空気の変化
どうも。
緋絽と申します。
遅くなって申し訳ございません。
手元にある一口サイズの焼き菓子が詰め合わされた小袋を握りしめる。
巡回が終わったあと、ノックスもアルベルトも来客があると呼び出されていった。
さすが騎士。
この世界で言う公務員みたいなものだ。婚期間近の人達にモテモテなのだろう。
私のことなど言えないじゃないか。
小袋を握りしめ、そう現実逃避する。
そう、現実逃避だ。
これはキリカさんがあの後渡してくれたものの一つだ。
キリカさんは小袋ともう一つ、小さな貝の合わせのような形になっている容器をくれた。丁度手のひらに収まる大きさで、表面に綺麗な装飾が彫られている。
「助けてくださったお礼です。これは貴女に」
「なんですか、これ? 綺麗」
言いながら開けると、オレンジがかったピンク色の練り物のようなものが中に詰められていた。
「紅です」
「………………紅?」
「はい」
微笑むキリカさんをたっぷり10秒は声も出せずに見つめた。
紅ってなんだ。いや、女子力皆無の私でも流石に紅の存在くらいはわかる。口に塗ると色のつく、あれだ。
私が生涯手にすることはないと思っていた、お化粧品と言うやつだ。
女の子が女の武装をするために使うものだ。
確かに、最近はちょっと手を出してみたい気もしていた。恥ずかしくて誰にも言えなかったし、柄じゃないと突っ込まれるのも嫌だった。
だから、黙っていたのに。
「すみません。私の能力はご存知でしょう? 勝手にお気持ちを読み取ってしまいまして……これが、少しでも勇気を出す助けになればいいのですが」
「…………お、かしく、ないですか」
なんとかそれだけ押し出した私に、キリカさんは笑った。
「勿論。好きな男の人の目には、誰だって可愛く映りたいものです。こちらも、お裾分けしますから」
そう言って、小袋を渡し、キリカさんは去っていった。
かなりの間迷っていたが、私は立ち上がった。
ここまで背中を押されておいて、怖じ気付いて行動しないのは女じゃない。まして、漢ですらない。
行くぞ、私は行くぞ!
口紅を腰を引かしながらなんとか斑なく塗り、鏡をチェックする。
口紅を塗った自分は、普段はただの男だが、化粧した筋肉質な女くらいには見えた。色が派手じゃないおかけで、自然に見えるためだろう。
握りしめすぎて皺の寄ってしまった小袋を伸ばし、息を吐く。
緊張することない。
ありがとうと言って、渡してくればいい。
普段素直になれない分、ここで言っておく。そういう気分でいればいいのだ。
ノックをすると、すぐに入るように促された。
中に入ると、レオンは机の前で書類を処理していた。
「……この部屋、綺麗になったな」
最初は、すさまじく散らばっていたのに。
「しばらくロイが復帰できないからな。自分でやるしかない」
「そうじゃなくても自分でやれよな」
しまった。また可愛くないことを。
片眉を跳ねあげたレオンが手を休める。
「それで? 何の用だ」
真っ直ぐにその視線に射ぬかれると、思わず言葉に詰まった。
言え。言うだけだ。ありがとうって、言うだけだ。
「きょ、今日は、祭りの日らしいね」
「それがどうかしたか。…………ああそうか。そういえば、お前は初めてか。もうずっといる気がしていたから、説明するのを忘れていた」
ぐっ。だからそういうことを言うんじゃない。
だけど嬉しい。傍にいることを当たり前と思ってもらえること。それが、私はそこにいていいと言われているようで。
深く息を吐いた。
「これ、普段のお礼です。渡したかっただけだから。じゃ」
そして、机の端に置いてすぐに身を翻した。
言った、言ったぞ。なんだか足りない気もするが、言ってやった。私にしてはよくやった!
混乱の中、達成感と照れからくる恥ずかしさで頭をいっぱいにしながらドアノブを掴んだところで声がかかった。
「待て」
ピタリと体が止まる。
そうだった。所有の印で、今、仮契約してるから。
「戻れ」
やめてくれ! 一刻も早く逃げ帰りたいのに!
