月の入り江
お久し振りです。緋絽と申します。
遅くなりました……!
「お待ちしておりました。ハルキ殿」
微笑む薄紫の聖女様は、大変可愛らしい。
「…………」
何を返せばいいかわからず、仕方なく会釈をする。
なぜ呼び出されたのか。
それがわかるまでは、迂闊なことはできない。
「あまり固くならず。楽になさってください」
私を案内してから彼女の側に控えた、侍従と思われる人がソファを示してくれる。
あんまり固辞するのも機嫌を損ねかねない。
私は座ることにした。
ここまで来たら肚も据えよう。
何がなんでも、帰る。レオンのもとに。
無礼にも当たらない、しかし特に気に入られもしない絶妙な態度を取るんだ、私! 何それ難しい。
「は。あの……私にいったいどんな御用でしょうか?」
私の質問に、聖女様は困ったように笑う。
「御用、ということもないのですが……。すみません、お忙しかったですか?」
お忙しくないけども。困ったな。
「いえ。本日は陛下より休息のお時間を賜っておりますので、特には。ただ……、その、お初にお目通りさせていただきますので、何か御不興でも買ってしまったのかと……」
「えっ」
えっ?
さあっと血の気を引かした聖女に、私は首を傾げる。
しかし聖女様は慌てふためいて侍従の方を振り仰いだ。
「ランス、どうしましょう。そんな、怒ってるつもりじゃなかったのに。わたくし、そんなに不機嫌な顔をしていましたか!?」
そんな聖女に、ランスと呼ばれた侍従が眦を吊り上げる。
ランスさんは40歳くらいのおじさんだ。すこぶる整った顔というわけではないが、細身の長身で優雅な物腰が、どこか垢抜けた印象を受ける。
「だから申し上げたでしょう。初対面ですのに、自身より高位の方から声を掛けられたら、まず不手際を叱られると思いますよ。しかもあんなタイミングでなら、なおさらですよ。そもそもねえ、当日に呼び出すというのも非常識なんですよとあれほど!」
「いやーーーー! わたくしはお話ししたかっただけです! お説教は後にして下さい! 聞きたくありません!」
「逃げるな! 前もって根回しするということを、今日という今日は教え込んでやる!」
私はといえば、ぽかんと口を開けるしかなかった。
つまりなんだ。さっぱりわからん。
とりあえず、怒られるわけじゃないというのはわかった。あとなんとなく、男として気に入られた訳じゃないような気がする。
聖女様が想像していたより、お転婆でありそうということもわかった。
空咳をした聖女様が、私に向き直る。澄ました顔をしているが、ランスさんに散々物理的に攻撃を受けていたせいで髪がぼさぼさだ。
「失礼致しました。わたくし、当代の月の巫女のユーグと申します。貴女と、お会いしたかったのです。クラモチハルキさん」
えっと驚いた。
私はさっき、ハルキ・クラモチとこちらの名乗り方をした。
でも、彼女は。
「貴女は……」
ユーグさんは優しく微笑む。
「私は、貴女がこちらとは異なる世界から来たことを知っています」
混乱した。と同時に警戒した。
何故、知っているのか? まさか彼女が呼び出した?
無言でそれとなく相手の出方を伺ったつもりが、彼女はそんなシリアス味の空気をぶち壊した。
「あぁっそんな警戒なさらないで! わたくしは月の巫女で、だから知っているのですっ」
「ユーグ様。もう少し詳しくご説明差し上げないと、おわかりになれないと思いますケド」
「確かにそうですね」
ぽんぽんと続く会話はよく出来たコントのようだ。
幾度もこのやり取りがなされてきたのだろう。
ぽかんとしている私に、ランスさんが頭を下げる。
「主が失礼をいたしました。僭越ながら、私からご説明させていただきます」
「あ、はい」
「この国の月の信仰についてはご存知でしょうか?」
なんだそれは。まず、宗教という考え方がこの世界にあったことすら知らなかった。私自身も、宗教とは無縁の生活をしてきたから、気にも留めなかった。
首を傾げる私の様子に知らないということを読み取ったのか、ランスさんが説明してくれる。
「異世界から来たのでは仕方ありません。この世界では月が満ち欠けを繰り返します。そこから、転じて月は生死を繰り返す、輪廻転生を象徴するとして、信仰が生まれました。また、この国には、月の神より祝福を受けた男が魔力を得て、その力をもって魑魅魍魎を根絶やしにし、荒廃していた国を建て直したという建国神話がございます。それ故に、我が国では月は神聖なるものとして奉られているのです」
ほう。元の世界でも、月に不思議な力を見出だす考え方はあった。どうやらどの世界でも、月は神秘的に映るらしい。
「ーーーと、一般的には知られております」
ん?
