運命
第8話です。よろしくお願いします。
部屋に上がると、霧崎はまだ寝ていた。冗談だろう。昨日霧崎が寝たのは、零時前だったはずだ。樋口を殺す計画を立てていたら、お互いいつの間にか寝てしまったのだ。
今は一時過ぎ。布団にくるまったまま寝息を立てている霧崎の下から、敷き布団を勢いよく引っ張る。ゴロゴロと転がる身体は、いきなりなくなった敷き布団に仰天して目を覚ました。「いつまで寝てるんだよ、人の部屋で」
「……緋月か」
「ただいま。ずっと寝てたのか?」
「うるさい。毎日十分な睡眠を取るのが、俺のルールなんだ」
「変なルール作るな」
寝ぼけまなこで目をこする霧崎の長い髪が、あちこち変な方向に跳ねている。響のパジャマを身につけたまま、また布団の中にくるまろうとする霧崎に、響はポッキーの箱を放った。
「寝るなよ。出かけるから」
「は? どこにだ?」
いまいち頭が回っていないらしい霧崎は、目を閉じたままポッキーを食べ始める。二つ入っている袋の一つを取り上げてから、響は私服に着替えた。
「街だよ。お前の服装は目立ちすぎる」
「俺はこの服が好きなんだ」
「なんで今時、全身黒ずくめなんだよ。性格はともかく顔はいいんだから、それなりの格好したら見られるようにはなるさ」
大きなため息をつき、食べながら着替えようとする霧崎の菓子袋を取り上げる。食べながら着替えなんてされたら、日が暮れてしまう。「どうして出かけるんだ?」
「昨日話しただろ! 樋口を尾行しに行くんだよ!」
トロンとした霧崎の双眸が、大きく見開かれた。
「――行動開始、か」
「やる気出たか?」
「十分」
人が変わったように手早く着替える霧崎が、最後に長いコートを羽織る。「せめてそのコートだけでも脱げば、ずいぶんマシになるんじゃないか?」との、響のもっともな提案は、無言で受け流された。まぁ、いざとなれば無理やり引っ剥がせばいいだけの話だ。「あいつは何時に動くんだ?」
「今日の八時に、銀座のレストラン〈プライム・ロール〉で待ち合わせしてる」
あまりにもはっきりとした答えに、霧崎は驚いたように顔を上げた。「よく調べられたな」
「そんなに難しくもないよ。あいつが電話するときは、ほぼ生徒会室なんだ。よほどの用がない限り、生徒は入らないから。今日は四時間全て授業が入っていたから、電話するなら授業が終わった放課後しかない。相手の女も夜の商売、朝は遅いだろうしね」
「外で立ち聞きしたのか?」
「平たく言えばね」
万が一バレても、生徒会長ならば生徒会室に入るのは、ちっともおかしくない。――気付かれるようなヘマを、するつもりもなかったが。
「だから、これから服を買い変装してから、樋口を尾行する」
一つ、いいことを教えてあげよう。響が言った。
「樋口が売春していることは、実はほぼみんな知っているんだ。全クラス全生徒がね」
「は?」
「もちろん、その金が使い込まれたものとは知らない。しかし、それがわかれば、黒羽高全員が容疑者だ。完璧なアリバイがある者以外は」
「俺らに完璧なアリバイはないだろ」
「なければ、作るのさ。完璧なアリバイをね」
鏡を見て服装を整えながら、響はさらに続ける。「その方法については、後で教えるよ。それよりも、さっきの続きだ。――学生というのは不思議なものでね。普段はいがみ合っている生徒でも、大人に対しては協力して構えていくんだ」
「大人――つまり、警察もか」
「その通り。警察なんて来たら、もう協力とかいうレベルじゃない。軽い連合軍だよ」
冗談めかして、響は軽くウィンクした。
「キザなやつ」
「それはどうも」
外に出ると、鮮やかな青空に、かすかに雲が浮かんでいた。かろうじて枝にしがみついている数えるほどの桜の花を、風がゆっくりと揺らしていく。「高麗屋でいいだろ?」
歩いて十五分ほどのデパートの名前を出すと、霧崎は無言でうなずいてみせた。
「あんたみたいな優等生と、並んで歩くことになるなんてな」
「どういう意味だよ?」
「成績優秀の生徒会長。正直、担任から聞いたときは、反吐が出そうになった」
「ひどいな」
「あの時は、あんたがこんなにも、狂ってるなんて知らなかったからな」
人生ってのは、何があるかわからない。ふざけるような口ぶりの霧崎に、響は自然な口調で言う。「運命さ」
響も同じことを考えていた。学校にも来ていない男と、こうして談笑するとは夢にも思わなかった。まさか共犯者がこの男になろうとは、想像もしなかった。
学校に来ていない接点のない男が、こんなにも簡単に『完全犯罪を犯したい』なんて誘いに乗るのが、響は同時に不思議でもあった。
さりげなく問うと、「あんたがどこまで狂ってるのか、興味もあったしな」と返ってきた。
「どういう意味だ?」
「どういう意味だろうな?」
「僕が狂っている?」
ははは、と笑ってから、響はにっこりと微笑んだ。
「そうかもね」
その微笑に、霧崎の背筋に寒気が走る。
――本当に、どこまで狂っているのだろうか。この同級生である優等生は。