目撃者
第18話です。よろしくお願いします。
樋口を殺してから、3ヶ月。
「見ろよ、霧崎!」
学校から帰るなり満面の笑みで、響は霧崎に雑誌を放り投げる。「最高だ!」
「……あんたがそこまでテンションが高いのなんて、初めて見た」
「そりゃ、テンションも上がるさ。見てみろよ」
言われた通り雑誌を見ると、第一面のでかでかとした文字が目に飛び込んできた。
「『クラッシャーの被害拡大。いまだ犯人の目星つかず』?」
「――馬鹿だ。やっぱりこの世の中、中途半端な馬鹿ばっかりだ!」
さらに笑えるのは、と響がページをめくる。どうやら、クラッシャーについての特集記事らしい。「最初の被害者ってことで、樋口は結構注目されてるみたいだ。うちの校長のコメントまで載ってる」
「『我が校の尊敬すべき職員の命を奪った殺人犯が、早く捕まるように祈るばかりです』。……こいつ、そういえば俺の家に来たな」
「校長だからね。――見たか、霧崎。馬鹿なんだよ、こいつらは。この校長が1番目をかけているのは、間違いなく僕だ」
舞台にでも立った俳優のように、響は大げさな動作で続けた。「樋口が死んだ日に、僕は廊下でたまたま校長に会った。何て言ったと思う? 『みんな混乱しています。生徒会長がみんなを引っ張ってあげてください』だってさ」
一瞬の間を置いて、響が笑い出す。「僕なんだよ! 『尊敬すべき職員』を殺したのも、生徒を混乱させているのも! 世間を騒がせているのも、壊しているのも、すべてこの僕! 緋月響なんだ!」
「……イカれてやがる……!」
「壊してやるよ。もうすぐで、おそらく警察が全力を上げて動き出す。――欺いてやるよ。警察も教師も、女探偵も」
気持ちが高ぶっていたからだろう。
冷静さを欠いていたからだろう。
理由は後からいくらでもつけられる。とにかく1つだけ、言えること。
響はその日の犯行で、ミスをした。
+++
ターゲットは、産婦人科で働く40代女性。ターゲットに決まった理由は、単にそろそろ自分自身でも殺人をしておいた方がいいと判断しただけだ。『不運』としか、言いようがない。
隣には霧崎。手にはどこにでもあるスポーツタオル。父親が人からもらってきたものだし、凶器からバレる心配はない。
小走りでコンビニから出てきた。制服らしきものを着ているあたり、夜勤途中に買い物にでも来たのかもしれない。
殺す場所は、人目につきそうもない路地裏。母親は出かけている、兄が部屋を抜け出して人を殺しに行くなんて考えるほどの想像力は、琴美にはない。「人」
人はいないか?
おそらくそう聞きたかったのだろう。八割近く省略された問いに、小さくうなずいた。
後ろから静かに近づき、タオルで首を絞める。抵抗されて引っかかれでもしないように、霧崎が手を押さえつけた。
「うっ……」
若干太めの身体に、力が込められる。が、すぐにその抵抗も消えた。「――死んだか」
「あぁ」
いつも通りの感覚、いつも通りの殺し。いつも通りの――。「緋月くん」
背筋が、凍りついた。
「緋月くん、だよね?」
聞き覚えのある声。
そうだ、聞き覚えがあって当然だ。自分は2年以上、この声を隣で聞いてきた。「――三原」
副生徒会長、三原綾子。街灯に、その笑顔が浮かび上がる。少しはにかんだ顔は、死んだばかりの死体を前にしていることを考慮すれば、『異常』と言えるだろう。
「見ちゃった」
ふふふ、と笑う三原に、響はかろうじて笑みを作る。笑顔を浮かべろと、自分に言い聞かせた。笑顔は詐欺師も使う。
その空間だけ、時の流れ方が遅くなったように思えた。死体を完全に無視して、三原は響に駆け寄る。「ねぇ、緋月くん」
「三原、どうしてこんなところに」
「そんなこと、どうだっていい」
足元の死体をチラリと見て、三原は、「この人、誰?」
答えられない。殺したところを見られている。混乱する思考を元に戻そうと努力していると、細い両手が響の頬を挟んだ。
「わかってるよ。緋月くんが、クラッシャーなんだよね」
「三原」
「黙って。……誰にも言わないから」
夢見るような目つき。うっとりとしたまま、三原は続ける。「この人、緋月くんの知り合いじゃないよね。緋月くんの親戚にも、産婦人科の女性なんていないもの。……ねぇ、緋月くん。私、緋月くんのことなら、何だって知ってるの」
グロスを塗ったピンクの唇が、緩やかな弧を描いた。「絶対に誰にも言わないよ。だから……」
「――だから?」
三原の目が、射抜くように響を見つめる。響の頬を汗が伝った。「私だけを見て」
「……え?」
「緋月くん、私ずっと緋月くんのこと見てたよ。私、緋月くんのこと好き。世界中で1番、緋月くんのことを好き」
混乱していた脳が、再び活動を開始する。迅速に三原の言葉、目的を考え、口を開いた。
「つまり、僕に彼氏になれ、って?」
「うん。学校の誰にも言わなくていいから。ただ、私だけのものになって」
頬に当てた両手を引き寄せ、軽く口付けられた。霧崎はすでにいないものとして扱われている。「三原」
「何?」
「僕が彼氏になったら、このことは黙っていてくれるのか?」
「当たり前だよ。……私は、緋月くんが手に入ればいい」
狂ってる。霧崎は瞑目した。
狂気を招いたのが、人類への嫌悪か異常な愛だけかの違い。両極端ともいえるそれは、実際目の当たりにすると壮絶なものがある。「わかったよ」
「本当?」
「あぁ。だから、このことは絶対に言うな」
「もちろん」
そろそろ夜も蒸し暑くなる季節だ。それなのに、抱きしめあう2人を見た霧崎は、背筋に寒気が走るのを確かに感じたのだ。