体が勝手にレオンの元へ戻る。
「…………そんな顔で、何処に行くつもりだ。とてもじゃないが、見せられんぞ」
「う、るさい! どうせひどい顔だよ!」
わかってる。顔が熱いから、きっと真っ赤なのだ。
こんな顔じゃ、どんなに鈍い人にだって何かがあったのだとばればれだろう。
どうして引き留めたりするんだ。冷却時間というものが必要なんだよ。
このデリカシー無男め!
といった風にぐるぐる考え込んでいたからか、すぐ隣にレオンが立ったことに気付くのに遅れてしまった。
首を持ち上げられ、目が合う。
「そうだ。だから、俺にしか見せるな」
「はーーー」
それは、一体、どういう。
固まった私はさらに隙を見せ、1つにまとめていた髪をほどかれる。
「ちょっ」
「まさかお前が素直に礼を言うとは思わなかった。だが、一言足りない。ーーーありがとう、だろう?」
身を屈ませたレオンが、落ち掛かった私の髪をわざわざかき上げ、耳元で囁く。
思わずびくりと体をすくませた。
やめてほしい。耳は弱いんだぞ。
「あ、りがとう、ございますっ」
「いい子だ」
愉しげに目を細めたレオンが、私の口許にふと視線を留める。
どきりとした。
口を見られるのって、なんだか変な感じだ。
「何か塗ってるか?」
「えっ? あ、まあ、うん。キリカさんから紅をもらって、いや、どうせなら誰かに見せた方がいいかなって、したらまあちょうどレオンに渡すものあったし、見せるならあんたかなってだから塗ってきた、わっ」
だからここに塗ってきたことに他意はないんだ、他意は!
捲し立てる私をレオンが無言で机に柔らかく押し、私はバランスを崩し尻餅をついたように机に座り込む。
文句を言おうとして再び固まる。
自分の両脇についた手は、その上を覆うようにレオンの手が載せられ。
私にかかるレオンの影は、すっぽり私を包んでいた。
額にレオンの唇が当てられた瞬間、世界のすべてが沸騰して見えた。
「っ、ちょ、レオン、」
「賢くなったな。忘れるな。お前の飼い主は、俺だけだ」
押さえ付けられた手は、そうじゃなくても動かせなかっただろう。
ひどく心臓が早鐘を打ってはいたが、拒む気持ちにならなかった。
唇以外に次々と落とされる口付けは、どういう種類だったんだろう。
まるで見えない印を付けるように。所有の印の仮契約が、まるでもどかしいかのように。
隙間など少しも見逃すまいとするかのように。
そうされるうちに、私の魔力がレオンに移っていっているということに気が付いた。
私が気が付いたことに気付いたのか、レオンが目を細める。
わかった。レオンが私に触れることで魔力を受け取ろうとしていることは。
だけど、こうする必要はないだろう!
だけど、どこか甘い雰囲気に反抗できない。
こんなの、まるで、そう、恋人にやるみたいな。
今までこんな雰囲気で触れてきたことなんか無いくせに。
「…………随分大人しいな? 噛みついてくるかと思ったが」
慣れない雰囲気のせいだ。経験のない私は、ただ受け止めるしかないだけだ。
背中をがっちり支えられていなければ、上手く体勢をとれていないということは、何としてでも隠し通す。
「だって、魔力の受け渡しでしょ。所有の印を維持するためなら、仕方ない、し」
見上げるとレオンが今日何度か見た愉しげな笑みを浮かべた。
「気に入る顔だ」
それはどんな顔だ。
最後に1つ額に口付けを落とし、レオンが体を起こす。
「満足した。思ったより飢えていたらしいな」
「そーでしょーね! まったくこっちは一応女なんだから、先に断りを入れてほしいよ、ほんと!」
照れ隠しにそう言って今度こそ帰ろうと歩き出し、ーーー手を捕まれた。
「お前は俺の物なのに、断りをいれる必要があるのか?」
「はあ?」
振り返った瞬間、目の前に、レオンの瞳があり。
唇に、何かが触れた。
「ーーー……女だから、唇は避けてやっただろうが」
親指を一本挟んで。
それはほとんど、キスではないのか。
「行け」
手についた紅をペロリとレオンが舐める。
真っ白になった私は、レオンの言葉の通りに大人しく部屋を出た。




