竜の想い人
…………大変、ご無沙汰しております。
緋絽と申します。
お待たせして大変申し訳ございませんでした!
王立図書館の中には、それなりに人がいたが、人が動く音以外は静かなものだった。
ランセルはこれまで生きてきて、図書館というものにほとんど足を踏み入れたことはなかった。
これまで必要にかられなかったし、ランセルはそもそもあまり読み書きが上手くなかった。
それは出自が原因でもあるのだが、ランセルはそれほど気にしていない。困ったことがないからだ。だいたい人々の識字率も低いため、珍しいことでもない。
民間に文字が普及されるようになったのはここ最近の話だ。
自分に手紙を書く相手もいなければ、寄越す相手もいない。自分の名前と軍事用語、数字が書ければ、業務にも支障はない。わからなければロイに頼めば読んでくれる。
つまり何が言いたいかというと、ランセルには本を読むということがなかった。だから、図書館にも見回り以外で立ち寄ったことはない。
それなのに、近ごろ自分は、ほとんど日を空けずに訪れているのであった。
目的は、そこの、司書。
ランセルに気づいた貸出席の女性―――キリカが微笑み小さく首を傾げる。
ランセルはそれにどういう顔をしたらいいかわからず、ひらりと手を挙げた。
キリカは王立図書館の司書だ。情報収集という先天性型である己の能力を、自分の好きなことに生かしたかったと、いつだったか言っていた。
街でごろつきに絡まれてるのを助けてから、街でよく見かけるようになった。正確には、視界に入るようになった。
ランセルは奥手というわけではない。いわゆる夜の街に出かけ、戯れの一夜を過ごすこともある。一人の女に入れ込むこともなく、それはある種の遊びの一つだった。性欲さえ満たせられれば、しばらくは女に興味さえ持たない。
けれど、助けてくれてありがとうと震えながら気丈に微笑んだのには、何か揺さぶられるものがあった。
それから、ランセルは暇を見つけては、足を向けてしまう。
茶に誘い、それなりに話をする仲になってから、それは輪にかけて頻度が多くなった。
「こんにちは、ランセル。このところよくいらっしゃいますね」
微笑む彼女に口を尖らす。
「悪いかよ」
大抵の平民が、騎士に対して畏怖の感情をさらすにも関わらず、キリカは全くそんな様子を見せない。
かといって侮ってる訳じゃないのはわかる。何というか、我ながら信頼だとか、親愛だとか、そんなものであることは自覚している。
「いいえ、結構なことです。あまり本は好いていないかと思っていたので、多少驚きましたが。今日は何の本をお探しですか?」
「あ、あぁ…………昨日の本の続きを読もうかってな。意味わかんねえ言葉とかあって、あんま早く読み進めらんねえけど」
驚愕の気配が近くで感じ取れた。
ランセルが本を読む!? 天変地異!? 明日虎降るんじゃないの!! という声も聞こえる。よし、この騒がしい感じはハルキだな。必死でなだめてるのはノックスか。可愛そうに、巻き込まれて同情するよ。アルベルトに至っては他人のふりをしているが、お前らまとめて明日オレの遊び相手だ。
「早さなんて必要ありませんよ。ゆっくりでいいんです。貴方が楽しめるのが一番なんですもの」
柔らかな笑みは決して美人ではない。愛嬌はあるが、他にもごろごろいるだろう。けれど、ランセルにはとても直視できないほど美しく見えた。
「まあ人生において読める冊数は限られてしまいますけれど。あら……それはあまりよくないかな?」
「ぶち壊しだぜ、お前…………珍しくいいこと言ったと思ったのに……」
ふふ、とさらに笑みを深くしたキリカが、思い付いたように手を小さく合わせる。
「そうだ! よかったら、私がわからないところを解説しますよ。ランセルに、もっと本を好きになってもらえれば、いつか感想とか言い合えますよね!」
当然のように“いつか”を言うキリカに、ほんの少し動揺する。
また、会ってもらえるとは。
オレは、自分が継続して会うには面倒な輩であることを知っている。なのに彼女は会う気でいるのだ。当然のように。
「友達いねぇのかよ、キリカ。つーか、オレでいいのか」
オレでいいのかなんて、オレが気にするなんてらしくない。