「ここから先が、神殿の者と王族の方々のみが知り得る真実です」
それはつまり、一庶民たる私が、知っていいものではないのではないか。
あわてて耳を塞ごうとしたが、手遅れだった。こちらの躊躇など一切気付かぬ素振りで、ランスさんは淡々と続きを述べた。
「国祖に魔力を与えたとされる月の神は、異世界からの客人のことなのです。貴女と同じように」
「…………え?」
心の底から、驚いた。
ランスさん曰く、こうだ。
「過去、この国の歴史上に月の神は何度か降臨しておりますが、その度に、神殿でも生活する者が増えた記録が残っているのです。もちろん、実際に降臨された神を称える者が増え、神殿の神官や巫女も増えた、という見方もございますが。それにしては数も数人分程度と半端なのです。恐らくは、異世界の客人を、月の神として記録を残したのだと、私共は考えております」
私には、真偽などわからない。月の神が本当に異世界人だと断定するには、証拠も論拠も足りない。
だけど、月の神呼ばわりされても、困る。私には何もできない。
私は、呼ばれた理由を理解した。
過去の異世界人と同じように、この国に利益をもたらせと、言われるのだ。神殿に、入れと。
容姿を認められて神殿に入るより、より悪い。逃げられる可能性なんて、あるの? レオンの肩書きや身分でも、無理なんじゃないの?
蒼褪めた私の手を、柔らかで小さな手が包んだ。
いつの間にかユーグ様が、私の顔を窺い込んでいた。困ったような、笑顔を浮かべて。
「貴女が、どういった理屈でこちらの世界に参られたかは、わかりません。…………ですが、わたくしは、月の神はまだ天におわすと思っているのです」
意味がわからなくて首を傾げる私に、ユーグ様は聖女という名の通りの優しい声音で、告げた。
「神殿では、神は月の入り江にお住まいだと言われています。貴女は、その波間に、偶然拐われてしまっただけの、憐れな方なのです。何の力も振るえぬために、何も大事は成せぬような。ーーー貴女が望むなら、神殿は神の降臨を隠しましょう」
思わず、顔を上げた。
頭から、この国のために力を振るえと、言われるのだと構えていた。
けれど、ユーグ様は、逃げ道をくれているのだ。
「い、いいんですか」
「幸い、今は戦乱の世でもなく、国が乱れているわけでもございません。……もしそうであったとしても、異なる世界の方である貴女に、この世界の責任を取っていただくというのは、筋が通らぬお話ですもの」
ユーグ様の瞳は、青みがかった紫で、知的で優しげな光が宿っていた。深慮の姫巫女。頼りなげに見えていた容姿に、今はどこか気高さを感じる。
国を護る。その覚悟を持った声音。
「本当に、愚かなことです。初代の月の神はその寛大なお心からお力を授けてくださったに違いありません。しかし、わたくし達は、その後も神の力を分別なく借りて参りました。助けの手が差し伸べられるのを、当然のように享受した時代があったのも事実です。義務では、ないのです。神々の本当のお心は、誰にも聞かれずに、記録にも残っていない。それでは、いけないと、わたくしは思うのです。慈悲の心は、強制ではなく意志よりもたらされなくては」
これが、国を護る人。本当の、誇りある人なのか。すごい。
「わたくしが、貴女をお呼びしたのは、貴女には知り、選ぶ権利があると思ったからです。月の巫女は、神のお世話がお役目です。神殿での保護を求めるならばそのように。このままの生活をお望みになるならば、それも貴女の意に従いましょう」
それならば、私の意思はとっくに決まっている。一度もぶれたことなどない。
応えようとして、扉がノックされる。
「……どなたかしら? 今日はもう、面会の約束はないはずですけれど」
視線を受けたランスさんが扉に応対に行く。
何かやりとりがあった後、ランスさんだけが戻ってきた。
「騎士団二番隊隊長のレオン・カエンベルク様です。明日の任務について打ち合わせがあるため、伝令役をお返し願いたい、と」
風が、吹いた気がした。強く吹いて、引き寄せてくれるような、でも優しい南風のように暖かい。
「…………まあ。それは、大変なことですね」
ふふふと聖女様が微笑む。
安堵のあまり、私は詰めていた息を吐き出した。
そう。望みは決まっている。
あの人のそばに。居場所をくれた人のために、私は戻る。
「今のままを。騎士団の者として生きることを、望みます」
ユーグ様は微笑んで、跪いた。
「御心のままに」
私の去り際に、ユーグ様が真剣な顔でいった。
「今後何があろうと、貴女の思うままに動かれませ。貴女は不幸にも偶然が重なり、この世界に降り立っただけで、貴女が担うべき大きな役目や責任など、ありはしないのです。例えどんなことでも。贖うべきは、わたくし達なのです」
その怖いくらい重ねられた忠告は、私に不安を残した。
「ユーグ様……あの様な言い方では、正しく伝わらないのでは?」
「いいのです、ランス。星並びは必ず変わる。星詠みの結果は、断言してはいけないのです。たとえどんなに凶相でも」
聖女は、睫毛を伏せる。
聖女は、星を詠む力に長けていた。かつての巫女の中でも、一、二を争うだろう。だからこそ、歯痒かった。
そう、どれだけ未来を知る力があっても。伝えられないのでは、意味はない。これから何が起こるかわかっても、必ずその通りになるかは、この未来を知っている自分の行動一つで、呆気なく変わってしまう。
「お労しゅうございますな」
「…………本当に、ランスはこういうときばかり優しいのですから」
「…………………………。失礼致します」
むっとしたランスは姫巫女を抱き上げた。
幼い聖女は、そろそろ寝る時間だった。本来接触の許されない主だが、たまには運ぶという建前で甘やかす。それぐらい、この軽い少女には許されていい。
驚いたような声を上げた少女が、照れたように笑い、首に腕を回す。
「いい未来になってほしいですね、ランス」
「勿論でございます」
優しい未来になればいい。主の望む通りに。




