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古里 忍の日常

作者: 月森早紀

 私、古里忍はこれでもかとキーボードを打つ。画面の向こうにいるのは古い友人、鷹治美月。毎晩、美月とチャットをしてその日にあったいろいろなことを話すのが習慣である。

 私がカタカタキーボードを打っていると、隣の部屋からがちゃがちゃと騒がしい音がする。

 「ごめん、美月。あゆが騒いでるから連れてくるね。」

 「了解。あゆ、寂しがり屋だからね。抱っこしててあげるといいよ。」

 

 あゆとは私の飼っているペットのプレーリードック。見た目はカピバラみたいでとてもかわいらしい。

 名前をつけたのは妹なのだが、その由来は妹の敬愛する某歌手が魚が好きだと言う理由からだそうだ。某歌手が魚が好き、では魚の名前を、あゆなら人名っぽいなとなったそうだが、どうしてそうなったのだろう。

我が妹ながら名付けのセンスはよくわからない。


 なぜ私の飼っているペットの名前を付けたのが妹なのかと言うと、実は、あゆはもともと私が購入したのではないからである。

妹が「買っちゃった」と突然あゆを連れて来たのである。

そのあゆが、今、実家から遠く離れ一人暮らしをしている私の家にいるのには理由がある。

購入者である妹が一目ぼれをし、衝動買いをしたはいいが、すぐに飽きて飼いきれなくなったからだ。

 妹は昔から、こういうところがある。

自由人と言うか、傍若無人と言うか。とにかく自分の欲望のままに行動するのだ。

 とにかく、あゆは今や私の大事な家族となり、私と一緒に暮らしている私のもう一人の妹なのだ。


 そのあゆを抱いてPCの前に戻ると、画面には数字やアルファベットの羅列。

その羅列の最後には、美月が申し訳なさそうに「ごめんね、うちのえりんぎが」と記入されていた。

 えりんぎとは彼女の飼い猫。

よく、キーボードの上を歩き、PCに文字を打ち込んでくる。

きっとえりんぎも寂しいのだろう。

 にやにや笑っていると胸部に激しい痛みを覚えた。

あゆが私の胸にかみついたのだ!

 痛む胸を抑えながら美月にそれを伝えると「え?忍の胸を??噛むほどないだろう」と言う。

なんという失礼な友人だ。

人が肉体的に苦しんでいる時に精神的に追い詰めるとは、旧友のすることではないと思う。そのうえ、「乳を噛むとはなんと変態なプレーリーだ。これから乳噛みと呼ぶことにしよう。」と私の大切なあゆの名前を勝手に変えようとしている。

 私は痛みで薄れてゆく意識の中で、「あゆのことを乳噛みと呼んだら、私はえりんぎのことを椎茸って読んでやる!」と心に誓った。


 余談ではあるが、この時、この瞬間から、美月は本当にあゆのことを【乳噛み】と呼ぶようになった。

【今日は乳噛みは?】

【乳噛みご飯食べた?】

など、彼女の中ですっかりあゆの名前は乳噛みとなっていたのだ。

 私はと言うと、美月の猫を椎茸と呼ぼうと思ったはいいが、もとよりおかしな名前なのでダメージが少ないと判断し、今でもあゆのみょうちくりんなあだ名の仕返しをできないでいる。

 大体にして美月のネーミングセンスのおかしさにはだれもついていけないのだ。先日、新しく拾ったという猫は福袋と名付けられていたし、ほこりという鳥も飼っていた。美月の独特のネームセンスにはついていけないと思う。


 話が横にそれたが、私は痛む胸を抑えつつ話を続ける。

その間、あゆは私の膝でもぞもぞと自分の居場所を整えているのだが、それがまたキーボードを打ちにくくする。

しかし、居場所が定まったら定まったで、また厄介な問題が発生するのだ。

猫を飼っている人にはわかるかも知れないが、落ち着いているペットをどかすような非常な真似はあまりしたくないものだ。

そのため、じっと座っていることになり、トイレも行けず、最後には足もしびれてしまい立つのに苦労をする羽目になる。

 それをわかってはいるものの、かわいいあゆのため、私は毎晩、まんじりともせず、同じ体勢を保つのである。


 あゆを膝に乗せ、美月と会話を続ける。凝っている人形シリーズの新しいバージョンがでただの、どこぞの巨大オブジェが水着姿になっただの、私の妹が最近爬虫類にはまっているらしいだのそんなたわいもない会話ばかりだ。毎日の喧騒の中でほっと一息つける時間ともいえるかもしれない。


 ふっと私の足であゆが伸びをする。時計を見るともう、午前4時を指そうとしていた。私はPC画面の向こうにいる美月にお休みを言い、ケージにあゆを戻す。そうしてついでに、納豆と白ご飯を用意し小さなテーブルへ運ぶ。私は納豆ごはんが好きで、寝る前には必ずと言っていいほど納豆ご飯を食べる。

 茶碗一杯分食べたところで、お茶を飲み一息ついてから歯を磨き、茶碗を洗って布団に入る。その頃には時計はとうに4時半を指している。

 布団の中で、美月は毎日こんな時間まで起きていて大丈夫なのだろうか。そんなことを考えながら深い深い眠りに落ちてゆく。今日もいろいろなことがあった。生徒たちは相変わらず聞かん坊たちばかりだし、校舎長たちも偏屈爺ばっかりだ。起きたらまた、そいつらと戦わないければならない。力をつけるためにはしっかり眠らなければ…

 

 意識はそこで途切れ、起床するときには11時を回っていた。


 ケージをがたがたゆらして食事の催促をするあゆにおはようのあいさつをし、水とエサを与える。そうして私はざっと新聞に目を通し、コーヒーを飲み、あゆと少し遊んでから身支度をする。


 13時になると出勤の時間。あゆをケージに戻し、行ってくるよ、お利口で待っててねと言い残し、出勤。


 職場では生徒たちからの質問の受け答えに、同僚たちとの世間話、ほんのちょっとの校舎長からの説教。それらをさらりとかわし、時間になったら退社。


帰宅してあゆとひとしきり遊んだあとはシャワーを浴び、再びPCの前へ。

PCの向こう側には美月。

そうしてまた、長い夜が始まる。

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