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月の入江  作者: 緋絽
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揺れる幽霊

どうも。緋絽と申します。

ご無沙汰しております。



はじめてそれを見たとき、ロイはそれが弟とは気がつかなかった。

自分に弟がいることは知っていたが、病気を理由に生まれてからこの方10年ほど会ったことがなかった。会うまで存在を忘れていたほどだ。というよりも、いることをようやく実感したという方が正しい。

屋敷の奥まった先、普段足を踏み入れることのない庭の隅で力尽きたように眠っていた少年。

いや、もしかすると、倒れていたのかもしれない。

薄い金の髪。けれどまるで、無理矢理染められたかのように似合っていなかった。

気まぐれを起こし向かった先で見つけた子供は、ロイの弟だと、使用人を問い詰めてようやく知った。


『やぁ。初めまして。おれが君の兄の、ロイだよ。君の名は?』

目覚めた子供は、問うた言葉に答えなかった。


正確には、反応を示さなかった。


それでもしばらく側にいて話し掛け続けていると、何とか反応らしきものが返ってくるようになった。

そうなると言葉が交わせるようになるのは早く、そこでようやく、弟の意思が過たず理解できるようになった。

たどたどしく繋ぐ言葉は、一切弟が教育を受けていないことを感じさせるに充分だった。

「兄、さん。寝たい。べッドで」

「うん、いいよ。疲れたのかな? 今日はおやすみ」

そういって、首を横に振られたことがある。

何を聞いても何が違うのか要領が掴めなくて、途方に暮れ、とりあえず弟の手を引きベッドに連れていった。

寝かせようと上掛けを掛けたところで、首にかじりつかれ、一向に離れようとしなかった。

そこでようやく、違うの意味が理解できた。

弟は、兄であるロイと、一緒に寝たかった。そういうことだったのだ。

誰かと何かをする。それを表現するための言葉が、弟には一番欠けていた。


母や父はロイと弟を引き剥がそうとしたが、まるで、瞬いたら煙のように消えてしまうとでも言うようにひたむきに見上げてくる弟と、離れる気が起きなかった。

月の光を集めたような、不思議な色の瞳。

周りから奇異の目で見られる理由には、心当たりがあった。

不自然な色合いの金の髪。

恐らく、弟は、色なし。貴族の子供として色なしは相応しくない。死ぬまで秘匿するのが吉。

そんな裁量が、一族のなかで下されたという帰結は、想像に容易い。

自分だって、血の繋がりさえなければ見て見ぬふりをしただろう。

弟を庭に放置した家族と、使用人。

弟は、誰もが自分を見ていないことに気付いていた。だからこそ、自分を見つけた兄を、見失わないように見つめ続けている。

そんな気がした。


弟は体が弱く、また魔力をうまく制御できずによく熱を出した。

そんなときは自分のベッドで寝かせてやり、時間のある限り側にいた。

そんな時ですらひたむきにおれを見つめる弟が、愛しかった。

大丈夫。おれは、どこにも消えたりしないから。

そんな風に何度も何度も、眠る弟に言い聞かせた。起きている間に言ったことがあるが、不思議そうに首を傾げるばかりだった。


弟と過ごせた時間は、たったの3年間。

成長した弟は、初めて会った時にはまるで少女のような繊細な美貌だったのに対し、そこに少年の影が入り、中性的で危うい美貌になっていた。

そこに病弱である事実が絡まり、儚げな印象を否応なく感じさせられた。

特にこの頃、弟は何故かより一層魔力の制御ができなくなっていた。

色なしが制御できないということは、冗談でなく命に係わる。おれはその頃、すでに騎士団に入団しており、家を出ていたため1日中そばにいることはできず、弟をあの館に一人きりにすることが多かった。


ことは、そんな中で起きた。


寒い日だった。

息が白く染まり、決して小さくはない大きさの雪がはらはらと降り積もっている。

遠征から戻り、久々に帰省したおれの前には、弟の墓があった。

おれが遠征中に体調が急変し、魔力が垂れ流しになり、手の施しようもなく亡くなってしまった。

父の側付きをやっている男が淡々と言った言葉は、何度目かに聞いてようやく認識した。

一族が喪に服していない状況にも腹が立ったが、おれは何より、弟が病死であるということを信じることができなかった。

弟は殺されたのではないか。おれが家に帰れない上に実家からも遠く離れ、簡単には駆けつけられないこの時を狙って弟の命を脅かしたのではないか。―――よりにもよって、血の繋がった家族が。

