侵入
第13話です。よろしくお願いします。
その五時間後。彼女とモアは、国際空港に立っていた。国籍や年齢も、すべてがごちゃ混ぜな空港。フィッシュアンドチップスを頬張るコヨーテの横で、モアは不安げにキョロキョロしている。
「食べる?」
「いらないわよ。――ねぇ」
「ん?」
大きな日除け帽に巻かれたスカーフが、動きに伴って揺れている。与える印象が薄いせいか、モアの美貌に気付く者は少ない。下手な女優よりも美人だと知っているのは、コヨーテくらいだろう。「また危険なまねするつもりでしょう」
「いいでしょ。これで事件が解決したら、向こうも願ったりよ」
「それにあなた、日本語しゃべれるの?」
「しゃべれるよ。――本日は晴天なり」
コヨーテの口から急に飛び出した流暢な日本語に――意味はわからないが――モアは目を見開いた。「おじいさまの書斎には、捨てるほど本があったからね。暇があったから読んでみたんだ」
異国の言葉を一目見て覚え、使いこなせるのは天才的と言わざるを得ない。モアはそれでもなお、心配そうに目を伏せている。「嫌な予感がするのよ」
「モアの勘は当たるからね。今日の晩ご飯に、ピクルスでも出るのかな」
不満げに頬を膨らますモアに、コヨーテは思わず吹き出した。
アテンションプリーズ。聞き取りやすい英語がマイクから流れてくる。
「それじゃあ、機内食にピクルスが出ないことを祈って」
そう、おどけてみせたコヨーテは、どこにでもいるような女子高生にしか見えなかった。
「緋月くん」
世界史の教師が、メガネをずり上げながら走ってくる。「何でしょう」
「ちょっと、応接室に行ってくれ。転校生を紹介したい」
「紹介……?」
「いや、君のクラスに編入してくるんだ。教室まで案内してやってほしい」
「わかりました」
――朝のHR終了後。授業が始まる前に遅い朝食を取る者もいれば、一時間目の予習を慌ててしている者もいる時間帯。日直として連絡掲示板を見に来たはいいが、あいにく今日は特に予定は無いようだった。「失礼します」
ネクタイが曲がっていないのを確かめ、一般的に言う人当たりのよい笑顔を浮かべてから、響は応接室に入る。机と書類の匂い。その中で、紺色のセーラー服に身を包んでいる1人の少女。「高野先生に言われて来ました、緋月です。――編入された方かな?」
少女がこちらを向く。ぱっちりとした大きな目に、響が映った。
「林 杏里です。よろしく」
「この時期の編入生なんて、珍しいですね。僕は生徒会長で、林さんを教室に連れてくるように言われました」
黒羽高の女子用制服とは違う、紺に白のラインが入ったセーラー服。響の視線に気付いたらしい杏里は、笑いながら言った。「まだ黒羽高の制服が届いてなくて。これ、前の学校の制服なんです」
胸元の白いタイは、少しでも綺麗に見えるよう、丁寧に結ばれているのがわかる。お世辞にもオシャレとは言えないダサい制服が、できるだけ可愛く見えるように努力する、普通の女の子といった印象。緩やかにカールした黒い髪が、冷房になびいていた。「――林さん、だっけ?」
「うん。普通に呼び捨てでいいよ」
「慣れたらね」
気のない返事をしつつも、響はふわりと笑う。杏里も「今すぐには呼んでくれないんだー」と、笑って返す。
「じゃあ、教室行こうか。そろそろ一時限目始まるから、」
「うん。あ、緋月くんって何部?」
「化学部。林さんは何か入るの?」
杏里は口元に手を当てて考え込む。「何にしようかなぁ」
「部活は見学できるから、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
そうだね、と。いたって普通の感じのいい笑みに、杏里は――いや、コヨーテは――微笑み返した。