それに思わず笑うと、今度はキリカが口を尖らす。
「いますとも、ランセルとは違いますから! けど、ランセルとそういう話がしたいの。ほらっ、こっち!」
隣に誘導され、思わず座る。ふわりといい香りがした。彼女の香り。どこか花を思わせる香り。
常に相手のことを考えてしまうのが恋らしい。まさか自分が、それに当てはまるとは。まるで奥手のように、一つ一つに過敏に反応して。
…………別に、彼女とどうにかなりたいとか、そういう訳じゃない。ランセルの本当の姿を見たら怖がるのは目に見えている。だからこうやって、時々、話せればいい。
読み進めようとしていたのに、早速わからない部分が出てきて困る。まさかこんなところで学がないことを後悔するとは。
「………この、花の精が微笑んだっつうのは、どういう意味だ」
急に花の精が出てきて頓珍漢な展開になってしまっている。これは誤りなんじゃねえのか。
ランセルの指差したところを覗き込み、彼女は呻き声をあげた。
「あぁ、んーこれは確かに難しいですね。読みなれないとなかなか……うーん、照れますが」
文章からランセルの方に、彼女が顔を向ける。思ったより近いその距離に、お互いに戸惑った。
ぱっと体を離したキリカが椅子ごと後ろに倒れそうになる。それを、ランセルは流石の瞬発力で引っぱり上げた。抱き止めた体は、想像していたより、柔らかかった。
「す、すみません……」
「―――いや、……近くて、驚かせたよな。わりぃわりぃ」
「いえ、そんな…」
少し赤い頬。伏せた瞳。
そのすべてに、自分が憎からず思われていることが伺える。
けど、お前だってオレのことを知ったら、悲鳴をあげるだろう? だってお前は、花を売る女とは違う。あいつらとは違って、そういう世界を何も知らないのだ。世界は、広いだけ抱えてるものも多く、それは決して美しいものだけではないということを。
まあ今さらのことではある。オレはもう、期待はしない。稀にハルキのようなやつがいるが、あれは本当に“稀”なのだ。
「先程の意味ですが………自分の好いたお人のことが、素敵に思われてそう例えた、と言いますか。ざっくり申し上げれば、美化したと、解釈するものです」
取りなすように空咳をしてキリカが説明する。
「………へえ。なるほどなあ……」
なんとも風光明媚な例えをしたものだ。
ということは待て、オレが読んでいるのは女性に流行っている愛だの恋だのが展開された物語か。
おすすめされるがままに読んでいた自分に呆れる。
「あんたの好みそうな話だな」
思わず笑うと、それをみてキリカが笑う。
なるほど。花の精、ね。
がたたっと物音がした。
やれやれ。見物させるのもここまでにしとくか。
「おい、そこの、猿に飼い主に血統書付きの猫。特に飼い主、図書館はペットの連れ込み禁止だ、出てけ」
「……飼い主って俺っすかランセルさん」
「お前以外いねえだろ。ったく、オレのチテキタンキュウシンを奇跡かのように覗き見しやがって。元々オレは勤勉なんだぞ?」
「ちょっと、猿って、どういう言い種ですか!! なんでノックスが飼い主!? っていうかなんかアルベルトが猫って許せん変われ!!」
「ハルキ、そこじゃないだろう! っていうか、猫か、僕は……」
やんややんや騒ぐ部下の尻をランセルは蹴りとばす。
「おら、行くぞ。図書館で騒ぐんじゃねえよ」
ランセルがまともなこと言ってる!! と叫んだハルキは後で腹筋背筋腕立て伏せのフルコースだ。オレの遊び相手にしてやってもいい。
「ランセル、お帰りですか?」
キリカが騒ぎに苦笑して立ち上がる。
「おー。騒がしくしたな、こいつら引き取るわ。また来る。………あんたのいるときに。じゃあな」
オレの言葉に何故かハルキが悲鳴のような声をあげる。それを摘まんで図書館をでた。
横目で確認したキリカは真っ赤な顔で頬に手を当てていた。
キリカとどうこうなりたいわけじゃない。ないけれど―――だからと言って、離れるという選択肢はない。
会いに行き、それが受け入れられる。単純なそんな関係が、オレは思っていたより気に入ってるらしい。
だからかもしれない。会えなくなるかもしれない可能性を、全く考えていなかったのは。