直接手を下さなくたって、弟を殺すことはできる。気づかなかったふりをして、弟が衰弱していくのをただ傍観していればいいのだ。それだけで、弟の小さな灯はあっけなく消え去る。

証拠はない。けれど、確信があった。

おれ以外、弟を大事にしなかったあの家ならば。ありえないことではない。

怒りに震えた。けれど、根拠のない怒りは誰にぶつけようがなく。

しんしんと、まるで弟の瞳のような銀雪が積もる弟の墓は、ただ冷たくそこにあった。


「ランセルをドラゴンにした馬鹿はどこのどいつだ!」

巨体を建物にぶつけ、それでもなお暴れ続けているドラゴンに、目潰しをする要領で光の玉を投げながら、ロイは怒鳴った。

口ではそう言いながら、ロイはわかっていた。

ランセルの悩みを知っている分、犯人には怒髪天を衝いており、たとえおとなしく投降しようとも許すつもりは毛ほどもない。

ーーーそのつもりだった。

「ボクだよ。珍しいね、貴方がそんな風に怒鳴っているだなんて」

どこかくすぐったがっているような、軽快な声が響く。

声の主のことを、ロイは実際に会ったことはなかったが、レオンから話を聞いて知っていた。

月光を垂らしたような白銀の髪に、同じく月光のような瞳。

優美な獣のような雰囲気があったが、ロイは普段から百獣の王さながらの男の側にいるため、呑まれたりしなかった。

「お前がおれの何を知ってる? ギルシュ・ヴァーリア。おれの記憶違いじゃなければ、初対面のはずだ」

ロイの言葉に、ギルシュ・ヴァーリアは蕩けそうな笑みを口に浮かべた。

それなのに、瞳だけは凍えたように冷たいままだった。

「酷いな。忘れちゃったの? まあ、そうでもなきゃ、こうして顔を出せないか」

闇が渦巻いていることに気がつき、それを光で照らして霧散させる。

ロイが今回の事件の主動で動くのは、レオンが不調だからだけではない。

ロイの得意とする魔法が、闇に対抗することのできる光だからだ。

「ギルシュ・ヴァーリアの足止めはおれが引き受ける! 各自護身を最優先に残党の捕獲、なおドラゴンへの攻撃は許可しないものとする! いいな!」

方々から発せられる了承の声を背中で聞きながら、ロイはギルシュ・ヴァーリアから目を片時も外さなかった。

どこか、あの子に似ている。それは、髪色が近いからか。

「……ほんとに、どこまでも、ボクに相対するね、貴方は」

「はーーー」

「ねえ。ボクとの関係をみんなが知ったら、きっと驚くんじゃない? 教えてあげようか」

「……なんの話だ」

「顔を見ても、まだ思い出せない? ……そりゃそうか、貴方にとって所詮その程度の存在だったから、あんなことができたわけだし」

言っていることがわからなかった。

過去、こんな男と接した記憶がない。

話されて困るような関係があったこともないはずだ。

ロイは、それが判断の撹乱を起こさせようとギルシュ・ヴァーリアが言っていることなのだと結論付けた。

そうとなれば、話を聞く意味はない。

捕まえようと攻撃の魔法を準備したところで、声が、聞こえた。

「ーーーおれはどこにも消えたりしない。かつて貴方はそう、ボクに言ったよね」


それは。


弟に向けて、自分が何度も伝えた言葉。


弟といると側には誰も寄ってこなかった。だから、おれ達はいつも二人きりだった。


二人だけの、もう自分以外には、誰も知らないはずの約束。


「なぜ……」

「確かに貴方は消えなかった。かわりに、ボクが消えた。貴方が、来るのを、ずっと待っていたのに」

「どうしてお前が、その約束を知ってる!?」

「あの頃、ボクのすべては貴方だった。だから、消えろと言われれば、ボクは喜んで消えたのに。どうして、わざわざ人を差し向けたの? …………どうして……、せめて貴方が直接手を下してくれなかったの?」


そんなわけがない。


自分は誰にも話していない。

弟は死に、誰にも話せない。

それなのに、それを知っている。


お前は。


「ーーー兄さん。ボクは、世界が嫌いだ。だけど、この世界の何よりも、貴方を憎む」


死んだはずの弟は、かつてよりも饒舌に、おれへの憎しみをこぼした。

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