木ノ下大歌舞伎「渡海屋」
木ノ下歌舞伎を入れるのは迷ったのですが、素晴らしい内容なので、入れることにしました。
いろんな人がいる。いろんな作品がある。そのことは素晴らしい。しかし、同時に難しくもある。
月曜日に観た木ノ下大歌舞伎、今年、観たお芝居の中でも一、二を争う素晴らしい出来だったが、感想を少し寝かせていた。
木ノ下歌舞伎は古典が好きな劇作家木ノ下裕一さんが基本的に有名な歌舞伎の脚本を骨格に、現代風の味つけにして、リ・クリエイトするものである。私は前に「黒塚」を観たことがある。
今回は「義経千本桜」の中の「渡海屋」というところのリ・クリエイトで楽しみにしていた。
キャストは9人だけなのだが、最初は「義経千本桜」に至るまでの、源平興亡の歴史を衣装などを替え、入れ替わり立ち替わり演じる。
ここの評価が難しく、私はこの辺が専門なので、細部までよく考えられた美事なものだと感嘆したが、難しい、よく分からないという人もいたと思う。
昔、一学年下の女の子が源平の話を延々と殺しあいが続いて、面白くないと言って、私を絶句させたことがあるが、それを思い出した。
また本当の「渡海屋」にはプレストーリーみたいなのが、無いので、どうするのか?と思ったが、中盤から木ノ下大歌舞伎版「渡海屋」が始まって、ホッとした。そして、素晴らしい中身だった。
「渡海屋」では平家滅亡のあと、平知盛が安徳帝を保護し、義経に復讐しようとしているのだが、知盛、安徳帝、弁慶、佐の局の役者が素晴らしかった。
特に知盛は本職の歌舞伎役者でも命がけのアクロバットがあり、演芸に詳しい人だと何と〇〇屋が知盛をやりましたとスポーツ新聞などで知るものである。それを二回やった。また安徳帝役の人は天皇独特の歌舞伎のしゃべり方があり、これが大事なキーになっていて、現代風にお芝居がなるのを一気に歌舞伎に引き戻したりする。その再現だけでも簡単なことではないのだが、美事にこなしていた。
大人数の歌舞伎を少人数のミニシアターお芝居にするので、キャストは役の中で死ぬと衣装を脱いで、袖に去る。安徳帝はクライマックス、その衣装を全て重ね着し、日の丸の国旗を羽織る。
これは私の妄想的解釈だが、それは日本の今に至るまでの歴史の中で権力闘争に敗れたものを表しているのだろう。
しかし、本当の「渡海屋」の中でも、知盛と義経は最後、安徳帝への忠誠という念で和解する。
夕刊か何かで読んだのだが、木ノ下裕一はこの作品を現代の争いに満ちた世界の中で、和解を描きたかったのだと言っていた。
その思いは私は受け止めたつもりだ。
今回は台詞や衣装はそこまで、作品の筋に関係なかった。(「黒塚」では魔性のものは歌舞伎の衣装と台詞、普通の人は現代風衣装と台詞だった。)音楽がわざと俗っぽいものばかりで、歌舞伎は通俗的なものだと訴えたいと狙っていると思った。千本桜、サザンのツナミ、イマジン、君が代、などが効果的に使われていた。
終わったあと、ロビーで木ノ下裕一さんと少し話したが、若いむすめちゃんで、あの魚屋さんは何故、義経を狙っていたのですか?(・・;)と聞いている人がいて、難しいと思った。
もとの歌舞伎を観ていないと分からないというのはどう評価したら、よいのだろうか?(・・;)




