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あと3時間で

第9話です。よろしくお願いします。

 隣の霧崎の眼光が、二割増鋭くなっている気がする。まぁ、道行く人々の足並みは早く、異常に目つきの鋭い男に目をやる暇人などいなかったのだが。

「おい、いい加減にしろよ。いつまでへそ曲げてるんだ」

 慣れない人ごみに放り込まれ、霧崎は明らかに不機嫌そうだった。

 霧崎には縁遠いであろう洒落た流行の服を買い、目立つ長髪は短く見えるよう、うまく編み込んでみた。

 にしても。響は小さく息を付いた。どこまでもわがままな奴だ。こんなので本当に大丈夫なのか?

「緋月」

「どうした?」

 さっき、一度家に帰ってきた。響の言う『完璧なアリバイの作り方』の、あまりにも犯罪者的な思考に、霧崎は内心驚いていた。

 響曰く、今日父親が帰るのは十時を過ぎる。父親の言う時間の誤差は、ほとんどない。――さすがと言うべきか。時間の誤差がほとんどないというのもそうだが、こうまで冷静かつ完璧に身内を考察するのも、響らしい。

 さらに緋月家では、響の風呂の順番は、父親の後。和子たちと夕食をとった後、部屋に戻った二人は、響の部屋の窓から目の前の木に移り、庭に降りたのだ。

 その木は本当に目の前にあり、しかも大きかったため、安心して移ることができた。しかし……。確かに運動神経は悪い方ではないが、普段運動をほとんどしない霧崎にとっては若干疲れるものであった。

「母さんたちは、僕たちが部屋にいると信じて絶対に疑わない。彼女たちは、そういう性格だ」

 鍵をかけ、「もうすぐ模試だから」と、了解をとっておいた。絶対的な信頼を得ながらも、それを簡単に裏切れる響が、霧崎は恐ろしかった。

 待ち合わせの時間まで、あと一時間。そろそろ店に行った方がいいかもしれない。

 霧崎にそう告げ、響は方向転換する。妙に似合っている、響とデザイン違いのキャップのつばをつかみ、霧崎は言った。「本当に、後悔しないのか」

 響のポケットには、家の引き出しの奥に眠っていたカッターナイフが入っている。もう家族全員が忘れてしまっているようなそれなら、却ってバレないと思った。このカッターナイフを買った店は、もうずっと前につぶれてしまったし。

「後悔?」

 霧崎が、人ごみの中立ち止まる。同じく止まろうとした響は、危うく人ごみに流されそうになり、何とか踏みとどまった。

「するはず、ないだろ?」

 何を今さら。ため息混じりに言う響は、女性が思わず見惚れるほどに美しい。

「僕は、言い切れるよ。『絶対に後悔しない』と」

「それは俺もだ」

「なら、いいじゃないか。それで」

「……そうだな」

「どうかしたのか? 一日しか話してないけど、わかるぞ」

「別に」

 霧崎が、ジーンズのポケットからチョコレートを出して頬張る。自分でも何が言いたいのかわからなかった。

 しかし、確かめたかった。本当に後悔しないのか……と。

 人ごみの中、いつまでも立ち止まっている二人を、人々が怪訝そうに眺めていく。

「行こうか、霧崎」

 響が静かに言った。「今から三時間後、僕たちは犯罪者だ」




 〈プライム・ロール〉は、ずいぶんと洒落たレストランだった。店の雰囲気からして、食事が高そうなのがわかる。

「席、ありますか」

「はい、ございます。二名様ですか?」

「奥の方の席をお願いします」

「かしこまりました」

 うまい、と霧崎は思った。一番混む時間帯の直前ならば、店員はほとんど客の顔を見ないし(それどころではないのだろうが)、待たないのならば名前を書く必要もない。

「こちらです」

「どうも」

 テーブルにつき、適当に軽いものを注文する。響はポケットにさり気なく手をやり、カッターナイフがあるのを確かめた。

「いよいよ、か」

 響の口から嬉しそうな声がもれる。目を細め、まるで子供のように嬉しがる響を、霧崎は静かに見つめた。

「長かった……何年待ったかな」

「それほど殺したくて、どうして殺さなかったんだ」

 どこかで聴いたことのあるクラシックが、店内の雰囲気を引き立てている。尋常ではない二人の知識は、すぐに曲名を脳内から引っ張り出した。ベートーベンの、『月光』。

「待っていたからさ、お前のような人間を」

 乾杯、と響が笑う。ワインで、というわけにはもちろんいかなかったが、冷え切った水は乾いた喉には気持ちよかった。

「――どうして、俺だったんだ?」

 席に届いた食事を口にしながら、霧崎は相変わらずの小声で言う。二人の座る一番奥の席は、店内全てを見渡せた。樋口はまだ来ていない。

「正直、誰でも良かったよ。冷徹、かつ信用できる頭のいい奴なら」

「それなら――」

「言っただろ? 第一印象でわかることは結構多い。それはある種の、勘とも言えるような直感ともつながっている。僕はお前という人間を見て、直感で『こいつだ』と悟ったのさ」

「俺は優等生サマのお眼鏡に叶った、ってわけか? 光栄だな」

 届いたデザートはチョコレートケーキだった。味が、見た目が、材料が、と女子高生のごとく批評を飛ばし、思わず目的を忘れ――ることはもちろんない。その何分か後に、二人は樋口が来店するのを確認した。

 響は、樋口に背を向けている。いくらいい加減な教師とはいえ、さすがに生徒の顔くらいは覚えているだろうし、しかも響は生徒会長だ。

 席が離れているとはいえ、顔を見せるのはリスクが高すぎる。

「――来たな」

「全く……。せっかくの高いスーツだろうに、悲しいくらい似合ってないな」

 優雅に前髪を掻き上げる響に、緊張の色は微塵も見られない。霧崎も、ケーキの上に乗った飾りを、宝石のように扱って口に含んだ。

 樋口と一緒にいる女性は、やたらとはしゃいでいる。派手な化粧と露出の激しい服のせいで年齢がわかりにくいが、おそらく二十歳前だろう。

「……いかにも、って感じだな」

「いつの時代も、売春女ってのは変わらないな」

 派手に巻かれた髪の毛が腕に腕にかかり、へらへらとした笑みをさらす樋口のわかりやすさと、それに対する霧崎の台詞に、響は思わず笑いそうになった。

「しかし、恐ろしいな。売春女にかかれば、髪の毛さえも武器になるんだな」

「使えるものは使うんだろ。ったく女ってのは怖い」

「なんだ、知らなかったのか? 女ってのは、基本的に怖いんだぞ」

「あいにく俺はあんたと違って、女には縁がないんだ。――草食系男子だからな」

「どこで覚えたんだ、そんな言葉? って言うか、意味違ってないか?」

 小声で軽口を叩き合う二人は、やはり一見普通の高校生だ。

「お」

「やっと動いたか」

 しばらくして立ち上がった樋口たちを、すぐに霧崎が追う。響も素早く財布を出し、あらかじめ用意してあった料金を払った。

 人ごみに混じって怪しまれない程度に機敏に動く霧崎に追いつき、二人は樋口に気付かれない距離を保ちつつ尾行を開始する。

「――どこに行くと思う?」

「ホテル」

 響の問いに返ってきたのは、この上なく簡潔な霧崎の答えだった。




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