は思うのよね」


 そう言って、リゼルヴィンはジュリアーナが淹れた紅茶を口にする。


「さて、そろそろ本題に入ってくれるかしら」


 リゼルヴィンの持つ不思議な空気にのまれていたアルヴァーは、はっと我に返って王に託された手紙を差し出す。あくまで王の個人的な手紙だというそれを、リゼルヴィンは受け取ろうとしなかった。


「なんなのかしらねえ。あの男は一体何を考えているのかしらねえ。個人的なものをわざわざ仰々しく『使い』として送ってくるなんてねえ。まったく、人の苦労を知らない人ねえ。適当に配達人に持ってこさせればいいのに」

「……しかし」

「人間は人間でしょう? 身分なんて本当は関係ないはずよ。ああ、嫌だわ。きっとこの手紙の中には、私以外には見せられないお話が書かれているのでしょうねえ。嫌だわあ」


 渋々といった様子で受け取ったリゼルヴィンは、言っていることと仕草とは裏腹に、とても楽しげな表情をしていた。

 リゼルヴィンが何も言わないうちに、ジュリアーナが鋏を差し出した。リゼルヴィンもその様子に満足そうに礼を言う。

 あまり丁寧とは言えない手つきで封を切り、その中身に目を通す。


 その間、アルヴァーはリゼルヴィンを噂と比べていた。

 確かに噂通り、屋敷内でも喪服だった。黒いヴェールの付いた帽子まで被る徹底ぶりだ。長袖からのびる手も黒い手袋で素肌が見えない。足元も、長いブーツでかくされていた。ブーツも同じく黒だった。上から下まで真っ黒で、やはりこの国では珍しい黒髪である。瞳は綺麗な琥珀色をしていて、リゼルヴィンの持つ色は、病的なまでの肌の白、全体を覆う黒、瞳の琥珀色しかない。アルヴァーは有名な童話に登場する若い悪の魔女を思い浮かべて、実在するならばこんな格好なのだろうと思った。


「見てても構わないけれど、見て得することなんて何もないわよ。この通り、出るところも出ていない、貴族とは到底思えない貧相な体だもの」

「……失礼しました」

「いいのよ。私はこれくらいで怒ったりしないわ」


 手紙を読み終わったらしいリゼルヴィンが目を細める。失礼なことをしてしまった、とアルヴァーは自分を恥じた。


「予想通り、私以外には見せられないような内容だったわ。あなた、これ、読んだ?」

「いえ、もちろん読んでいません」

「まあ、そうよねえ。内容は? 知ってる?」

「内容も、知りません」

「そう。あの男も徹底して隠したのかしらね。この手紙、他人には読まれないように魔法がかけられていたわ。私にとっては赤子の手を捻るよりも簡単な魔法だけれど、あの男、相当苦労してかけたはずよ。何重にもかけてかけて、私さえも開けられないようにしてあったわ。私には通用しないけれど」


 にやにやと笑いながら、リゼルヴィンは手紙を机の上に放り投げる。

 その拍子に、二つ折りにされていた便箋が開いてしまったが、その中は白紙にしか見えない。魔法がかけられている、というのは本当だと信じるしかなかった。


「明日の夜、そちらへ向かうと伝えてくれるかしら。そのときに詳しく話を聞くから、資料まとめて待ってなさいって。ああ、あと」


 リゼルヴィンの言葉をしっかりと記憶し、アルヴァーは屋敷を後にする。


「ウェルヴィンキンズじゃ、昼が夜なんだから、こんな時間に使いを送るなんて非常識なことは今後二度としないでちょうだい、とも伝えて」


 アルヴァーは、この街とその領主の奇特さを痛感した。


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