それぞれの思惑
第19話です。よろしくお願いします。
部屋に帰るなり、響はスポーツタオルをベッドに投げつけた。「…………」
「あんたらしくもないヘマだったな」
「うるさい!」
我を忘れた怒声に、一瞬だけひるむ。布団に寝転がる霧崎の横に、響は腰を下ろした。「あの女……! 肝心なときに邪魔しやがって!」
口調が変わっている。どうやらこの男、思った以上に激情家らしい。細い指が、サラッとした髪をかき上げた。
「緋月」
「ッ!」
投げつけられた一口サイズのチョコレートが、頭に当たる。刺激とも言えないような刺激が、響の頭を冷やしていく。
「頭冷やせ」
淡々と言う霧崎。彼にとっては、警察に捕まることなど何も怖くないのだ。
「…………あぁ」
鈍かった自分の脳細胞が、活動を始める。
思考にかかっていた霞が、ゆっくりと晴れていくように。
鮮明になる思考。
「助かったよ、霧崎」
「そりゃよかった」
「考えてみれば、単純なことだ。――三原綾子を、殺そう」
+++
「行ってきましたよ!」
「お疲れさま」
コヨーテに言われてお使いに行ってきた藍川が見たのは、クレープを作っているモアだった。いつものフリルシャツとロングスカートではなく、縦縞のブラウスと細身のジーンズに、オレンジのドット柄のエプロン。「モアさん、珍しいですね、そんな格好」
「クレープを作ってもらおうと思って。いつものフリルシャツとスカートだったら効率悪いし」
「クリームがたっぷり入った、アレですか」
「うん、アレ」
自分のことを言われているのはかろうじてわかるが、内容がちっともわからないモアは、微妙な表情を見せている。
「昨日、放課後に友だちとクレープ食べたら、気に入っちゃって」
「僕も好きですよ。どこで食べたんですか? 駅前の『キャッツ』?」
「うん。あれ、知ってるの?」
「非番の日によく食べるんですよ。いつか彼女ができたら、デートのときに食べたいなぁ……」
幸せそうな藍川にクルリと背を向け、コヨーテはモアの肩に後ろからあごを乗せた。ギリシャ彫刻のような顔がふわりと緩み、もう少し待っててね、とのんきに言う。
「モアさん、モアさん! 僕の分も焼いてもらっていいですか!?」
「だから、モアは――」
「そうでした、すみません! えーと……、マイ、クレープも、プリーズ!」
「藍川刑事って、本当に高校出たの?」
「出ましたよ! 大学も出ましたから!」
しかし、実際会話するに当たって、文法などあまり重要ではないのだ。間に格助詞が入っているとはいえ、『クレープ』と『プリーズ』が聞き取れれば、おおよその意味はわかる。「Sure.」
人見知りなモアではあるが、やたら人なつっこい――もとい、騒がしい藍川に、だいぶ慣れてきたようだった。ピンクと白の縦縞の紙で包まれたクレープは、ぱっと見だと市販のものに見える。「すごい! モアさん、これ、本当に売れるんじゃないですか!?」
「Thank you.」
言葉などなくても表情で伝わるくらい、藍川は表情が豊かだ。一応自分たちが追っているのは、大量殺人鬼なのだが、わかっているのだろうか。
「藍川さん」
「はい!」
「頼んだ本は――」
「はい、これですね!」
「ありがとう」
「こんな本、何に使うんですか?」
「読むけど」
「いや、そりゃそうですけど……。あ、高校で好きな人ができたんですか?」
『意中のあの人を虜にする恋愛術』、『女子力アップで手に入れる幸せな恋愛』。恋愛特集の組まれた雑誌など、他にも、いわゆる恋愛の参考書が積み上げられている。
「緋月響に近付いてみる」
「緋月響……って、杏里さんが疑ってる、あの嫌みな生徒会長でしょ!?」
「うん、あの嫌みな生徒会長」
「あんなやつ、一体どこがいいんですか! ただ顔がよくて頭がいいだけで……」
「藍川さん、けなせてないから」
女子高生の情報網をフルに活用して調べたところによると、響は意外に告白されないらしい。というのも、あまりにも完璧すぎて、女子が畏縮してしまうのだとか。彼に告白するのは、よほど自分に自信があるか、ダメもとな人だけ。響の好みを聞いたところでは、かなり普通の希望だったものの、告白した周りは、全員が撃沈していた。
しかし逆を言えば、響は今誰とも付き合っていないということだ。
「チャンスといえば、チャンスか……」
恋人になれれば、彼を探るために近付くのも、不自然ではなくなる。これは大きな利点であり、同時に捜査の鍵であることを意味する。
しかし問題があるとすれば、自分自身が殺されかねないことだろう。そして同時に、自分は緋月響の恋人になれるかどうかということだ。
「……藍川さん、本を貸してください」
「はいっ!」
とは言え、早い話が緋月響の恋人になるのが最善の策なのだ。だとしたら、取るべき対策は……。
コヨーテは積み上げられた本を、1枚ずつ1枚ずつ、めくっていった。